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08. 外科病棟にて

 一.


 俊之が一人病院に赴いて、井上医師と話した事。話す、というよりもむしろ、患者側からの最終通告の様に、話を聞いた私には感じた。

「オペの日までに、入院当時の体力に戻すのは難しい、とか抜かされて、キレて来ちゃった」

 苦笑しながら、彼はそう話を切り出した。


『素人でも水分だけやったら体力が落ちる事くらい判りますよね? 今まで内科病棟でそうして来ておいて、何で今ごろになってカロリー摂取なんて話になるんだ?!』

 激昂のあまり、つい言葉を荒くして質問した俊之に、井上医師はとても困った顔をして、

『僕からは、内科病棟(あちら)のやり方に直接いろいろ言えない立場なんで……藤枝さんのお話は、あちらに報告します』

 と答えたそうだ。

 (またそういう医学的根拠じゃない方面の理由かい……)

 憤りを感じつつ、一医師に何が出来る訳でもない、と、同じ“組織に属し、歯車の一つでしかない存在”としての俊之が、彼の“抗え切れずに個人の理想を内に押し込めるしかない立場”に共感したらしい。

『井上先生に言う事ではありませんでしたね……つい感情的になってしまいまして、すみません』

 と素直に謝罪したそうだ。

「ただし、抑えるべき所は抑えて来たから、じーちゃんの待遇、きっちりチェックして来て報告くれ。仕事中でも構わんよ」

 そう言って、病院に伝えて来た事を私に話した。


『私が一般病棟への移動を承認したのは、ICUと同じ処置をするから、という条件を聞いたからなんですよね。で、その結果、体力がこうなっている、という事実を見て、難波医大病院さんのICUは、こういう処置しかしてくれない病院なのだ、というのが今の私ども家族の見解なんです。……不信感みたいなものは拭えない状況ではありますよね』

 心外で同じ待遇でしたら、こちらとしてもそれなりの対応を考えさせていただきますので、くれぐれも、これ以上の不信感を募らせずに済むよう、何分にも宜しくお願いします、と深々と頭を下げて来たそうだ。

『脅し』と『低姿勢』。そして、夫が一人で前面に出てきた事。

 井上医師は、こちらの事をどう思ったのか……無言を通していたそうだ。


「まあそんな感じ。承諾書は渡して来たから。明後日切開だから、一応凪も頭に予定だけ入れておいて。あと、カロリー摂取はOKとして、それ以外……特に看護態勢とか見ておいてな。あと、ばーちゃんにも言っておいたけど、鎮静剤投与は家族がいる間はしないで欲しい意向を伝えて来たから、その分毎日見舞いに行って、看護士の負担を軽減してやって欲しい」

 じーちゃんにも会って来たけど、肘なんかガチガチだったから、関節ほぐすリハビリと、床ずれチェックも頼むわ、と彼は補足すると、最後のコーヒーの一口を飲み下して、優介の眠る寝室へ向かった。




 二.


 今度の病棟は信頼出来そう。

 それが、外科病棟に移ってから私が感じた最初の感想。

 ちゃんと、酸素マスクをつけてくれた。からからに乾いていた口内も、潤滑剤を塗布してくれる様になったお陰で少し潤って、呼吸も楽になっている様子。

 そんな便利な薬がある事も知らず、担当のナースに訊いたら、下の売店で売っているので、ご家族にお手数を掛けて宜しかったら、売店で購入されて持って来て戴いた方が、若干安価で済みますよ、と教えて下さった。

 痰も絡んでいない。

 マスクをつける前に、どうしようもない状態になっていた歯石や舌苔を除去してくれていた。病室もナースセンターの隣で、即座に対応してくれる場所に据えられている。巡回も、短時間の間に定期的に見に来ており、チェック表を見ると、きちんと体温や酸素含有量のパーセンテージ、排尿のチェックも行なわれていた。

 同じ病院なのに、全然看護体制が内科病棟とは全く違う。……内科や循環器系の一般病棟というのは、特養に入り損ねた老人を、家族がコネで入れる姥捨て山、という一面もある。

 ふと、そんな根拠の示されていない噂話を思い出した。

 その真偽はさておき。

 看護し切れないのは、確かに満床で人手も少なく、手のかかる高齢の方が確かに多く入院されていたので状況的に仕方がないと思う部分も見えた。それであれば、せめて家族に一言、歯石の除去や清拭を許可して欲しい、とは、思う。何をしてよいのかすら解らない家族もいるのだから、手が足りないなら、家族で見舞いに来ている時に、説明が欲しいとは、思った。

 ……きっと、それも難しいのだろう。患者の家族が皆、私達の様な考え方とは限らない。私達が望む事を実行した事で“この病院は看護を患者の家族に押し付ける怠慢病院だ”とからむ輩もいるに違いない。

 病院だけに過失がある訳ではない面も存在し、自己防衛に奔走するが故に万全の看護が出来ない一面もあるのかも知れない。

 義父がまともに人間扱いしてもらえるようになった安堵感からか、私は患者やその家族の姿勢について初めて自身の態度を省みる必要性を感じていた。


 義父が声を出せる最後の日。

 悲しい哉、病室で、私は“異邦人”だった……。

 うわごとの様に義母を呼び、それに答える義母と。

 俊之の姿を認識して、彼の言葉がけに精一杯の力で頷く義父と。

 義父の弱気な泣き言に不安げに耳を傾ける息子と。

 ――そこに、私の居場所はなかった。

 私は、“家族”ではない様だった。


 何となく居心地が悪くなり、病室を抜け出し喫煙所に向かった。

 私への最後の言葉は、あの怒声――。

 煙草の煙が目に沁みて……涙が出た。

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