五週記念 黒猫と彼女
次の日、月曜日。
ようや彼女と約束通りに
自分自身で小説を
描いてみようとした。
一口に小説といっても
そんなに長い小説は
時間的には描けないと
思ったので短編小説で
いいかなと思い、
早速、近くの文具店で
原稿用紙を買ってきて、
部屋の机に座って、
シャープペンを手に
取ってみる。
しかし、一向に
シャープペンは
動き出さない。
一文字だけ、描いてみる。
すぐに消しゴムで
文字はゴムのカスと
なってしまう。
(読むのは簡単だけど、
描くのは数倍いや、
数百倍難しいんだな)と
安請けしてしまったこと
を少しだけ後悔した。
机にかじりつくとは
このことをいうのかと
いうぐらいに必死に
考えてみたがそれでも
思い浮かばない。
3時間、机が粉々に
なりそうだし、
何の進展もないので
あきらめて、夏の課題を
やり始めた。
僕の高校は課題が
大量というか、
殺人的な量を出されて
去年の休みあけには
それこそノイローゼ
一歩手前に陥る奴らも
いた。
それでも、どこの
学校にも秀才はいる
もので、大半が秀才の
周りに押しかけて
ノートを写していた。
僕も勉強は出来ない方
なので友達の秀才に
最後には頼むものの、
それまでは自分で
やろうと決めていた。
時々、数学のサイン、
コサインが将来に
活用できるのか、とか
古文の文法覚えた
ところで、会社で
古文の現代訳を
やらされるのかと
ありがちだけど
そう思う。
先生達は勉強よりも
大切なものがあると
言っておきながら
授業以外の交流は
必要最低限に留める。
小学校ではあったはずの
「道徳」の授業が
中学の時間割りの中に
なかったときは
少しだけ寂しかった。
「道徳」の授業は
とても好きだった。
自分がもしこんな立場で
こういう状況なら
どうするか?
クラスのみんなとは
少しだけ違うけど
より良い選択を
考えるのが好きだった。
将来に必要な
心の教育をしないのに
勉強よりウェイトを
重くしているのは
はたから見れば
可笑しなことで
滑稽なのではないか。
それに疑問を持てない
一般社会は(僕も含まれるが)皆が何かに洗脳されてしまったなのか?
それでもそれを
否定できない僕は
夏休み中盤の
今日に課題の半分を
終わらせて、バイトに
出かけた。
ひょっとしたら
何か思いつくかもと
思った僕はメモ帳と
シャープペンを
店の服の胸ポケットに
入れて働いた。
ナカオカさんは
先週とは違い、
いつものナカオカさんに
戻った。
注文された焼酎を
持っていくたびに
一人で浮かれた宴会を
しているかのように
よく飲み、一気飲みを
していた。
「ナカオカさん、
そんな飲むと
倒れて救急車ですよ」
というと高らかに笑い
「救急車ぁ!上等だな!
死ぬまで飲んでやる!!」
ナカオカさんは
焼酎を一気飲み干して
「おかわり!!」と
僕にグラスを渡した。
「先週は何か
あったんですか?」
グラスを受け取り、
座敷から降りながら
聞いてみると
「何かあったかって?
あきらめただけだよ!
単純にな。そうとすれば
話しは簡単だったんだ。
それだけ」
酔っていて
支離滅裂だったし
意味が分からないが
ナカオカさんは
何かを先週あきらめるか
あきらめないかで
悩んでいたようだ。
元気そうになった
ナカオカさんを見て、
大将は嬉しそうだった。
「やっぱり元気な
ナカオカさんの方が
いいなぁ~。今日は
一杯サービスするよ」
「よっしゃあ!!」
ナカオカさんの雰囲気に
連れられて店内は
大宴会になった。
女将さんが僕の肩を
叩き、「ありがとう。
今日はもういいよ」と
言ったので
店の奥に行って
帰る準備をしていると
女将さんが後から
入ってきて
いつものように
タッパーに入った
おかずを渡してくれた。
「有難う御座います」
と僕が御礼を言うと
「ナカオカさん、
頼んだよ…」
帰りの任務を言い渡した
が、何か普段とは
少し様子がおかしかった
「どうかしたんですか?」
と聞いてみると
声をひそめて
「今日のナカオカさん、
何か変じゃなかった?」
「いや…変と思ったのは
先週ですけど?」
「先週は…」
女将さんは言葉を
濁らせた。
「先週は調子が
悪かったんじゃない?
