20. Hospital Hatred Syndrome
一.
それから更に数年後、私の元に一本の電話が届いた。
「凪? 久しぶり、元気にしてた?」
それは、今は東京で看護師として働いている、遠い故郷の幼馴染だった。もうそろそろ落ち着いた頃かと思って、と病院嫌いを豪語していた私を気遣い、連絡を控えてくれていた事を初めて告白してくれた。
「実はね、ちょっと会わせたい人がいるんだけど、今、仕事とかどうしてるの?」
今の私は、優介の母業を最優先する事に決めて、俊之に甘えのんびり専業主婦生活をさせてもらっている事を伝えると、じゃあ時間の融通は利くわね、と彼女の知人という人を紹介された。
「何でも、今の医療問題を題材にした小説を書きたい、なんて言ってる変わった子なんだけど、冷やかし気分で取材したい訳じゃなくて、説得力のある作品を書く為には事実や経験者の話を聞きたいって言うのよね。無理は言わないけど、どうだろう、会ってみる気、ない?」
医療問題……私の中の燃えかすが、ほんの少しだけ自分の存在を主張した。
「それって、何かの雑誌とか公の場に出る様な感じなのかしら? 私と言う個人が特定されるのは、家族もある事だし困るんだけど、その辺りを配慮してくれるなら、やぶさかではないわ」
私は彼女に、条件付で、その知人とやらに会う事を了承した。
二.
数日後、という迅速さでその人は私の住まう関西まで遥々やって来た。その人専用に取得したメールアドレスに到着の連絡が入ると、私はあらかじめ待ち合わせに決めておいた最寄り駅の喫茶店に足を運んだ。
私がその取材を引き受けたのは、近頃ニュースで騒がれている、産院や小児科、夜間救急病院の減少、モンスター・ペイシェント(医療現場でモラルに欠けた行動をとる患者)の急増、定期健診を受けない妊婦達などの医療問題に意識が向きがちで、そんな報道を聞くたびに、過去の自分の愚考や、病院の怠惰な対応を思い出しては、事件事故の当該者に何かしら物言いをしたい衝動に駆られていたからだ。
でも、よくよく考えてみたら、事が起きた後で何を言おうと『時既に遅し』なのだ。
そんな折にこの話が舞い込んで、その『小説書き』さん、という人が、どんな風に私の体験談を扱ってくれるのか、と興味を持った。その人の『書く目的』と、私の想いが似通っているのであれば――少しでも多くの人に、命に対する責任、自分の選択に対する責任、家族の絆や心の有り様など、奥深いものを追求する為に一石投じよう、という位の強い思い入れを持ってくれている人ならば、恥を忍んで自分の過ちを語っても無駄にはならないのではないか、と思ったのだ。
私の様な想いをする人が、これ以上同じ涙を流さずに済むように。
そんな想いが私をその人の待つ喫茶店まで駆り立てていた。
「患者の遺族、家族の目線として私が話せるのって、こんな程度の事なのだけれど、巧く伝えられているかしら?」
ひと通りの話を終えてから、私は自分の口下手さに自信をなくし、思わずその『小説書き』さんに訊いてみた。
「正直、こんなに赤裸々にお話いただけるとは思っていなかったので……本当に、有難うございます」
あの、お話しながら、お辛い想いをさせてしまったのではないですか、と彼女は私以上に申し訳無さそうな顔をして訊くので、思わず笑みがこぼれてしまう。
「いえ……ようやく、憑き物が落ちたみたい。私もきっと、いっそ全く知らない誰かに聞いて欲しかったのかも知れませんね。聞いて下さって有難うございます」
何だか自分らしからぬ舞台演劇の様な大袈裟な表現に恥ずかしくなり、照れ隠しをする様に、もうすっかり冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
でも、大袈裟でも何でもないのだ。こびりついていた燃えかすが、語る事でぽとりと落ちた、そんな感覚を覚えていた。一歩間違えば大問題になる気がして、大きな声でなど誰にも言えなかった。――義父を病院に殺された、などと。
ダメ元で彼女に言ってみた。
「あなたが小説で伝えたい事と違っていたら聞き流してくださってよいのですけれど、もしよかったら、一つだけ、お願いを言ってもよいかしら?」
どうぞ、という彼女の厚意に甘え、私は恥ずかしげもなく、厚かましいお願いを口にした。
「きっと私は、病院憎悪という病気を患っていたのだと思うんです。病院に対する妄信と、それを裏切られた事から来る反動の憎悪、あの頃の私は病的だった、と今は思うから、もしあなたの書こうとしている主旨に沿うのなら、そんな感じのタイトルだと、私の伝えたい事を盛り込んでいただけている気がして嬉しいわ」
ああ、やっぱり厚かましかったかしら、素人の癖に……。
ほら、彼女もぽかんと口を開けて言葉を失っている。
「あ、あのゴメンナサイ。何も解らない癖に、変な事を言ってしまって。聞かなかった事にしてもらえます?」
いつになったら私はこの感情に任せて口にしてしまう癖を治せるのかしら、と恥ずかしさのあまり再びコーヒーを口にすると、『小説書き』さんは真剣な顔で私に問うて来た。
