05. 院内感染
院内感染【いんない-かんせん】 ――医療用語
病院、患者の収容施設等に於いて、患者や医療従事者がかかる感染症を指す。
患者等について、入院後二~三日以上経ってから起こったものを言う。
【感染経路】
「自己感染経路」
皮膚、口腔、腸管などに自分が持っている菌が、体の衰弱に伴い他の部位に感染し、発病するもの。
「交差感染」
医療関係者の手、口、鼻、他の入院患者、各種の医療器具、室内の汚れた空気、給食などを介して感染するもの。
【予防法】
院内の清潔を保つ事に尽きる。その程度や病院等の収容団体に対する責任の程度については、現在も議論がなされているところである。
問題として、何処まで見舞い客や外来患者に手洗いうがいの徹底を望めるか、医療現場として、何処までが責任の範疇かの基準の相違等の事項が挙げられる。
一.
三日目も仕事を休み……私は精神的な限界を感じた。元々それ程キャパシティの広い方ではない私は、連日ドタキャンで仕事を休んでいるという、職場から見たら明らかに無責任な行動をとっている自分の状況が苦痛で仕方が無かった。私は、自他共に認める、未熟な完璧主義者、なのだ……。
ストレスを感じたままで病院を訪れる。私が実際に動く事を当てにしながら、段取りの悪い割に仕切りたがる義母だ、と心の中で彼女に対する不満をぼやきながら、それが正論かどうかも判断せず、やり場の無い憤りの原因を、相変わらず自分以外に責任転嫁していた。
義父は手術の日が決まるまでは内科病棟で看護するという事になり、俊之が承諾書にサインして昨日内科病棟に移ったのだが。
昨日から今日にかけてのたった一日で、義父が変わり果てた状態になっている事に、まずは負の感情を伴う形で驚いた。
昨日少し気になっていた口腔内や唇周辺の皮膚の乾きが、今日は一層酷くなっていた。酷い、なんてものではない。舌苔はかさかさに乾いて、触れたらとげとげとして痛い程。唇は乾燥で裂けて、固まった血液がそのまま付着し凝固していた。
絶飲絶食で喉を潤す事も出来ず、痰が喉に絡んでいるのに自力で痰を出せずに苦しんでいた。たった一日でこうなってしまうという事を、私は全く予想もしていなかった。
「お父さん、何でナースコール押さないのっ」
慌てて義父の傍に駆け寄る義母に、彼は掠れた声で憤りの言い訳をした。
「看護婦さんかて忙しいんやから、痰くらい自分で出せるわ」
「無理して力入れたら大動脈が破裂する、って言われてるでしょう。ちゃんと吸引して貰いなさい」
そんな義母の手を振り払って彼女の意見を拒否し、義父は私を見て、言った。
「自分で出せる、言うたら出せるねん。凪さん、早う水、持って来てや」
喉を潤せば、軽く咳き込む程度で痰を出せると踏んだのだろう。義父は絶飲中にも関わらず、水を私に求めて来た。
「え、でも……何も飲んじゃ駄目、と言われてるし、ちょっとナースステーションまで確認に行ってきますね」
そう言って踵を返した。義母は義父を
「ほら、そういう訳だから、とにかく横になりなさい」
と半ば無理矢理横にならせた。
その時――。
「凪ぃっ! お前は何でわしの言う事が聞けんのじゃっ!!」
結婚して七年。俊之の嫁として仕えて七年目で、初めて私は舅に呼び捨てをされた。
そこに込められた想いが親しみからのそれではなく、憤りと恨みから来る呼び捨てと言う形だった事が、その後の私に一生忘れられない悔いを残す事となった。
――もう、限界だ……。
「……すみません。おばあちゃん、これ以上おじいちゃんを興奮させるのは怖いので、私、外に出て待ってます。何かあったら携帯で呼んで下さい」
私はそう言って、病室を出た。
誰も来ない師走の空の下の屋上で、私は一人、悔し涙を流していた。
秋口に、私に『すまなかった』と言ってくれたのは嘘だったの?
『あんたが正しかった』と寂しげに認めてくれたあれは、本心ではなかったの?
私とおじいちゃんは、分かり合えたのではなかったの――?
暫くして、義母が我侭な嫁を呼び戻す電話をして来た。
『凪さん、本当にごめんなさいね、お父さんたら偉そうに、凪、だなんて呼び捨てして。亡くなった、貴女と同じ名前の娘でも呼んでいるつもりだったのかしら』
何十年も前に、生後間も無かった娘と私を呼び間違える事はないだろう、と心の中で捻くれながらも、義母の心遣いと、小生意気な嫁である自分に昭和初期生まれの古い価値観を持つ姑である彼女が低姿勢に出てくれている思い遣りに、私は妥協せざるを得なかった。
「私こそすみません……」
その時、未だに心に留めておくべきと思う、強烈な印象の言葉を義母は言った。
『お父さんの気持ちではなく、病気がお父さんに言わせているの。勘弁してあげてね』
それは、結婚してからの四十年以上の半分を、義父の親や義父の介護で明け暮れて来た義母の、心から思っている感想と、自分への慰めと、そして何より、義父への愛の言葉だった。
「……私が病室に行っても、おじいちゃんに嫌な想いをさせませんか?」
勿論、謝りたいと言っていたわ、と、義母の声が少し明るくなった事で私の行動は自ずと決まり。義父への複雑な想いを抱えたまま、また“タフで気の利かないダメ嫁”を演じる為に病室へ戻った。
二.
