01. 序章
Hospital Hatred Syndrome 【病院憎悪症候群】――造語
確かに、私は決して出来の良い嫁ではなかった。義父との折り合いは決してよいとは言い難かった。
それでも、だからといって、死んで欲しいとは思っていなかった。
それも、こんな形で……。
一.
二〇〇三年十二月一日。
師走に入り、私が働く個人の市政事務所は、年間を通して最も忙しい時期に差し掛かっていた。年賀状の作成、印刷、年明け早々の新年会に向けての案内状の作成、今年から、郵便のバーコード割引のサービスが始まったので、そのソフトを使いこなせていない今は、宛先の印刷に手間取り苛付いていた。
今日中にせめて二〇〇枚は印刷を済ませておかないと、通常業務もはかどらない。
苛立ちから却って仕事の効率が悪循環していると感じた私は、気分転換も兼ねてランチを先に済ませよう、と席を立った。その時、事務所の電話が鳴り響いた。
「はい、楠辺市政事務所でございます」
『あ、藤枝と申しますが、いつも家内がお世話になっております』
電話の主は、夫、俊之だった。珍しい。職場に電話を掛ける事を嫌う彼が、携帯電話ではなく事務所の方に掛けて来るなんて。
「私よ、俊之。どうしたの、珍しい」
自分の妻の余所行きの声をすっかり忘れた元私の同僚は、一瞬照れ臭そうに「あ? 凪だったのか」と語調を崩したが、すぐに深刻な声のトーンに戻し、敢えてわざわざ事務所の人たちにも解る方がよい用件を私に告げた。
「じいちゃんが今、救急車で難波医大病院に向かってる」
凪に先に病院へ向かって欲しい事を先生に事情を説明したいから替わって、と俊之は私に告げた。
「先生、お忙しいところ申し訳ありません。義父が倒れまして、主人から先生に替わって欲しいと電話が入っているのですが宜しいでしょうか」
理解ある上司は、
「構わんよ、君のご主人の事だから律儀に筋を通してくれる用件だろう。すぐに帰り支度をなさい」
と言って、すぐに電話を取ってくれた。
私が深々と礼をすると、『了解』のサイン代わりに手を軽く挙げ、そのまま帰る様にと言う仕草で、手を数回外向きに振った。
二.
事務所では、それなりに仕事をこなしてくれると評価を戴いている私だが、嫁としての私は及第点も怪しい『ダメ嫁』だった。勿論、自分でこう言うのは慇懃無礼もいいところで、義父母が私をそう思っているのを知っているだけだ。私は私なりに精一杯やっているという自負がある。
甘ったれで親に頼り切りだった俊之と、一度ならず離婚騒ぎを起こしてまで乳離れを強要し、それの為に義両親に“俊之が親を邪険にするようになった”と嫌味を言われる事にも慣れる程、俊之を親の援助を当てにしない一人前に鍛えたつもりだ。
そうでないと、息子の優介に父親としての見本の背中を見せられないから。
彼が以前の職場を衝動的に辞め、給料が下がった所為で私もこうして小さな優介を保育園に預けてまで仕事をしているのに、義父母にしてみれば“家庭をおろそかにしているダメな嫁”に映るらしい。
そう言われながらも、嫁としての意地で、高齢で体が弱い義父が不調を訴える度に、夜中であろうと何であろうと、即時車を出して救急へ運んだり、退院後のお世話も休日や仕事が早く切りあがった時などは実家に赴いて手伝うなど、出来る範囲の介護の手伝いもしているつもりだ。
年の半分は入院してしまう義父。この一年は無事だと思ってほっと胸を撫で下ろしていたが、一昨年は原因不明の皮膚が壊死していく病気で、その前は心臓の不整脈で、その更に前は……あら、何だったかしら?
