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19. 私達の選択

 一.


 自宅に帰ると、私は優介が帰宅するまでの間に発達障害と言うものが何であるかを、ネットを利用して調べ尽くした。そして、改めて意識にさえ上った事の無い事実を認識する。

 病気は治るものだが、障害は根治という概念が無いが故に障害と称する――。

 調べる過程の中で、衝動的な犯罪や、なかなか思考がシフト出来ない為に行為に固執し犯罪に至ってしまう、というレポートなども読む事になり、私の恐怖は増大した。

 優介にも、そういう素因があるかも知れない……馬鹿な……。

「ふざけんじゃないわよ……人の子を馬鹿にしてくれちゃって……っ」

 児童相談員や学校の事を信じられなくなった。優介を侮辱したばかりか、よりによって難波医大なんかを紹介するなんて、と。

 その一方で、矛盾した一つの安堵が沁みの様に心の片隅に残っていた。

 初めて、自分の所為ではないと言われた。障害がそうさせているのだ、と。誰が悪いのでもないのだ、と――。

 その言葉は、私の自責の念や、何度言っても理解しないで繰り返し問題行動を起こす優介への憤りを溶かしていったのもまた確かだった。


 その事を俊之に相談するのに一ヶ月の時間を要した。それまでに、調べ尽くし、そして難波医大以外で通院可能な病院を探し、また俊之に話そうにも、私自身が優介の障害の可能性を認められないでいた時間が長かったからだ。言葉を選びつつ、ようやく伝えた時、俊之の反応は意外だった。

「そっか……とうとうそう言われちゃったか。黙っててごめん、実はな――」

 俊之の部下に、まるで優介とそっくりな人がいて、彼の尻拭いに耐え兼ねて個人的に話をした時、彼が前の職場で“一度検査を受けて来い”と言われて退職勧告を促され、会社を辞めた経緯がある事を知ったそうだ。それを聞いて、俊之は初めて発達障害という概念に関心を持ち、職場で調べてみたところ、優介の言動に一致する事にショックを受けたらしい。

「それが、まるっきり子供の頃の俺と同じだとも思うんだ。対応次第で、ちゃんと社会で真っ当に生きられるから、絶望的にならずに、検査を受けるだけ受けてみようよ。大丈夫、今、俺って普通にこうして二人の生活を支えてるでしょ?」

 いろいろあったけど、難波医大しか無いんだよ、それはもう、割り切ろう、優介に関する全ての責任は俺らにあるから、今度は病院の話を鵜呑みにしないで、きちんと一つ一つ慎重に進めて行こう。

「検査だけなら、別に薬を打ち込まれる訳じゃないらしいし、問題ないよ」

 俊之は、そういう決断をした。

 私は、関わる事自体が、あの病院にはした金程度であってもお金を入れて、あの病院が生きながらえる事自体が嫌だと言うのに……。

 薄れていた憎悪が蘇り、再びあの病院の門をくぐらなくてはならないのか、と思うと、久しぶりに腹が痛んだ。




 二.


 二年振りに、苦々しい想いで難波医大の門をくぐる。喫茶店の位置も売店も、何一つ変わっていないこの病院……嫌でも生々しく想い出されてしまうほどに変わってない。

 だが、今回赴くのは外科じゃない、心療内科だ。

 私の不安は優介に伝染する。遊び感覚で心理テストを受けに行こう、と優介に伝え、親子三人揃って難波医大を訪ねた。

 発達障害については、父親からの方がいいだろう、という俊之の判断で、自身の経験を交えて事実を伝えた。元々私達夫婦が障害についての偏見が無いので、優介は、可能性を示唆されてもショックを受けた様子は無かった。逆に、私と同様