病室に戻ると、義父は眠っていた。
「お父さん、あれから暴れてね、鎮静剤を打たれたの。眠る前に、凪さんに謝ってないのに寝られへん、って言いながら、抵抗しながらも寝ちゃったわ」
と苦笑しながら話す義母に、偽りは無さそうだった。まだ胸の内に拘りのある私としては、心中の想いが顔に出やしないかと思っていたので、眠る義父を見てほっとした。義母はもう一度、病気が言わせた事だから勘弁してやってね、と付け加えた。
どうしても、皮膚の乾燥が気になった。
「ねえ、おばあちゃん、湿すくらいも出来ないんですかね、唇とか、口内とか」
「そうよねぇ、私もそう思うんだけど、いいならとっくに看護士さんがしてくれてるだろうし、下手に言いに行っても、苦情と受け取られたら、見舞いに来れない時間にお父さんを放って置かれるのも怖いしねぇ……」
そうか、そういうものなのか、としか、私はその時思わなかった。
“患者は家族にとって、人質”
それが、我が家だけの偏見なのか、この閉ざされた世界の暗黙の了解なのか、私は未だに解らないでいるが、私の中では、未だその想いを覆すだけの誠意を病院側に見せてもらったという実感は、ない――。
義母に謝罪し、五日程は仕事に専念させてもらった。いい加減にしないと、私でないと扱いをまだ引継し切れていない特殊なソフトもあり、今週中にはデータの入力を済ませなくてはならないのだ。
保育園には再三頭を下げて平謝りし、時間外保育の許可どころか申請すら出していないのに、閉園ギリギリまで優介を預かって貰って、休んだ分の仕事をこなしていた。
最も私が嫌悪していた、外食ばかりの夕飯を優介と二人で連夜していた。
もっとも。
これまで、私の拘りで俊之のいる時しか出来なかった外食が連続で楽しめる事を、優介自身は喜んでいたが、変な癖がつくのでは、と、私の心配の種が、また一つ増えた。
そんな平日が過ぎた後の土曜日。
義母と私は内科病棟の担当医、浜口医師に呼ばれて、ナースセンターで説明を受けた。
義父は、すい炎もあるのに、肺炎も併発したとの事だった。
また、大動脈瘤の疾患箇所は、腎臓に隣接する部位だけだったのに、六年前のオペ時に入れたバイパスの接合部全てが腫れて来てしまっているとの事。何処もかしこも、破裂寸前……。
なのに。
『破裂していないから、緊急ではない』のだそうだ。
それが、心臓外科の見解で……と、歯切れの悪い口調で、浜口医師が私達に告げた。
私の、病院に対する不信感と苛立ちは限界を超えていた。義母の制止を利かず、感情に走って怒声を主治医に浴びせていた。
「入院してからの方が、総合的に見て思いっ切り衰弱してるじゃないですか! 病院って、人を衰弱させる施設なんですか?! 放置してるでしょうっ。義母に話は聞いているんですよ。せめて脱脂綿で唇を湿してもいいでしょうか、と言ったら、『どうぞ』と言ったそうじゃないですか。『どうぞ』って、何ですか?! 本来、無知な患者の家族にこうすると楽ですよ、とか教えるものじゃないんですか? いや、それより、看護士は看護するから看護士というんでしょう、看護、してないじゃないですか! 肺炎だって、院内感染なのと違いますか?! あんなに乾燥していたら、健常者でも簡単に風邪をひきますよね?! ましてや、絶飲絶食中で体力が衰えている病人ですよ?! 内科じゃ話になりませんよ! 心外の主治医と話させてくださいっ!」
――この時義母は、歯止めの利かない私を止めるべく、慌ててロビーの公衆電話に向かい、俊之を病院に呼んだのだそうだ。
浜口医師は、本気で怒り狂う私に対し、今にも泣きそうな顔で眉間に皺を寄せ、ずれた眼鏡を正す振りをして視線を合わせないまま、私にあり得ない回答を述べた。
「正直申し上げて、こちらも藤枝さんをお預かりしている事が非常に怖い状態で、毎日外科に要請はしているんですが……」
――未だ、執刀医も決まっていない状態なんです。……ホントに、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません――。
「申し訳ありませんって……私達……緊急手術と先の病院で言われて移送されて来たんですよ……? 殺す気ですか、おじいちゃんを……」
私は、“義父”という言葉さえ使えない程、素の状態で呟いていた。浜口医師は黙ってうな垂れている。ステーションにいるナース達は、敢えて視線を外しながらも、こちらの話に集中し、異常な静けさが辺りに漂っていた。
「凪さん、もういい加減にしなさい!」
ステーションに戻って来た義母に、初めて大きな声で叱責された。義母は、そのまま倒れてしまうのではないかと思う程深々とお辞儀をし
「本当に嫁の躾がなっておりませんで申し訳ありません」
と謝罪を一人一人の前に繰り返し、私の背を押して階下の喫茶店へと連れ出した。
何故、私達が謝らなくてはいけないの……?
私には、解らなかった。