5-09
獣化とは、つまり先祖代々受け継いできたケモノに近づく行為、現象の総称である。
それも一部の獣人しか会得していない能力らしい。
例えばメルカちゃんやミリカさんの種族、スクィールは獣化してもヒトガタ時より弱体化する可能性が高い。
私自身リスがどれだけ嗅覚、聴覚他に優れているか知らない。
けれどヒトガタの方が出来る行為が多くなるのは確かで、獣化せずともそのままの方が良い。
例えば良くある猫耳の猫人族は、ほぼ全ての集落がその技術を伝える事が出来ずに忘れてしまっているそうだ。
度重なる環境の変化。つまり外敵への対処であったり、食料の生産だったりが上手く出来ず、多くの猫人族がその生を終えてしまう。
その為技術の伝達が出来なかったかららしい。
そんな獣化出来ない種族も多くいる。
出来る種族はと言えば、聞く限りかなり少ない。
妖狐に狼人、一部の虎族、他多数の種族。他には珍しい所で翼人の一部も獣化出来ると言う。
そして獣化出来る場合でも同じ種族からの教え。親、親族、集落の皆、師匠や友達から長い間教わる事で可能になるそうだ。
私の場合はスキルである程度は慣れていた。なので2ヶ月前後で身体の変調が始まったと思う。しかし、スキルで変化していたからこその弊害が表れた。
スキルだとオン・オフの切り換え。スイッチを意識して一瞬で別の身体に変わっていた、と言うのが本音だ。
しかし技能、本能としての獣化は別。
徐々にケモノに近づいて行く。ヒトからケモノに。
自身の身体が驚くのか、先の私の様に不調をきたす場合も多い。そしてケモノに近づくと言う事は自然に近くなると言う事だ。
ヒトとしての理性よりケモノとしての本能に寄って行く。
だから訓練が必要で、しかし多くの獣人はこの時期に発情期へ入ってしまうらしい。
食べる、寝る、そして最後の本能だからね。
それは異性に対してとは限らず、その時に近くに居た者に対しての衝動。
前の世界の倫理観とは違い、家族や親族でそんな関係になっても咎められないこの世界ならではなのか。
獣化の方法をアヅマ母に教わっている時に、襲ってもいいわと許可を貰ってはいた。
その時は冗談か何かかと思って居たのだが、今はっきりした。アレは本気だったのだと。だって――
「ちょっとぉ、どいてよぅ……」
「はぁ、はぁ。すみません、ちょっと無理そう、です」
部屋に隅まで這って逃げていた娘さんに、襲いかかっているから。
部屋に入って、放心した彼女。
私は獣化の最適化作業で怠い身体を休める為、俯せの状態で顔を扉に向けたまま。彼女は小さく言葉を放った後は、私のお尻。
その上で広がりわさわさと揺らめいている尻尾を見つめたままだ。
やっぱりちょっと恥ずかしいと思いながら、起きようかと腕に力を入れた瞬間。
扉の前からトン、と音がした。
「ん?……どうなされたんですか?」
「……なによソレ」
倦怠感が取れない身体を引き摺って立ち上がり視線を向けると、腰を落として女の子座りになった娘さんが居た。
思考もはっきりしにけれど、彼女がちょっと震えているのは分かった。
「9本って……」
「御見苦しい物を。でもお手入れは欠かしていないはずですけれど」
頭で考える前に口からすらすらと言葉が出てしまう。
確かにお手入れは定期的に行っており、それは9本どの尻尾も欠かしていない。
1本1本まるで子供のように顔が違うので、櫛を入れていても楽しい。
滑らかな子もいれば癖っ毛に近い子も居て性格を感じるのだ。王都を出る前に香油へ手を出したかったが、まるで知識が無かったので諦めた。
仕事が終わったら店員さんに聞いてみようと決意する。
「9本は大変なんですが、やっぱりお手入れは気持ちいいです」
