フランケンシュタインの藁
何故か、私は体中の力が抜けるのを感じ、床に仰向けで寝そべってしまう。私の体は完全に統率を失っていた。右腕は床を指先で叩き、左腕は手を握っては開き握っては開きを繰り返している。右足は痙攣し、左足は全く動かない。彼らは私の意識という元締めをなくし、傍若無人に自由気ままに振る舞っていた。
鼓動が早くなるのを感じる。それと同時に息が荒くなる。過呼吸でも引き起こしたかのように、苦しくなる。鼓動の加速はとどまることを知らない。私は一瞬、死、というものを感じた。息が荒くなっているのに、肺は空気を吸わず、鼓動ははちきれそうな程強すぎるものだった。
ふと、視界の片隅にあの旅行雑誌を見つけた。私がこうなってしまった原因にして、私という誰かのパーツの記憶の景色。私の、パーツ、の、記憶。
私は自然と旅行雑誌を手にしていた。鼓動は治まり、肺は空気を取り入れ始めた。この旅行雑誌の表紙の場所に行けば、きっと何かが分かる。これは一縷の望みであり、私の意識にとっては藁。私という深い海に溺れた私に流れて来た藁だ。
溺れる者は藁をもつかむ。
その言葉どおり、私は藁を手放さないよう、しっかりと握った。