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 バラバラバラと小判が降る。わらわらわらと人が群れる。華やかな色街のあっちやこっちから番頭だの遣り手だのが飛び出してきては黄金に眩しいそれらを拾い集め、格子の向こうからは遊女たちがひとつでもふたつでもと必死に腕を伸ばす。


「『村雨』だ!」

「『村雨』がおいでなすった!」


どっと振る小判は一瞬の夢、其れ正に村雨の如し。そんなことを一番に言ったのはどこの誰だったか。色めき立つ吉原を尻目にそいつは屋根を渡り闇夜を走る。懐から一掴み、ぱっと大通りへ放つ。声が聞こえる。恵みの小判を喜ぶ女たちの声、蔵をカラにされ悔しがる高利貸しの声、とっ捕まえろと怒る岡っ引きの声。嗚呼、愉快愉快。


「さて、ここらで終いに致そうか」


誰に聞かせずとも呟き村雨はとある妓楼、滝川屋の向かいの屋根に立った。懐から取り出した小判の包み、一つ五十両。そこへ小筆を走らせ花魁の名前を一つずつ書いてゆく。唐橋、雪花、菊乃、喜多川、ふむ今日はこんなところか。残りの包みを破き、無造作に掴んだ金色を名前の入った包みと共に、妓楼の格子の中へと投げつけた。バラバラ、ゴトンと財が降る。遊女たちがわっと飛びつく。


「雪花花魁、喜多川花魁!」

「ほらアキ、お前んとこの唐橋姐さんを呼んできな!」

「わっちのはあるかい?わっちの名前はあるかい?」

「菊乃姐さん!おいら達にも小判が来たよ!」


喜びに顔を輝かせる遊女と禿を見つめて村雨は口元を緩める。しかしそんな時間も長くは続かないのであった。


「そこか村雨!」


ふいに捕り方の怒号が裏通りから聞こえてきた。


「いっけねえ」


加えてかなり近いときた。まかねばなるまい。こんなところで捕まるわけにゃあいかねえや。即決即行動、ひらりと軽い身のこなしで村雨は大通りに降り立った。ひしめき合う人はみな自分の行く手と檻の中の女たちに夢中でこちらを見もしない。人波を縫って充分な助走をつけると、先程の妓楼の軒へと駆け上がりそのまま屋根へとよじ登った。肩越しに振り返れば「いたぞ!」と捕り方の一人が大声を上げた。それを確認してから走り出す。屋根の上を真っすぐに次の店までひた走り、屋根と屋根の間へするりと身体を滑り込ませた。


「地面に降りたぞ!」

「追え! 逃がすな!」


岡っ引きの騒々しい行列が慌ただしく路地を抜けてゆく。通りの浪士、妓楼の女、押しのけられた商人どもは面白そうな目をしてそれを見送るだけ。吉原という町は、別段『義賊の村雨』の味方をしているわけでもなし、見せかけの正義感をぎらつかせる岡っ引きの味方をしているわけでもなし。ここでは誰もが徳を忘れ喧騒に身を任せるだけなのだ。


 埃っぽい足音が遠ざかってゆく。


「さあてどうすっかな」


妓楼の軒先に腰かけた村雨は頬杖をついて連中の背中を見送った。地面に降りたと見せかけてその場に怪しまれずにとどまるのは、人一倍身軽なこいつの十八番だ。とはいえ完全にまけたわけではないし、村雨の足跡が途絶えたとなれば奴らがこの場へ戻ってくるのも時間の問題だろう。いつもならここは長屋であり、手近な空き部屋に忍び込んで嵐が過ぎるのを待つところなのだが、今回ばかりはそうもいかない。


「ヘマしちまったな」


何しろここは遊女たちが馴染みを連れ込む遊郭なのだ。見つかれば謝礼金欲しさに岡っ引きに突き出されるやもしれない。しかしこのどこかに隠れるしか今は手がない。


「布団部屋ならあるいは、か」


明かりのついていない座敷が狙い目。狭い軒を身体を縮めて走り抜け、しめた、障子の開いている空座敷があったと転がりこんだ。


 ゆらゆらと、煙管のけむりが村雨の着物の裾に触れ静かに散った。

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