でも、今日の飲み方は
異常だったわね。
ナカオカさんに
何かあったら
うちの人、心配するから
変なことがあったら
私に教えてね」
そう言い残して
女将さんは仕事に
戻っていった。
僕は泥酔した
ナカオカさんを
連れて店を出た。
普段より飲んだためか
猛烈な酒の臭いが
僕の鼻を襲って
僕も酔っ払って
しまいそうだった。
千鳥足がわずかに
入った歩き方で
ナカオカさんの部屋に
到着した。
ハタチになったら
酒弱そうだなと
思いながら布団を敷き
ナカオカさんを
寝かした。
部屋にはやはり前と同じ
城のポスターや
模型があった。
一つだけ、テーブルの
上に見慣れない
十字がはいった
白い封筒と中に
入っていたと思われる
折り畳まれた紙が
広げておいてあった。
気にはなったけど
他人のものを見るのは
失礼だと思って止めた。
部屋の電気を消して
ドアを開けてから
「おやすみなさい」と
返ってこない返事を
暗い部屋の奥から
少しだけ待って
自分の部屋に戻った。
次の日。課題を
やっていると
ドアを叩く音がした。
ドアを開けてみると
ようが立っていた。
「どうした?」
「本描くの進んでる?」
僕は頭をかきながら
謝った。
「ごめん。なかなか
いいはなしが出来ない」
ようは靴を脱ぎ、
パタパタと走って
居間にいった。
「描いたやつ、どれ~?」
ように追いつき、
「残念ながら
まだ一文字も
描けてません」
「フーン、残念だ~」
「なかなか難しいんだよ。
本を描くのはね。
何か飲む?」
「ココア!!」
「よし、ちょっと
待ってな」
台所で乾いた
マグカップを2つ
取って、粉のココアを
スプーンで入れて
お湯を注ぐと
ココアの甘い匂いが
広がった。カップの
底に粉が残らないように
注意してかき回した。
ココアの液体が
更に濃い色になった
気がした。「はい、どうぞ」
「ありがとう!!」
するとようは
カップを持ったまま
顔をしかめて
「お兄ちゃん、
夏なのにHOTだね。
暑くないの?」
確かにそうだと思った。
しかし、
「ココアはHOTで
飲むものでしょ」
「お兄ちゃんは
HOT派なんだね」
と言うと
二人で汗をかきながら
ココアを飲んだ。
飲むのやめて
カップを両手に持ち、
ようが言った。
「お兄ちゃん、
アイデアが出ないときは
何かひとつに絞って
考えるといいんだって。
何かの本に書いてあった」
小学生らしくない
知識を持つようは
時々、自分より
大人なんじゃないかと
思うときがある。
「良いこと聞いたな。
ひとつのことに絞るか。
なんか描けそうな
気がしてきたよ。
ありがとう」
ようの頭をなでると
嬉しそうに笑った。
がひとつのことに絞ると
聞いても、全く描けない…
土曜日に再挑戦をしたが
かじりつくだけ
かじりついて終わった。
日曜日。
午前中の家事を
しながらもアイデアを
出そうと必死に
考えたが、包丁で
指を切ったり、
洗剤を入れないまま
洗濯機を回したりを
繰り返したので
思考を中断した。
自分の脳みそが
ふにゃふにゃの
乾燥したスポンジの
ように感じた。
昼食を早めにとって
ベンチで座りながら
考えようと思い、
ドアを開けると
ようがサッカーを
していた。
「公園に行くの?」
「うん、一緒に
来ないの?」
「いいよ、邪魔しちゃ
悪いしね。帰ってきたら
本読ませてね」
「あのな、」
描けなかったことを
言おうとしたとき
大家さんが部屋から
出てきて
「よーう!!
