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02. 大動脈瘤

【大動脈瘤】――病名


 全身に血液を送る大血管(大動脈。横隔膜の上を胸部大動脈、下を腹部大動脈と呼ぶ)の一部が「(こぶ)」のように膨らんだ状態の事。

 胸部では四十五mm以上(正常三十mmぐらい)、腹部では三十mm以上(正常二十mmぐらい)を一般的に瘤と診断。

 真性瘤の多くは破裂しない限り症状が無い。まれに破裂せずに出る自覚症状として、腹痛や腰痛がある。その際は破裂寸前の兆候を示している為、緊急手術の必要がある。




 一.


「お父さん、ICUに入ったから」

 義母は、そう切り出して医者からの言葉を私に伝えた。


 取り敢えず受診した病院では対応出来ず、病院が救急車を呼び、此処、難波医大病院へ搬送されたのだ、と経緯を説明された。

「場合によってはすぐ手術みたいな事を最初に行った病院で言われたんだけど、手術の内容とか難しい事を言われても、私じゃあ心許なくて承諾書にうっかりサインするのも怖いでしょう? 俊之に連絡したら、あの子はすぐには帰れない、って言うし……」

 立ち止まって話を聞く時間も惜しくなり、私は携帯をイヤホンに付け替え、病院へ向かいながら義母から話の詳細を聞いた。


 大動脈は、本来の正常値ならば三十mm程度のものが、七十mmもの横径になっているそうだ。せめて、六十mm未満だったら……と、先の病院で医師が渋い顔をして言っていたらしい。いつ破裂してもおかしくない状態だ、と。

「前回も八時間に及ぶ手術だったから、今回も乗り切ってくれたらとは思うけれど。でも、あの頃はまだ、お父さんも自力歩行も出来て体力も随分あったし、お風呂も自分で入れる程だったからねぇ。今はどうだか、という気もするし。前回は腹部だったのだけれど、今回は胸部大動脈瘤らしいのよ。身体も心配だけれど、元々気管支も弱い人だから、そっちの方が心配で、それを医者に聞いたら『そうですね』って相槌を打たれて終わってしまったし……」

 まるで不安を掻き消すかの様に、義母は延々と話し続けた。それはそのまま私に感染し……電話を切った後の沈黙と、私の険しい表情に、ずっと大人しく頑張っていた優介が怯えた声で呟いた。

「母さん、何か怖い……ドライブ、今日は怖い……」

 その言葉で、私は我に返った。

 私がうろたえてどうするの。優介は私の心の動きに敏感に反応する子なんだから、私がしっかりしなくちゃ、優介にまでこんな想いをさせてしまう。

「落ち着けー、母さん」

 と、舞台の役者の様さながらの大袈裟な口調で叫んでみた。優介も一緒になって

「おちつけー、かあさん」

 と、解らないながらも元気付けてくれた。その小さな紅葉の様な手が、そっと私の頭を優しく撫でる。

 その癒しに私はようやく落ち着きを取り戻し、同時に、今の状況を優介に説明してない事に今更気がついた。

「ごめんね、優介。ビックリだよね? いきなりバタバタ、訳わかんなくって怖かったね」

 助手席に座る優介の手を握りながら、私は自分への確認を含めて彼に現状の説明をした。

「母さんもまだよく解ってないんだけど、おじいちゃんが、とっても手術の難しい場所に大きな血の道の瘤が出来て、その道を取り替えなくちゃいけない事になったの。でも、これまで殆ど食べたり飲んだりしてなくて元気があんまり残ってないみたいなのね……」

 もしかしたら死んじゃうかも知れない、と言うと、優介がうわずった声で呟いた。

「おじいちゃん、死んじゃうの嫌だ……そんなの、悲しいから、嫌だ……」

「うん、嫌よね。だから、父さんや母さんやおばあちゃんと一緒に、優介、『待ってるねっ!』って信じて祈ってくれる? そうしたら、おじいちゃんは絶対に元気になって退院してくれると思うんだ」

 優介には、まだ小さ過ぎて解らないかも知れないとは思ったが、優介に、というよりもむしろ自分に言い聞かせたい想いで、そう話した。

 彼は涙を拭って

「泣いたらおじいちゃん、死んじゃうかも知れないんだねっ!」

 と自分で自分に言い聞かせ、気丈にも元気な声で

「頑張れ頑張れ、おじいちゃん!!」

 と自分で独自の節をつけて、車の中で繰り返し祖父への声援を送っていた。

 まだ六歳の小さな子に、私は無理をさせているのかも知れない。

 でも。

 その声が、義父の唯一の生き甲斐で、この世につなぎとめてくれるものなのだ、と、たまたま昨夜、意図した訳でもなく俊之とそんな話をしたばかりなのだ。

 以前の入院の時までは、優介にばかり頑張らせていた。でも今度は、キミ独りに押し付けず、母さんも父さんも傍で一緒に頑張るから。

 私は、そんな想いを込めて、優介と一緒に頑張れ頑張れおじーいちゃん! と、高らかにエールを送る声を発した。




 二.


 病院に到着すると、玄関で義母が私達を待っていた。

「まだ俊之が来ないのよ。凪さんにも連絡は入ってない?」

 と焦れた様子で私に聞いた。俊之に頼まれていたので、自分の病院到着後、三十分おきに定時連絡を入れる予定になっている事を義母に話し、その場で一度俊之に連絡を入れた。

「今、私も病院に着いた。今、どこ?」

『おぉ、お疲れ。まだ市内から出てもいないんだ。丁度帰宅ラッシュの時間と重なってしまって』

 おばあちゃんに替わるわね、と、携帯電話を渡し、二、三話すと電話を切った。

「社用車で移動中だから、渋滞に巻き込まれているんですって。悪いけど凪さん、俊之が来次第、ICUに案内を頼めるかしら? 私はお父さんの傍に付いておかないといけないから」

 そう告げる祖母の言葉を聞いて、優介が泣いて懇願した。

「僕も、おじいちゃんに会いたい。おばあちゃんと一緒に行く」

「優ちゃん……ありがとうね。でも、今おじいちゃんね、ICUっていう特別なお部屋に入ってるから、優ちゃんの年齢だと入っちゃいけない場所なのよ。優ちゃんの気持ち、おじいちゃんにちゃんとしっかり伝えておくから、今日はごめんね」

 それでも不安からか、執拗に一緒に行くと駄々をこねる優介を抱きかかえて抑える様にして、私は義母を見送った。義母もまた、後ろ髪をひかれる想いで、何度か振り返りながらも院内へと戻っていった。


「まだ変化なし」

「らじゃ」

 それを何度か繰り返した後、ようやく俊之が到着した。

「悪いな。凪も優も、身の置き所が無いよなぁ」

 社名の入ったユニフォームのまま到着した彼の姿から、彼なりに精一杯急いで駆けつけた様子がうかがえる。平静を保ちながらも、憔悴した顔を見て、私は結婚する数年前、まだただの同期に過ぎない頃に、義父が脳卒中で倒れて即日実家に戻らないと、と休暇の手続きを私に頼みに来た時の彼の顔を思い出した。常に、父の死に立ち会えないかも知れないという不安を抱えながら、多忙な仕事に就いている彼を思うと、自分の仕事の中断に不満を持っていられない、と、私は心の中でそっと懺悔をした。

「先生がね、取り敢えず血圧が安定しなくて、上が一八〇もあるし、今日明日の手術は不可能って仰ってるんですって。専門的な言葉を出され始めたら、もうおばあちゃんは訳が解らなくて、俊之が来るのを待ってるみたい。急いでいってあげて」

 と伝えて彼をICUへ案内した。

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