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04. インフォームド・コンセント

 インフォームド・コンセント【informed consent】 ――医療用語


 手術などに際して、医師が病状や治療方針を分かりやすく説明し、患者の同意を得ること。


 患者側で注意すること

 ・理解力のある家族と一緒に説明を聞き、理解できるまで説明を求める。

 ・プライバシーや情報伝達に関わるトラブルを防ぐ為、説明を受ける家族を固定する。

 ・正確な診断名・病期などを聞き、書面による説明を受ける。

 ・その疾患がどんな疾患なのかの説明を受ける。

 ・どんな治療法があるのか、各治療法ごとの利点・欠点を聞く。

 ・治療をしない場合の経過を聞く。

 ・その病院での当該疾患の治療経験や成績について尋ねる。その疾患に対する他の治療施設の有無を尋ねる。




 一.


 翌日、私は再び休暇を貰った。

 俊之は、どうしても抜けられない打合せがあるとの事で、義父が再度CTをかけてもいたので、午後にその結果の説明を聴くのも兼ねて、義母と一緒に前回担当の井上医師に質問等があれば聞いておいて欲しい、と頼まれたからだった。


 撮影されたCTの映像を直接見た。

「……何ですか、これ……」

 白・しろ・シロ……白い点々が、内臓にも血管にも、至るところに映されている。

「石灰層です。通常では、血管がCTで撮影されるなんてあり得ないんですよ」

 血管に固着した石灰層の為に、本来撮影される筈の無い血管までが見える状態になってしまっているほど酷い状況なのだ、と説明された。

 そして、すい炎も発症している事が判明する。

「此処までの状態ですと、脳外(のうげ)以外の殆どの分野の医師の診断を仰ぐまで、手術は難しいとしか言い様がありません。どうしても時間が必要です」

 大動脈は、本来の正常値ならば三十mm程度のものが、現在新たに出来た方の瘤は七十mmの横径になっているらしい。いつ破裂するか解らない状況なので、その間に急変した場合は緊急手術をするしかないが、その際一〇〇パーセントの保障は出来ない、と彼は率直な見解をわかりやすく述べた。

「むしろ、保障出来ない確率の方が高いです。各専門分野の医師立会いのもと、石灰層の除去からしないと患部にメスが入れられないので、前回同様八~十時間に及ぶ手術になると思って戴きたいと思います」

 年間で数十症例の成功をおさめている井上医師でさえ、そんな難しい判断をするという事がどういう意味かを考えると、私は背筋に冷たい物が走り、初めて『死』というものが現実味を帯びて、どこかに希望を見出すべく、彼に質問をした。

