5-06
「おはよう。あら、何もしてなかったのね」
「……おはようございます」
翌朝名も知れぬ例の女性に起こされてからの第一声がそれである。
最初は意味が分からなかったが、説明を聞くうちに赤面してしまった。
私の情報が何一つないので、発情期の可能性を考慮したらしい。
昨日の置手紙を良く見ると、手紙にうっすらとキスマークが着いていた。何となく表現が古いと思ったが、別に異世界だしそこは問題じゃあない。
「発情期って……」
「大事な事よ?それでなくとも、貴女の事は何も知らないのだから」
少し唖然としたが、そんな周期がある事は知らなかったと伝えた。
そして良く眠ったからか、昨日程注意散漫では無くなっている。しかし、朝から彼女は意味不明な事を口走っている様に感じるのは、私の気のせいだろうか。
「とりあえず朝食にしましょう。顔を洗ってらっしゃいな」
「……はい。ありがとうございます」
何もかもが不明瞭なまま、私は覚めつつある頭を振って部屋を出る。そして昨日覚えた洗面所に直行した。
解せぬ。
「自己紹介がまだだったっけね。私はアズマリヤ」
「アズマさん……私はシズナと申します」
「宜しくね。年はまあ気にしないで。そこそこよ、そこそこ」
「はぁ……あの、色々お聞きしたいのですけれど」
「いいわよ。私が先に説明しながらの方が良いかしらね。その都度聞いて」
「分かりました」
日本風ちっくな朝食が終わり、リビングらしき部屋で椅子を突き合わせた。そしてやっと自己紹介が終わったので、彼女に説明を求める。
意外にも快く了承されてしまった。
「長くなるんだけど、最初から説明するわ」
「お願い致します」
「初めはね、王都に妖狐が来たって連絡が入ったのよ。10年近く前かしら」
「連絡?何処から、そして何方から?」
「ギルドだっけ。連絡用の器材を置いてるからすぐに来たわ。相手は……イヴァラって言う女性ね」
「……」
知らなかった。10年前にイヴァラさんが妖狐に連絡?
「びっくりしたわよ。妖狐は子供に厳しい事で有名だけれど、まだ20にも満たない子を1人で放逐するなんて信じられなかったから」
「20……」
「そ。それに貴女は誰の親族か分からなかったから、最初は疑ったわ」
「何を疑ったんですか?」
「単純な話よ。妖狐じゃないのでは、ってね。人と交わる事も少ないし、散った同胞の事はある程度把握してるからね」
「つまり、私の存在は不自然だったと言う訳ですか」
「ある程度はそんな事例もあるのだけれど、今回は突然だったし」
その後の説明は分かり易かった。
まず突然湧いた私の存在を疑った彼女達は、ギルドの依頼として私を探るようお願いしたらしい。
私の性格、容姿、習慣、他様々な情報を定期的に受け取る。それを精査していき、その結果私が妖狐について何も知らない事が分かったらしい。
「妖狐について、ですか?」
「そうよ。こんな風に、ね」
彼女が手の指で、トンッと机を弾いた。一瞬それに視線を向けた私は、彼女に目線を戻して驚いてしまう。
「髪と耳が……」
「ね。貴女は幻惑を見破る術を持たない」
長く美しかった髪、毛並良く天を突くように上向いていた耳が消えていた。代わりに、街で見た時と同じ肩口で切り揃えた髪型。そして耳はヒューマンと同じで顔の横についている。
幻惑自体は私も使える。
ゲーム時代からのスキルだが、見るのは初めてだ。確かにこれがそうと言われても気が付かない。そして街で見かけた時に感じた違和感も分かった。
化かされていた事についてだ。
「親や親戚にね、まず教わるのがこれ」
小さく呟いた彼女が両手を合わせて一瞬止まる。その後1拍間を空けて、手を叩いた。すると靄がかかったように彼女の容姿が戻る。
まるで手品だな。
「両親が別の種族でも、稀に別の種が生まれるのは知っているわ。けれど、シズナちゃんが来たと言う方向には、妖狐の姿も匂いも無かったのよ」
だから何も教えられてないのは、しょうがないけれどね。と彼女は続けた。
「私は……」
「いいのよ。シズナちゃんに親がいないってのは、色々調べて分かってるから」
つまりその辺も含めて調査されていたらしい。
まったく気が付かなかったし、アズマさんは奴隷として売られた事まで知っていた。どんな結果になったのかも。
「昨日見たと思うけれど、私達って同胞を大事にするのよ」
「……初めて見た私に声を掛けて下さってましたね」
「そそ。その代り子供が巣立つ時は容赦しないけどね」
その時のアズマさんの顔は少し黒かった。
……誰かに何かしたのか?
