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18. 難波医大

 一.


 ――二度と、難波医大の世話にだけは、ならない。

 そう思っていた。当時の、あの臓物が煮えくり返る様な激しい憎悪は和らいだものの、煮詰まった憎しみがこびりついて、心の片隅に小さな黒ずみを残したまま、二年の歳月が流れていた。

 一時期はどうなる事かと思った。

 腑抜けの様に放心した義母、その時期を越えたかと思ったら、これまで義父の我侭を耐え忍んで来た反動が一気に溢れ出たかの様に子供返りをして、随分と私は彼女と衝突もした。義父とやり合えなかった“腹を割って話す”という事を、義母と重ねて行く事で、私は徐々に本当の意味で家族になっていかせて貰っていた。

 今では、喧嘩しながらも仲の良い、極普通の――否、案外、普通以上に仲の良い嫁姑になれているのではないか、と思う。

「え~、親娘じゃなくてお嫁さんなの?」

 身体が弱って来た義母が通う、ホームドクターと決めている個人病院で、患者仲間のご婦人達に驚かれ、どこかこそばゆい気分で笑顔を返す私がいた。

 もう、あんな事は忘れて、健康管理に気をつけて、このまま大学病院の様な黒い謎に満ちたところなどの世話にならないでいたい、そう思っていた。


 息子の優介が三年生の一学期が終わる頃、学校の個人面談があった。その時に通知表も受け取るのだが……生活態度の成績があまりにも酷いものだった。とは言え、もう既にその酷さに慣れてしまい、私は溜息と共にまた担任に謝罪をしながら(こうべ)を垂れる。

「いつも先生やクラスのお友達にご迷惑をお掛けして申し訳ございません……」

 厳しく躾けているつもりなのですが、どうにもすぐに忘れてしまうのか、思い立ったら衝動的にすぐ態度に出てしまって、といつもの様な言い訳をする私に、担任が私の顔色を窺うような上目遣いの視線で、言葉を選び選び口にした。

「前任の先生ともお話していたんですけれどね、あの、優介君が悪いのでも、お母さんのご家庭での教育が悪いのでも無いんじゃないか、と思うんですよ……申し上げている意味が、解ります?」

 お母さんがご自分を責めていらっしゃるのが、担任としてもとても辛い、その悪循環が優介君の問題行動を余計に誘発しているのではないか、一度学校の児童相談で専門の保健士と話をしてみる気持ちはないか、と打診された。

「はあ……解りました。自分の時間の都合を申し上げる事は可能なのでしょうか?」

「あぁ~……ごめんなさいね、お母さん。家の学校の順番は、月曜日の午後だけなんですよ。勿論、お仕事の都合などもあるでしょうし、相談員の先生の予約の状況の都合もあるので、とにかく一度はお話をお受けしてみる、という感じで、それ以降は相談員さんと決めたらいいと思いますよ」

 仕事が決まったばかりでまた休みがちになる事は避けたかったので、取り敢えず、まだ仕事のシフトを入れていない日に予約を入れた。




 二.


 児童相談員の田口先生は、既に学校から優介の生活態度や教材など、諸々の資料を確認済みで、後は私から家庭の状況を聞くだけだ、と言った。

「そんなに緊張しなくても、お母さんも随分長い間大変だったでしょう? 愚痴を話す感覚でいいんですよ」

 と彼女はにこやかに私の緊張をほぐしに掛かった。

 実は、私は同居前の市でも似た様な児童相談を受けていた。優介が、保育園や同年代の子達と馴染めず、幾度と無く園の脱走を繰り返したり、保育士としか対話が出来ず、やはり児童相談を担任保育士から勧められたからだった。その際に言われた事が

『甘え足りないのでしょうから』

 という事。優介には専任の保育士がつけられ、手取り足取り、逐一子供との関わり方を優介に指導してくれ、卒園する年には専任の保育士が付かなくても、子供同士で遊び学び、保育園から逃げ出す事も無くなった。それはそれであり難い話だったが、母親失格と宣告された様で、私のプライドは傷ついた。

 また、同様の事を言われるのだろうか、と、私は田口先生に警戒しながら、言われる前にいっそ自分から自覚している旨を伝える方がマシとばかりに、生育歴を全て伝えた。

 彼女は学校と家庭からのそれぞれの資料を何度も繰り返し目で追って、そして私の言葉をメモしたノートをあわせ見て、聞き慣れない言葉を口にした。

「あのね、気を悪くしないでね。お母さんは、だいぶ自分の責任だと思って自分を責めているけど、そうじゃあない、と思うの。だからと言って、優介君の責任でもない。彼は自分で、授業中に席を立って出て行ってしまったり、友達の勉強道具を取ってしまったり、次の授業の準備にすぐ移れない、というのはいけない事だと解っているようなのね。解っているのに、ちゃんと出来ない。そんな自分がダメな人間だ、と、あんな小さな幼い心でとっても傷ついているの。だから、鉛筆で自分の身体を傷つけちゃうの。お互いに自分が悪いと思ってるなんて、そんな悲しい事って、ないわよね? ちゃんと、事実を確認しましょう?」

 優介君に、発達障害の検査を受けさせてやっては貰えませんか――?

 一度、検査をしてみて、何でもなければそれで御の字でしょう、と言って、県内で唯一、児童発達障害を扱っている病院を紹介された。

「難波医科大学附属病院……」

 それは、義父を殺したあの病院だった。

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