「あの……体力的に、一般ではどうなんでしょう? 十時間も八十歳代で耐えられた実例はあるんでしょうか」

「……七十代で、辛うじて三十パーセント、といったところでしょうね」

 それは、八十代での成功例は無い、という事を言っているのだろうか……。

 胸の内の問いを察したかの様に、彼は

「今の血圧は、薬で抑えているに過ぎないという事もありますし、異変が起きた場合は、近しい親族全ての方が見えた方が、ご家族にとってよいかも知れないと思います」

 と、暗に絶望的である事を説明した。


 喋っているのに。会話が出来ているのに。笑っているのに……。

『優介は今日も保育所に元気で行ったか?』

 と会いたがっているのに。


 不意に、義父との会話を思い出した。

『讃岐うどんもやけど、あんたが海鮮が苦手やのに、えらい気に入った店の焼き蟹、あれをな、わしが退院したら、退院祝いの時にはご馳走したりますわ』

 義父は、自分でも言っていた。

『憎まれっ子世にはばかる、言うてな、わしみたいな癇癪もちの嫌われもんは、また退院しよるねん』

 義父に、昨日やっとそういう希望を持たせる事が出来た。今は退院後の事だけを考えている。単純な人だから、今は退院する事を信じて疑っていないのに……。

「それでも、そんな事言うんですか? 先生」

 彼を責めても仕方が無いのに、私は所見を覆したくて抗った。

 井上医師は、もう一度同じ所見を繰り返した。

「せめて藤枝さんの場合は、五十mmだったら、若しくは石灰層が此処まで酷くなければ、希望が見出せないでも無いんですが……」

 私は、何も言えず、うな垂れるしかなかった。義母が気丈に礼の挨拶をしている間にも、私は無言でお辞儀をするので精一杯だった。

「凪さん、あんな言い方はダメよ。下手な事を言ったら……」

 患者は人質みたいなものなんだから、と私は義母から叱責を受けた。


 義父の事なんて、大嫌いだった。

 癇癪持ちで、今時あり得ないという程の大正生まれらしい古い慣習や価値観に拘り、何かと私を至らぬ呼ばわりして怒鳴り散らす義父が、好きではなかった。

 かと言って……死を望んでなどいなかった。

 ぽとり、と、涙が零れた。

 それが、未だ私は敬語で、直情的な義父は、らしくもない歯に衣着せる言い方で私に語る、互いにそんな他人行儀な状況のまま、家族として認め合えないまま逝ってしまうかも知れない義父の死を悔しく受け止めての涙なのか、純粋に義父を亡くしたくないという家族としての悲しみの涙なのか、私は解らなかった。

 ただ、生きていて欲しい、そう思っている事だけは確かだった。




 二.


 今思うと、私はあまりにも無知が過ぎたと思う。

 感情が優先して、インフォームド・コンセントの重要性や、患者の家族として留意すべき事が何かを全く考慮していなかった。

 不慣れな事など言い訳にならない。キーパーソンが俊之だったとしても、日頃の仕事の多忙振りを考えたら、自分も常に同席して、内容を理解しておくべきだったと思うし、俊之任せにするべきではなかったと、今更悔やんでも悔やみ切れない。

 あまりに、感情ばかりに拘り過ぎた。

 それが、後々義父の死を早める事になるとは思ってもいなかった。


 絶飲絶食二日目。内科病棟に移された義父は栄養剤と抗生剤、血圧を安定させる薬を点滴投与されていた。病室に赴くと、義父は

「凪さん、入れ歯……入ったままやってん。痛とうてな、ほら」

 と、右の舌側面を見せてくれた。

「あぁ……入れ歯の留め金で、擦れて傷になってしまってますね」

 昨日から、何故か入れ歯ばかり気にしていた私は、下手に私がしゃしゃり出るよりも、妻である義母がした方が義父も気兼ねが無いだろう、と優介を静かにさせる事にばかり気持ちが向いてしまっていた。

 やはり、義母に外してもらってなかったんだ……。義母もパニックに近かっただろうに、自分が気付いていながら、と要らぬ気遣いが裏目に出た事を悔いた。

「痛かったでしょう? ゴメンナサイね、昨日、外せなくて」

 義父は、ええねん、お母さん――義母に伝えてくれ、という様に、手を横に振ったが、病院側と費用に関する話をしている彼女を待っているよりも、私が取れば済むことと、気がついたら、口に手を突っ込んでいた。

 しまった、また義父の意向も汲まずに勝手をしてしまった、と癇癪を恐れたが、彼は怒る事も無く、舌を使って上手に入れ歯を外してくれた。

「はぁ~……おおきに、すんませんなぁ、汚いのに」

 と言った顔は、心から済まなそうで、別の意味で――要らぬ負い目を持たせてしまった様子に、自分のお節介を後悔した。

 歯を磨きたいのう、とこぼす義父は、少しでも潤いを求めている様に見えた。

 かさつき始めた義父の唇や口内が、少しだけ気になった。


 気になる事は、その場でナースステーションで言えばよかったのに、私は理論的思考を取る事が出来ず、ただ闇雲に義父の癇癪を誘って瘤を破裂させない様に、医療従事者の機嫌を損ねてぞんざいに義父を扱われない様に、と、感情的な部分にばかり意識が向いていた。

 そういった些細な事でもメモを取り、病院側に指示を仰ぐなり意向を伝えるなり、意思の疎通を確立させておくべきだったのに、私は『誰の立場を主体とすべきか』を取り違え、義父、つまり患者の根本的な心身の苦痛よりも、病院側の手間や、義父の健常時に目立って感じられる自尊心や見栄などばかりを優先してしまっていた。

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