「藤枝さんは、どうして見も知らない私に、こんなに積極的に協力して下さるんですか?」
その表情は、私の厚かましいお願いを批難するものではなく、いかにも不思議、という怪訝そうな色をしていたので、私は何となく気を許して、ありのままの気持ちを答えていた。
「いろんなニュースを見ていて、いつも思うんです。家族なのだから、病院に丸投げではいけない、って言いたくなるの。でも、偏見で頭ごなしに疑いの目を向けていたら、病気一つ治す事も出来ないわ。義父が命懸けで私に教えてくれたそういう事、私達だけが知っているのは勿体無い、って……ニュースを見ていていつもそう思うんですよ。義父の命なんて、他の誰から見ても大したものではないのでしょうけれど、私達家族にとっては、たった一つの大切な命だったから……。義父が命と引き換えに残してくれた、この無形の財産を、同じ様に闘病されている方やそのご家族とか、逆に病院を信用出来なくて苦しんでいらっしゃる方とかの、少しでも助けになるのなら分けて差し上げたい、と思って……偽善かしら?」
言いながらも、普通は偽善にしか聞こえない、と思って自ずと私に苦笑が浮かぶ。目の前の彼女がそう思うならそれでもいい。必要な部分だけを使ってくれれば、私の偽善めいた発言は主題ではない。
私は、彼女の取材理由が、自分の常々思っていたその衝動と酷似していると感じた瞬間から、彼女に全てを委ねる事に決めていた。
「いえ……不躾な事をお聞きしてすみませんでした。有難うございます。藤枝さんのお気持ちに添える作品に出来るかどうか判りませんが……出来上がったら、読んで頂けますか?」
「勿論です。お話を聞いて下さって有難うございました」
「あ、いえ、こちらこそ、貴重なお話を有難うございます!」
私は彼女に、当時の日記や闘病メモを渡し、返却時は幼馴染に渡してくれたらいいから、と伝え、彼女と会うのはこれが最初で最後にしようと決めた。
私の中の燃えかすを彼女が引き取ってくれた事に感謝しつつ、彼女からその燃えかすを返却されるのを恐れて、自分の本当の名も連絡先も告げずに彼女と別れた。
三.
その後も、幾度かのメールのやり取りはあった。物語の終盤を迎えているらしい。
『今はどうされていますか? 優介君は、今も難波医大に通っているのでしょうか。凪さんは、今はそれに抵抗はありませんか?』
ストレートな質問に少々呆れながらも、誠心誠意のレスポンスを送らせて貰った。
『優介は、今でも時折不安定になると難波医大を受診しています。私の諸々の拘りや抵抗感は、あなたが皆持っていって下さいました。今はもう、井上先生の姿を見かけても、こみ上げて来る怒りや憤りは……無い、とまでは言えないまでも、随分と小さなものになりました。あなたの作品を通して医師や患者がどうあるべきか、という事が伝わってくれると思うと、彼らの言動もいつか変わるだろう、と思っています。どうぞ、ご執筆頑張って下さいね』
読み返してみて、ふと、もう一言添えたくなった。
物書きをされる方に文章を書く、というのは緊張する。巧く伝わるといいのだけれど。
『私には、とても印象深いシーンが今でも頭に残っています。それは、息子と夫のやり取りです』
私は、義父の死を理解するに当たって、息子が『心が無い』という言葉に反応した事、それが病院を死の館にするか、治療の場にするかを分けるのではないか、と思うのです、と書き添えて返信した。
数日後、幼馴染から電話が来た。
「ごめーん、しつこくって。最後にもう一つだけ訊かせて、って彼女が」
どうやら例の『小説書き』さんと一緒にいるらしい。ひと通りの挨拶の後
「藤枝さんから見て、難波医大の今は、死の病棟ですか? それとも治療する場になっていますか?」
と質問されて、私は答えに窮してしまった。だって……私の意見がそのまま難波医大を定義付けてしまうなんて、恐ろしくて。私なりに考えた末、
「どうでしょうね。患者さんの心次第、先生方の心次第、ですからねえ」
という曖昧な返答しか出来なかった。
「でも、私達家族と優介の主治医の先生にとっては、最良の医療の場ですよ」
と付け加える事は忘れなかった。
病院全てが一刀両断出来る様な単一の場所ではない。個々の患者、医師の有り様で幾通りもの見方が出来るのだから。少なくても、私達家族と、優介の主治医とは、よく話し合い、互いの心と言葉に耳を傾け、二人三脚で障害と向き合っている。私達の意向を汲んで投薬を控えてくれるし、私達も先生の言葉を鵜呑みにせず、また頭から否定もせずに自己責任で取捨選択しながら対応を考えて、優介が主体である事を忘れずに日々過ごしている。
『小説書き』の彼女は、私のそんな想いを受け取ってくれただろうか。
私は巧く伝えられているだろうか。
それは、今の人々の心を少しでも動かしてくれるだろうか。
そんな事を思いながら、私は返却されて来た日記と闘病メモを、本棚の奥深くにしまい込んだ。




