3-10
ソレは何時の時代にも現れた。
文献にも載っていないそれほど昔から、彼らは発生していたのである。
前に生まれた時とは違って人の世の、人が蔓延る時代に生まれてしまった。王都と呼ばれるクニの近く。浅く、しかし深い森の中。ソレは何時の間にか。
魔力、魔素……なんと言い換えても良い。それらを源にして。
世界に渦巻く思い、願い、呪い、災い。それらを集めて成長していくのだ。そうやって、何時の時代、何処かの国、誰かの傍。いつ何時現れるか分からない存在。
ソレは考えを持たない。自分が何の為に現れたのか。何故生まれたのか。どうやって存在しているのか。全てが分からない。
誰も彼も知らないのだ。誰も、教えてくれるモノが居ないのだ。
自分が何者なのか分からない、そして考える事が出来ない、思う事が出来ないソレ。ソレは落ちてくるべきでは無かったのかもしれない。だがソレは今此処に存在してしまった。
ソレは発生してしまった。現れてしまった。
生まれた赤子が世界を見て泣き叫ぶように。初めて見た光に怯えるように。ソレは貪欲に全てを飲み込んでいった。餌、と言うべきであろう。物質を得る訳では無い。
この世に漂う、ありとあらゆる想いを糧に肥大化していくのだろう。
そして……この世には、何も清い想いだけでは無い。
両親への反発。
友達への嫉妬。
恋人への疑念。
子供への憤怒。
自らへの憎悪。
この世に感じる諦観。
悪有れば逆もまた然り、とは言えない。行動するうえで一番の原動力は、負の感情、獣の本能。それらが多く占めているからだ。
ソレは、漂う感情を。渦巻く理念を。貪り尽くす。生まれたその時から、それだけを分かっているかのように。
当然の姿だとでも言うかのように。自身の事は分からないのに、自身の行動を止められない。
止める思いが無い。考えが無い。分からない。分かっているのは、自分では無く、世界の事だけだ。
生まれた時から何も持たないソレは、世界に満ちている想いを糧に生きる。それは、自身ではなく他人のモノを使うと言う事。自身で考える訳で無く、他人の想いに引き摺られると言う事。
過去、ソレはそうやって蠢いてきた。
まだ感情の無いソレ。まだ生きていないソレ。存在を許されたソレは、まだ現れただけに過ぎない。この世界の全てのイキモノを敵に、全ての想いを味方に。ソレは蠢き続けるのだ。
成長をしたソレは、何者にも冒されない。何者をも通さない。何者にも成れない。そして、止める術もない。
それがもし、もしも成長してしまったら。
考える事が出来る様になってしまったら。
思える事が出来る様になってしまったら。
この世に現れ出でた瞬間から、ソレは世界の敵対者なのかもしれない。
今はまだ名もなきソレ。
ソレは、まだ誰にも感知されていない。自身すら分かっていない。
そして……ソレは今まさに、この世の祝福を受けようとしていた。そして、この世の呪いを糧に生きていくのだ。
ソレは……今、生まれたばかりの赤子のように――
『ん?今なんか踏んだかな?』
――その赤子はこの世から消滅した。
私シズナは現在、王都周辺の森を駆けている。
MMO時代に種族特性として使用出来ていたスキル、獣化。それを使い本来の姿だろうキツネに戻って、森中を駆けていたのだ。
本能なのか、かなり爽快な気分になる。途中襲いくる魔物や害獣を、ステータスに物を言わせて蹴散らしながら。
しかし先程だろうか。何かを踏みつけた感触があった。気のせいかな?