ちょっと来なさい!!」
「じゃあね、
頑張ってね、お兄ちゃん」
走って行ってしまった。
ベンチに着いた。
彼女はまだ来てない。
まだ12時30分だからか、
普段は1時30分だ。
人は変わらずいない。
静かなところで
一人でうーんと
うなって考えていると
僕だけがうなって
いるわけではないと
気がついた。
周りには僕しか
人は見当たらなかったが
何かが鳴く声が
聴こえた。
何だろうと思って
立ってベンチの周りを
みてみると
ダンボール箱が
ベンチの後ろの
木の影に置いてあった。
中を覗いてみると
汚いタオルがひいてあり
猫が二匹いた。
一匹は大きく白い猫。
もう一匹は小さく黒い。
母猫らしい白猫は
黒い猫をしきりに
なめているが
黒い猫はぐったりと
横になって
目を閉じている。
肋骨は浮き上がって
形があらわだった。
呼吸は辛うじて
確認出来たが
明らかに衰弱していた。
「大丈夫か?」
反応したのは母猫で
僕を警戒し始めた。
フーフーとうなる。
黒猫の様子を見ようと
手を伸ばすと
母猫はひっかき
噛みつこうとしてきた。
「何しているの?」
後ろから彼女の声がした
「ちょっときて」と
手招きする。
彼女は猫をみると
すぐに黒猫を
抱こうと手を伸ばした。
母猫は彼女の手に
かみつき、フーフーと
うなる。
「大丈夫よ。
大丈夫。何もしないよ」
彼女は母猫に
優しく話しかける。
しばらく母猫は
彼女の白い手に
噛みついていたが
やめた。そして
その傷をなめた。
「このこは任せて」
黒猫を抱きかかえて
「近くの
動物病院に行かなきゃ?
知ってる?」「ここからすぐの
場所にあるから
ついてきて」
僕達は黒猫を
病院に連れて行った。
病院はすいていたので
すぐに診せることが
できた。
メガネをかけた医者は
黒猫の瞳にライトを
あてたり、体をさわったり
したあとに僕達に
「かなり衰弱しています。
もう数日経っていたら
危なかったでしょう…
目が見えなくなり
かかっていますが
命に別状はないでしょう
3日間こちらで
預かりますので
明後日また来て下さい」
「有難う御座います」
僕がそう言って
診察室を出ようと
すると
「あぁそうだ…
お金はいらないよ」
にっこり笑って
医者はそう言った。
「捨て猫だし、
救った君達からは
お金はとれないよ。
小さな命を救ってくれて
ありがとう」
僕達は小さな病院を
でていった。
「大丈夫で良かったね」
彼女は僕の右にきて
歩調を合わせて
歩いている。
「そうだね。
目は見えないかも
知れないけど
助かって良かった」
僕は母猫を思い出した。
まだダンボールの中で
子供の帰りを
待っているのだろうか、
それとも、子供のことを
忘れてどこかに
行ってしまっただろうか
それでも、母猫が
子供を守るための
必死な表情が
頭に浮かぶ。
「母って凄いな」
僕がぽつりと
独り言のように
つぶやくと彼女が
僕の顔を覗きこんだ。
こんな近くで
彼女の顔を見るのは
初めてだった。
瞳は透き通っていた。
が、その奥には
水の底で沈殿している
泥の濁りのような
影が見えたのだった。
「そう?母親って
そんなに凄い?」
その口調には
冷たい氷のような
感じが含まれていた。
僕は違和感を感じずには
いられなかった。
彼女の表情は
悲しげであった。
彼女は顔をそむけて
またさっきと同じように
歩きだした。
公園に戻ってみると
母猫はどこにも
いなかった。
「やっぱり…」
彼女がそういうのが
確かに聞こえた。
その声は軽蔑を
こめられていた。
二人でまたベンチに
座って僕達は
話しし始めた。
5時のチャイムが鳴ると
彼女が思い出したように
言った。
「そうだ!小説は?」
僕は正直に言った。
「ごめん。なかなか
良いはなしが
考えられなくて。
来週必ず描いてくるよ」
彼女は申し訳なさそうに
「催促してるわけじゃ
ないんだよ。ただ
進んでるのかなぁと
思って聞いただけ」
ベンチから立ち上がり
「じゃあ、来週
楽しみにしてるね。
バイバイ」
笑いながら
手を振って別れた。