そして確かに、キツネは子供の旅立ちの際に過激になると聞くけど。
「イヴァラを通して貴女に問題が無いって分かったってのも大きいのよ。だから呼ぼうって事になった訳」
「呼ぶ、ですか?」
「そうよ。まだ小さいのだから、色々学ばないとね」
小さい……その事は彼女に聞いた。何でも50歳付近までは子供だと言うのが常識らしい。その後は放逐するが、それまでは同胞全体で見守るのが習慣だとか。
「あ、ごめんなさいね。調べる最中、色々やったのよ」
「色々、ですか。とても気になります」
「そうよねぇ。イヴァラを通して貴女が妖狐かどうか確認してもらった事があったの」
「確認?調査をしていたんじゃ?」
詳しく聞くと、戦慄の事実が判明した……戦慄?
妖狐にしか効かない薬があるらしい。感覚は鋭くなって、敵意には敏感になる。けれど急激に眠くなったりする薬。
それを私は使用された事があるそうだ。
気が付かなかった。
「報告を聞いてね、確定とまではいかないけれど妖狐の可能性が高くなったのよ」
「……」
つまり、結論から言うと、私はイヴァラさんに嵌められていたのだ。
「貴女、私の娘になりなさい」
「は?」
これまでのイヴァラさんの所業を思い浮かべて、手の平の上でコロコロされていたのに気が付き若干凹んでいた時。
唐突に彼女が言葉を発した。
「出生は不明だし、年の割にちょっと落ち着いているのが変だし、ついで言葉遣いも硬い」
「うッ……」
「けれど貴女はまだ子供なの。庇護されないといけないの」
「……つまり?」
「少しの間、妖狐の習慣を教えてあげるから、ここに住みなさい」
「あの、拒否権は」
「発情期も知らなかったのよ?貴女。色々困る事は増えるわ」
そう言われては何も言い返せない。
この集落での依頼期間は移動距離も含めて3年近く。実際に王都からここまで半年。つまり残り2年は強制だそうだ。
「その辺も含めて、ギルドに頼んでおいたの」
「……」
これも、依頼の内、らしい。
まじちょろいな私。
唐突に始まったアズマさんとの生活。
若い頃に両親を亡くしてしまった私としては、新鮮で困惑する事ばかりの生活。
詳しくは分からないが、明らかにリーン姉さまより年上だろう女性とお風呂とか、毛繕いをし合うとか、まっさーじをするとか。
合間々々に集落の皆と話したりもする。そこでは色々な事を学んだ。
妖狐族での常識。
変化の際のコツ。
幻惑のへ対処法。
獣化時の注意点。
集落の全員が、私の精神年齢を含めた年齢より年上。
まるで孫を可愛がる様に、皆からあやされながらの生活が始まった。
「シズナちゃんおはようさん」
「こんにちは。コマガタのおじさん」
「良い物をやろう、ちょっとそこで待ってな」
「……」
こんな感じである。
妖狐は、情が深いと言うべきなのか。過保護だ。
変化や獣化、他の訓練や鍛錬の際にはとても厳しい。それは生きる為の技術の伝授なので当然だろう、普通に手が飛んでくる時もある。
しかし一歩生活側に寄れば周囲は甘々だ。
「ほれ、新鮮な果物をみっけたんよ」
「ありがとうございます。頂きます」
言葉ではさも偶々手に入った様な言い草のおじさん。
けれど知っている。
彼が昨日まで3日間森中に居た事。そして渡された果物が大きな籠一杯な事……いやそれは見れば分かるか。
甘々だ。
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