「ど、どうでもいいわ……」
「そうですか。で、もしかして腰が抜けられたので?」
「……悪い?って言うかもっと言う事あるんじゃ」
「ええっと。今日アヅマさんは集落の会合だから、夜は外に出る予定でしたね、とか?」
「そうじゃなくて!いや間違ってはないけどッ!」
会話が噛みあってない。
私も思考に靄がかかっているのは理解しているが、対応できるかは別だ。そのまま続ける。
「なぜ、ここへ?」
「か、母様が出る前に……貴女と話しておきなさいって……」
「なるほど。気を遣わせてしまったようですね」
夕方にアヅマ母へ相談したばかりだから、すぐ対応してくれたのか。
何だろうちょっと嬉しい。
しかし彼女の目線はまだ足に向いている。恥ずかしいなぁ。
「……なんか落ち着いてきたわ。ってか何よそれ。作り物……じゃなさそうね」
「あ、分かります?」
「わからいでかッ!……はぁ、何かこの前と違ってぽわぽわしてない?」
「そうですね。身体の調整中らしいです」
「はぁ?あ、そっか。獣化の調整か」
まだ足に力が戻らないのだろうか、足と身体を震わせたまま納得したように頷く彼女。
「って、貴女獣化も習わなかったの?」
「ええ。近くに妖狐が居なかった物ですから」
「……はぐれ、だものね」
調子を取り戻しつつあるのか、先日こちらを見た時の様な目で私を見上げてくる彼女。
しかし何だろうか。
ちょっと、美味しそうに、見える。
「何よぉ。母様がどうしてもっていうから、来てあげたのにッ。変な物見せ……そうよ!何で9本なのよッ!」
「最初は結構苦労したんですよ?。9本から1本にするの。初めて出した時は驚きましたし」
私の台詞で呆気に取られた彼女は、改めて放心した。
何か変な事を言っただろうか?だめだ深く考えられない――。
「……ん?」
「どいてよぅ、謝るからぁぁ」
気が付いたら私は腰が抜けた彼女の前に膝立ちになり、右手を彼女の頭横を通して壁に手を突いていた。
左手は切り揃えてある黒髪を撫で、しかもドア横だった筈なのに壁際まで来ていた。
「あれ、私は」
「ふぇ……」
「……」
まだ思考が明るくなった訳では無いが、段々と現在どんな姿勢か理解していく。その内に彼女が目に入る。
その瞬間、ドクンッと音がした気がした。
頭からか、心臓からか、はたまた身体からか。瞳を少し潤ませた女の子を目の前に、熱を持っていっているのが分かる。
「何、これ」
「母様ぁぁ……ふぇぇ……」
「ちょ、ちょっと。しっかりして下さい。すぐ退きますか、ら。あれ?」
「かあさまぁぁ」
退こうとする意思に反して、身体は後ろに動かない。
それどころか彼女の髪を弄びつつ、右手を肩に乗せた。そのままそっと首裏に回し、床に押し倒してしまう。
「どうしましょう、コレ」
「ふぁぁぁん……」
抜けた腰で必死に這おうとする彼女。
しかし押し倒した時に跨った私を跳ねのける力は出ないのか、もそもそと腰を揺らすだけだ。その仕草に、ドクンッと先程より脈動が高まった感じがした。気のせいなどではないだろう。
「あれ?何か服の後ろに……」
首裏に回した手に何か引っかかる物を感じて、名残惜しいが……名残惜しい?なんでそんな事を?
変に思いながら手を抜いて、掴み取った物を見る。
それは手紙だった。
この家に泊まった際に貰った手紙に似た柔らかい文字と、キスマーク……。
これを書いた人を思い浮かべながら、その文字を読み進めていくと、
『そろそろ我慢出来ないでしょ?丁度良いからモエを向かわせるわ。じゃ、後は頑張ってね」
何のこっちゃと小さく呟いた後の記憶は、私には無かった。
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