そんな感じで、毎年何かしら入院しては、いつもお世話になる難波医大病院へ運ばれていた。
だから、今回もいつも通り、半年程入院したら、また帰って来るという程度の病気だろうと思っていた。
「憎まれっ子世にはばかる、って言うもの。六年前の、あの大動脈瘤の時でさえ覚悟したのに帰って来ちゃったものね」
誰に聞かれる事も無い、自分でステアリングを握る車中で、私は仕事に支障が出た事や、これだけ配慮しても感謝される事も無いという苛立ちを声にして文句を言う事で、面と向かっては『とぼけて気の利かない、説教してものれんに腕押しのタフな嫁』を演じられる様にと心の膿を吐き出した。
来年の春からは同居する事に決めたばかり。今の内に膿の出し方も心得ておかなくちゃ、などとのん気に考えながら――。
三.
息子の優介をまずは迎えに行く。
「すみません、おじいちゃんが入院して、すぐに病院に向かう事になったので、早いお迎えで申し訳ないのですが宜しいですか?」
先だって小学校で無差別児童殺傷事件が起きて以来施錠される様になった門から、インターホン越しに苛立つ気持ちを抑えて事務員にそう告げると、数分後に優介が飛び出して来た。
「母さーんっ、今日はお迎え早いんだっ!」
無邪気な愛息の喜びの笑顔が、尖った私の心を和らげていった。
慌ててサンダルを履いて追いかけて来た保育士に、急な申し出を詫び、私は優介を抱き上げてコッソリと耳打ちをした。
「お迎え早いんだけど、ごめんね。またおじいちゃん、病院なの。我慢を頑張らなくちゃいけないけど、後で優介の好きなお夕飯、食べに連れて行ってあげるから、一緒に頑張ろう?」
優介のキラキラとした瞳が途端に寂しげに潤んでいく。
「おじいちゃん、またどっか苦しいの? 可哀想……」
僕、頑張れるから、おじいちゃんを早く治してあげよう、という彼の言葉に、私は恥ずかしさのあまり、優介から顔を背けてしまった。
――こんな小さな子でさえ優しさを見せるというのに私ったら……。
優介のお陰で、私はいつも猛省させられる。彼がこうして私の醜い心を浄化してくれるから、これまでもどうにかやって来れていた、と思う。
――世話になる立場の方が心苦しくて、病気の苦しさもあって大変なのよね。
そう自分に言い聞かせ、ようやく私にも笑顔を浮かべる心の余裕が出来た。
俊之に指示されたとおり、取り急ぎ実家に足を運ぶ。
先程まで抱いていた自負心は吹き飛んだ。本当に火急の入院だった様で、いつもならば入院道具一式を、義母が用意しておくはずなのに、何処に何があるのかが分からない。
私は今まで一体何をして来たというのだろう。つい先程までの自分の慢心に苛立つ自分を持て余した。
だが、そんな事にかまけている場合じゃない。私は気を取り直して、自分の解る範囲での準備を始めた。
半身不随の為導尿しているので、尿漏れ用の紙おむつと、入れ歯ケースに老眼鏡、うろ覚えで確か洗面器もあったような気がする、と納戸から名前入りのそれをまとめて風呂敷に包む。保険証と、既往歴を確か以前パソコンで作ってあげた気がする、と思い出して、義母が書類をまとめている書棚を漁っていると、その最中に携帯が鳴った。
「もしもし? おばあちゃん、今実家に着きました」
ディスプレイに表示された義母の名前を認めると、私は受話早々に状況説明と他の準備品の確認を急いだ。
「日用品は明日でもどうとでもなるから、とにかく今は、俊之の印鑑と私の印鑑を持ってすぐ来てくれる?」
六年前に手術した大動脈瘤の、すぐ上の部分が今度は腫れている事が判った、と義母は私に早口に伝えた。
――六年前に、一度覚悟を決めた、あの瘤がまた……?
憎々しくも、時折見せる愛らしい義父の一面がこういう時に浮かぶのは、結局私が夫の両親を文句を言いながらも憎からず思っている事の証だった。