5-10
「で、どうだった?」
「どうと言われましても……」
日を跨いで戻って来たアヅマ母。
朝の落ち着いたひとときに聞かれたのがそんな言葉。テーブルに肘を置き、コップの淵を撫で意味深な笑みを浮かべながら。
「モエちゃんもそろそろ大人だし、ちょっと対応が悪かったからね」
「……」
あれか、キツネは子を旅立たせる際にきつくなるって事か。
でも……。
「良かったんですか?私がした事って……」
「あんな物よ?獣化の衝動なんて」
今も寝台の上で寝ている彼女の姿を思い浮かべながら、そう言う事なら大丈夫かなと考え直す。
確かに無茶な事はしていないと思うし、結局意識を失っていた時間も少しだったし。
意識が戻っても身体は止まらず、何というか、アリエルさんと私がリバったくらいの事をしてしまった……無茶かな?無茶か。
「戻った時の匂いと言ったらもう、私もあと2000程若かったらねぇ」
「……2000……2000?」
「とりあえずモエちゃんは一度ここから出す予定なのよ」
「はぁ……そ、そうなんですか」
何かすごい数字が聞こえた気がしたけれど、その後の答えは理解出来た。
娘さんが私に冷たかったのって、甘やかされて育ったからじゃないかと思うんだ。それが原因の全てって訳では無いだろう。しかし一端だとは感じた。
この集落には彼女以上に若い子は居ない。
見た感じ年上なのは私の方で、けれど妖狐として未熟だった為に大人方は私に構っていた。今までちやほやされていた立場から、急に疎外されてしまったと感じたんだろう。
さらに、そろそろ大人として扱おうと言う周囲の反応が見えた、ってのもあるのか。
とても厳しくて突き放す様な感じだと聞く。
そこで私に八つ当たりを――というのが理由かな。
「それに、一度は最適化中の対象になるのも経験よ。若いうちに知っておかないと対応出来ないからね」
「なるほど。あ、ちなみに彼女の最適化後は何をしたんでしょう?」
「本人に聞けば良いと思うわ」
何か思い出しているのか、くすくすと笑みをこぼしながらアヅマ母は返答した。
「色々聞いたけど。さて、どうしたものか……」
アヅマ母は今日も休みにすると言って、外に出て行った。
完全に娘さんをフォローをしろって事だな。
疲れ果てて寝台で意識を失うように寝ている娘さん。その横に座って何時も通り尻尾を手入れしながら、この後どうするべきか思案する。
いやまあ変なお膳立てはあったが、致してしまったのは確かだ。
「しかもこれがなぁ……」
今梳いている尻尾。
アヅマ母の前では1本だけ出していたが、今は9本全て晒している。
スキルでの獣化をメインにしていた時は見せる事も無かった。スイッチを切り替えるように身体を変えていたから、意識しなくとも9本が出なかったからだ。
けど身体能力の延長として獣化をした時、そもそもの九尾を隠すのが大変になってしまった。
いやスキルに戻せば良いのだけれど、何故か嫌なのだ。
押さえつけられる感覚と言うべきか。
強制的に姿を変えられるスキルが嫌いになっていた。これは理屈じゃなく、正しく本能。
まだ経験が少ないからスムーズに獣化できないが、積極的に使いたいと思う程こちらが身体にあっている。
「けど、九尾は多いなぁ……」
いざ出し続けてみると、もさもさ具合がやばい。
手触り肌触りは最高だし、出していると力が湧き出ている気がする。でも、下手をすれば自身の身体より大きい尻尾は、若干邪魔だ。
「ぅぅん……」
そんな事を考えながら、けれど手入れを続けていると彼女が目を覚ます気配を見せる。
「あれ、私は……」
「おはようございます」
「……ひッ!」
私が目に入った彼女は声を上げた。
失礼だと一瞬思ったが、私が昨日彼女に"してしまった事"を思えば仕方ないか。
「母様は……」
「外へお出になられていますよ。あの手紙の事も本当だとも」
「う、そ」
昨晩は手紙を彼女にも見せていた。
目を潤ませた娘さんに手紙を突きつけた時の表情はとても良、いや違う。とても驚いていた。本当か疑っていたが、私が今朝確認したから間違いない。
「また、する、の?」
「いえ。もう身体は落ち着いていますし、大丈夫のはずです」
「そう……」
確証は無かったが、落ち着ける為にそう答えるしか無かった。
実は今も襲いたくてうずう、いや撫でまわしたくてうずう、いや慰めようとしているし。
「私は」
「はい」
「私は……」
何かを言いかけて止まる。数度繰り返したあと、深呼吸をした彼女は小さく呟いた。
「怖かったの」
「怖い?何がです?」
「……外に出るのが」
「集落の外なら幾度か出ているのでは?」
幾度か外に出ているらしい。
アヅマ母が連れ出しているのだと聞いたが、さて。
「ううん。そろそろ私の番だから」
「ああ、なるほど」
やはり、彼女もここから出ないといけない事を勘付いている。
「少し前に、私と同い年くらいの妖狐が1人で居るって、母様が言ってた」
「私ですか」
「うん。色々調べて、親が居ない子だって分かったの。そしたら、集落の皆がね――」
今まで末っ子の様に可愛がられた彼女は、初めて構って貰えない経験をした。
この集落は全体的に高齢で、若い子は見かけない。今まで甘々だったから突然の豹変は驚いたのだろう。それからの過程は省くが、私に嫉妬するようになったらしい。
身体の成長が遅い長寿種は精神的な成長も緩めらしく、年の割に幼い様だ。
「まだ、獣化も出来ないのに、って思って……」
「なるほど。申し訳ありません、更に追い打ちを掛けてしまっ「ううん違うの……」はい?」
うん?