『主様、どうかなさいましたか?』
『……何も起きない……何でもありません。気配を感じたんですけれど、気のせいだった様です』
『ふむ。その姿だとヒトとは違い、気配に敏感になるものだ。大方虫でも踏まれたのだろう』
『そうですね。そんな感じです』
シロクロに付き添って貰い、ストレス発散をしているのだ。
確かに感知範囲も広がって、気配も掴みやすくなっている。そして、得た情報をまとめる本能も上手く機能している。要するに万全の態勢で、気持ち良く運動しているのだ。
何かに悩んだら、適度に動く。
行き詰った時には、人と話す。
それが私の解決方法だった。ようやっと思い出した。
イベント企画案の捻り出しが出来なかったら、散歩でもして気分転換をするのと同じだ。新商品のアイデアが出なかったら、仲間と飲みながら思いつく限り喋るのと同じだ。
『風が気持ち良いですね』
ケモノの本能単位での気分転換。これほど爽快な事は無い。
『そうだろう。野を駆け山を駆け、主と歩む』
『これほど楽しい事はございません』
クロシロが続けて返答してくれた。何となく嬉しい。ちなみに烏丸も呼び出しているのだが、私ですらメニューのマップ機能を使わないと位置を把握出来ない。忍び過ぎだろう。
『周りが怖い物に見えてたんですけれど、そんな事は別に無かったんですね』
『怖い物、ですか?』
『怯えてたんです。ちっぽけな私が、誰かの悪意に屈する事を』
『主様……』
誰にも売られずに済んだ。私は私の意思で動ける。それが嬉しいと同時に、今度は失うのではないかと尻ごみしていたのだろう。でもどうだ。自分はこんなに早く動けるのだ。
今の俺には戦う術も、逃げる能力もあると学んでいる。
今の私には自分以外に、頼れる人が居るのを実感した。
ミリカさんに言われた通り、誰かの助けを借りても良い世界なんだ。
両親が居なくなって、誰にも頼れなかった自分は、もう居ないのだ。
そう考えると、とたんにココロが軽くなった気がする。
結局私はその日中、他の召喚獣を粗方呼んで、日が暮れるまで駆け抜け続けた。
「シズナさん。気持ちの整理が出来たんですのね」
「ええ、出来ましたけれど。何故分かったんですか?」
「それはもちろん。あ……いえ、何でもございません」
愛って言おうとしたのか。段々行動が過激になっていっているアリエルさんだが、その辺は恥ずかしいらしい。
時は変わって今日はお嬢様の護衛、という名目のお茶にお呼ばれしている。母娘を襲う敵方はほぼ一層されたが、危険が全く無くなる訳でもなく。
意味のある護衛と言えよう。言えるはずだ。
「ン……」
「最近ちょっと身体を動かしてまして。気分が良いんです」
「そ、そうですの……」
動き回って、依頼を受けて、マクイル邸で癒されて、アリエルさんと楽しくお喋りして。段々とあの半年以上にも及んだ圧抑の日々が薄れてきた。
「暫くしたら、大口の仕事を受けようとも思います」
「……だ、大丈夫です、の?ぁ……」
「その辺も含めて、またやってみようかと」
「……シ、ズナさんがそう言うのなら……ん。で、ですが、もう少ししっかりして頂かないと」
そうだろう。聞けば多くの若い命は、生まれた街を旅だった後、別の街で落としているらしいから。アリエルさんの心配も当然だろう。旅行というほど安全ではないし。
若者は自分の生まれた街が世界の全てで、別の世界を夢見て出て行くも色々な違い、油断、悪意に呑まれるのだ。私もその1人になりそうな所、何とか踏みとどまったに過ぎない。
「まだ先は長いですから。死ななければ、強くなりますよ」
「そんな……ぁぅ……で、ではわたくしをあ、安心させて下さい、ませ」
「そうですね。もちろんですよ、ご主人様」
「ぁ……」
アリエルさんの部屋で2人きり。恋人……と言っていいのだろうか。最近私自身から積極的に行動を起こしてしまっている。正に今。
お茶用の小さなテーブル、そして大きな椅子に座って向かい合った私とアリエルさん。私は右手、彼女は左手を伸ばして繋ぎ合っており、マッサージをしている状態になっている。
あそこで教え込まれた事は役に立っているようだ。
マッサージだよ。うん。やましい事は無い。
彼女は得難い安心感を感じているのか、空いている右手の人差し指を口で横噛みにし、必死に声を抑えようとしている。
「っ……わ、わたくしも、お手伝いな……ら」
「ありがとうございます。頼りにしてますよアリエル様」
彼女は彼女の為に、私に手を貸してくれる。下手に私の為じゃないから安心だ。
「……ふぁっ……んんっ。そ、そう言えばシズナさんの好きそうな櫛が手に入ったんですの」
身体を小刻みに震わせたアリエルさん。小さく咳を1つ、息を整えた彼女は続ける。
「へぇ、それは気になります」
「懇意にして下さっている方が、お持ちになりましたのよ」
それは貢物では無いだろうか。そして私は甘やかされているのを自覚してる……アリエルさんが良いならまあいいか。
実物を見せて貰ったが、櫛一筋約10年の私を唸らせる程の一品だった。この世界ならではの魔術を付与されている櫛。
梳くと疲れが取れたりする物らしい。亜人獣人が多いからこの様な文化は発展しているのだろう。
これを譲って下さると言う。高い物ではないが、使いやすさは抜群だ。
後は自分のLukの数値が高いことを自覚した時から、色々ツキが回ってきた気がする。依頼中に対象の魔物に早く遭遇出来たり、珍しい櫛が商店で見つかったり。
ほんの些細な事だが、嬉しい。
多分だがこの世で一番運の数値が高いのではないだろうか。直接的では無く、間接的に助かっている事が多そう。捕まっても助かるとか、ね。
知らずの内に、世界を救ってる……とかは、言い過ぎか。
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