「何だ、僕が悪い子って訳じゃなくって、障害が僕にそうさせてただけなんだ」

 と、ほっとした風さえあった。まだ確定じゃないんだから、もし障害じゃないとしたら、お前もうちょっと頑張って努力しないとダメなんだぞ、と父に戒められていた。


 主治医の先生は、『医師』だった。

 外科や内科ではないので、比較する事自体が無謀なのかも知れないが、患者に寄り添う姿勢が、患者の不安を汲み取ろうという誠意が、私達夫婦にひしひしと伝わって来た。そして何より、患者である優介にも解り易く、という事を最優先にした説明を一貫してくれていた。質問すべき事柄さえ解らない優介に、後々不安や自信喪失に結びつかぬ様、仔細を説明してくれた。

「優介君、まだ結果は出ていないから、自分で発達障害なんだ、と思う必要はないのだよ。そして、もし発達障害だという結果が出たとしたら、それは特別な個性を貰えたんだ、ラッキーって一緒に喜んで、先生と一緒に優介君の特長を探そうね」

 と言って微笑んでくれた。

 耳年増になっていた私達が薬の服用の不安を伝えると、こんな軽度で薬の必要はないですよ、でも、大人の都合で安心したい場面があれば、頓服として処方しますがどうしますか、と判断を両親に委ねてくれた。


 同じ難波医大なのに、医師の質が雲泥の差だと感じた。

「限られた選択肢しか無いんだから、その中で、患者であるこっちが見極める目を肥やして行くしかない、って事なんだろうな」

 診察を終えて会計を待つ間、俊之は私にそんな感想を漏らした。

「そうね。あの先生なら、鵜呑みには出来ないものの、患者と二人三脚をしようっていう意気込みは感じられるわ。あの先生なら、此処に通ってもいいかも、って、私も思った」

 私は、それに答えない俊之を見て、初めて彼がある一点を見つめていた事に気が付いた。

「井上先生じゃない……」

「ちょっと、挨拶して来るわ」

 彼はそういうと、優介と此処にいて、と言い残してたまたま通りかかった井上医師の方へと歩んで行った。

 不敵な笑顔で話しかける夫と、オペ服姿のまま、困った様な顔で応対する井上医師。遠目でしか解らないので、何を話しているのかは解らないが、最後に深々と頭を下げたのは井上医師の方だった。俊之は、軽く片手を挙げて井上医師に答える形で、すぐに私達の元に戻って来た。

「何て言って来たの? 随分先生、困った顔してらっしゃったわ」

 一発嫌味かまして来てやった、と、子供の様な顔で笑って彼は言った。


『先生、ご無沙汰しております。覚えていますか?』

 俊之がそう声を掛けたら、あれだけ何度も話し合い、しかも口論が多かったにも関わらず、彼は俊之の顔が記憶に残っていなかったそうだ。訝んだ顔で見ているので

『此処の病棟で死んだ、藤枝四郎の息子ですよ。その節はどーも』

 と公衆の耳のあるところでハッキリとした声で自己紹介したそうだ。

「そりゃ……困った顔するでしょうね、死んだ、なんて……」

「うん、今日は何処か具合でも、って訊かれたからさ――」

『今日は何処か具合でも?』

『ええ、息子がお世話にならざるを得ないみたいなんですよ。外科内科じゃないのがせめてもの救いですけどね。患者ってのは、弱い立場ですよね、何があろうと頼らざるを得ない。大方の患者は、闘病で経済的に困窮してしまうから医療訴訟を起こす余裕も無いですからね。井上センセ、金持ちの患者には気をつけて下さいね。では』

 そう言って一方的に立ち去って来たらしい……。

「すっきりしたーっ」

 俊之はそう言うと、大袈裟に大きな伸びをして、いかにも爽快、という顔をして見せた。


 私が先に口にしてしまう所為で、彼は私をなだめるのに精一杯で、自分の想いを吐き出す機会がなかったのかも知れない。

 ただ憎むだけ、という無意味な事に、私も終止符を打つ事にした。今少し時間は掛かるだろうけれど、病院の言い分や言い訳を鵜呑みにした自分達にも非があると反省をし、同じ失敗を繰り返さない事で再発を防止していけばいいか、と割り切る気持ちにようやくなれた。

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