「その、昨日まで、ごめんなさい」
「え、ええ。気にしてません」
何時の間にか、寝台から伸びていた手が私の膝の上に乗せられていた。
「それでね、あの、私。モエって言うの」
「あ、はい。シズナと申します?」
ん?なんか雲行きが。
「し、知らないの?獣人は強い人に、惹かれるのよ」
「……はて、聞いたことはありますけれど」
「昨日の夜は、凄かった、わ」
「……」
何という事だろう。
毛布を深く被って、けれど毛並みの良い耳がひょこひょこと動いているモエさん。小声でそんな事を言い出した。
え、何これ。え。
「九本なんて、初めて見た」
「そ、そうみたいですね。私も見せたのは初めてです」
「うふふ。初めて同士なのね」
「……」
仲良くなったとは思う。思うのだけれど。
「昨日は、凄かった……シズナさんは、何時もああなの?」
「ええと、普段は、あれ普段通りなのかな?兎に角モエさん申し訳ありません」
「モエって、呼んで」
「……」
いや最近私の脳が仕事していない。
もっと考えないといけない。
何か事態が変な方向に加速している気がする。そして何時も通り流れされている気がする。あれ私ってポンコツじゃない?
「九本って事は、私ともお似合いね」
「はい?どう言う「母様は知ってるの?」……いえ先程言った通り、見せたのはモエさんが初めてです」
「そう、なるほど。あ、あとモエって、呼んで」
「分かり、ました」
昨日までのツンケンした態度から変わって、毛布から少し顔を覗かせたモエさ、モエは頬を赤くしながらこちらを見てくる。
何だろう心臓が早鐘を打って、どうにかなりそうだ。
アリエルさんと一緒に居る時、リーン姉さまと一緒に居る時と同じような状態になってしまっている。
9本ある尻尾が逆立って、無性にモエを舐め、いや撫でたい。
同族だからか。他の人より肉体的に惹かれている気がする。
「シ、シズナって呼んで、良い?」
「ど、どうぞ」
すごい恥ずかしい。そして何だこの桃色空間。
浮気か!浮気なのか!?
『シズナさんは、わたくしより長く生きるでしょう。そして、2人で居る間にも、貴女に寄って来られる方も多いでしょう』
何時かアリエルさんに言われた言葉を思い出した。
ああ、なるほど納得。
獣人は一夫一妻じゃあない。
魅力的な個体に複数の個体が惹かれる種族だ。
そして強いからだけではなく、むしろ弱いから守ってあげたい。欠点があるから補ってあげたい、と思うらしい……自分で言ってて悲しくなるけれど。
「ヒトの番を、持ってる、らしいわね」
「え?つ、番と言うか。まぁ一緒に住んでいる人はいますね」
「女だっけ?」
「ええ」
「……じゃ、一緒に行くわ」
今、何て?
「つまり?」
「私は貴女と、一緒になりたいって事」
言い放った彼女は、毛布を深く被り直した。耳が動いているし、少し出ている手まで真っ赤。
『娘をお願いね』
『?』
――朝食後、アヅマ母が出て行くときに呟いた言葉が、唐突に思い浮かんだ。
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