一週記念 池の噂
サボったカーテンを
恨めしく思いながら
乱暴にしめようとした。
しかし考え直した。
乱暴にしめるには
カーテンにとっては
理不尽だろう。いつもより
恭しく丁寧にしめた。
今日は久しぶりに
ちゃんとした日曜日が
過ごせそうだ。
大学をでて、出版社に
就職できた。今の不況の
最中に希望した仕事に
就けて嬉しい限りだ。
小さな雑誌の新人編集。
締切はいつもギリギリ。
担当をしている
4コマ漫画は結構な人気らしいというのだから、そこそこだろう。
漫画家は今回は珍しく
締切2日前に原稿を
描き上げていた。
よって今日は純粋な
休日が送れると昨日は
ウキウキしながら眠った。
午前中はずっと寝てようと
考えていたが、
妙な夢とわずかな
サボタージュにより早々に
眠気が覚めてしまった。
まだ7時を少しばかり
過ぎたところだ。
ベッドから起き上がり
やかんに水を入れる。
蛇口からはキラキラと
気持ちよさそうに水が
でているが、寝ぼけた
目には何の印象も
与えなかった。
やかんをガスコンロに
置いて、火をつける。
一人暮らしの部屋には
ベッドとテーブル、
本棚、机ぐらいしかなく、
すっきりしている。
普通なら、25歳の男が
一人暮らしならば
もっと汚い。ゴミ箱には
何ヶ月前の生ゴミが
底で腐臭を放ち、カビて
いるに違いない。
綺麗に片付けた部屋は
長い一人暮らしの
経験によるものだと
しみじみ思った。
辿り着いた結論は
「自分が掃除しなきゃ
汚れたい放題」だ。
テーブルの前に
座ると伸びがしたくなった
手足を伸ばすと
どこかの骨が鳴った。
少しだけだるさが
抜けた気がしたが
まだまだだった。
ボーっとし始める。
今朝の夢について
考え始めた。
あの温もりは
一体何だったんだろう?
僕は一体何をみて
何をすべきだったんだろう?
未だに答えは出ない。
ただわかるのは
夢は僕の夢であった
ということだ。
求めていたものだ。
名もない日常の日々に
僕は憧れていた…
そこでやかんが
水が沸点に達したことを
やかましくピ~~と
告げた。僕の思考を妨げる。
やれやれと立ち上がり
火をとめる。満足げに
静まるやかんを持ち上げ
インスタントの
コーヒーが入った
マグカップに湯を
注ぐと部屋に独特の
匂いがたちこめる。
トーストを焼き、
簡単な朝食をとる。
熱いコーヒーで
眠気はどこかの空に
飛んでいった。
予定は特にないことに
気がついた。
読みたいと思う本は
最近は出版されてない。
観たい映画もなく、
遊ぶ友人達はまだ
夢の中だろう。
わざわざ連絡をしてまで
遊びたいとも思わなかった
(それなら…)
急に思い立った。
シャワーを浴びて
ヒゲも剃り、出掛ける準備をする。特には何も持たず、財布と携帯と部屋のカギぐらいだ。
部屋を出て、カギをしめる。
日曜日の朝はまだ
静かであった。
それはちょうど
高校2年の夏休みに
入った頃だ。
その日はカーテンは
ちゃんと仕事をしてたが
僕は起きていた。
7時に起床。
体内時計は夏休みを
知らないまま動いた。
いつも通りの日曜日。
金曜日には終業式が
あった。校長や教頭は
無味乾燥な話ばかりで
皆が蒸し暑い体育館で
うんざりしていた。
多分、校長や教頭は
自分達が長いこと
説教をしなければという
一種の使命感を
持っているのだろう。
それは迷惑な話だ。
自分達の学生時代を
振り返ってもらいたいものだ。
終業式は終わり
学生は皆がそれぞれの
夏休みを迎えた。
ベッドから起き上がり、
カーテンを勢いよく
開けると朝日が差し込む。
眩しくて目を細める。
どこかで鳥のさえずり。
まさしく朝だ
と言わんばかりの
ありふれた朝だった。
朝食をつくる。
磁石でメモが貼ってある
冷蔵庫を開けて
中身を一通りみる。
いつもは適当だが
日曜日の朝だけは
少しだけ手間をかけて
つくっていた。
昨日安かった鮭と
豆腐と大根を取り出す。
鮭を焼き、豆腐と大根で
味噌汁をつくる。
炊飯器でご飯を炊く。
そうだと思い出す。
冷蔵庫を再び開けて
ひじきを取り出し
煮物をつくりはじめる。
ものの数十分で
朝食を完成させる。
皿や茶碗に盛り付ける。
それぞれが忙しそうに
湯気をあげている。
テーブルにつき
朝食全体をみる。
野菜がないように
感じた。はしとコップを
キッチンに取りに行くと
野菜ジュースが
あったことを思い出す。
猫舌な僕は熱々の味噌汁に
悪戦苦闘しながら
いつもより二倍近い
時間をかけて朝食を
食べた。小さいころに
よく言われた
「よく噛んで食べる」を
完全に無視した朝食は
苦労してつくってためか
いつもより少しだけ
美味しく感じた。
さっきまで味噌汁が
入っていたお椀は
名残惜しそうに
まだ湯気を出していた。
食器を片付けて
洗剤とスポンジで
洗う。一年間の成果だろうか、
最近は少しの洗剤で
多くの食器を洗える。
成長した自分に感心する
全部を洗い終わり、
乾いた布で拭いていると
チャイムを鳴らす音が
聞こえる。
玄関に行き、ドアを
開けると65歳ぐらいの
女性が立っていた。
「いつまで寝ているの?
学校は?」と心配そうな
表情と声をして
聞いてくる。
「今日は日曜日だし、
学校はもう夏休みです。
だからゆっくりして
いたんですよ、小母さん」
彼女は僕が住んでいる
アパートの大家さんで
よく料理のあまりとか
譲ってもらう。
とても親切で
世話をするのが
大好きな人だ。
アパートの一室で
同じように一人で
暮らしている。
大家さんの後ろから
ひょいと小さな男の子が
出てきた。
「お兄ちゃんも
夏休みなんだ!!
じゃあ一日中
サッカーして遊べるね」
小さな男の子は
大家さんの孫で
小学2年生。
遊びたい盛りで
土日はいつも
おばあちゃんの
アパートに遊びに
来るのだった。
「ダメ。先ずは
宿題をやってから」
そう言われると
膨れっ面をして
「え~」という。
「起こしちゃって
ごめんなさいね」
と申し訳なさそうに
曲がりかけた腰を
少しだけおって
僕にいう。
「大丈夫です。
もう起きていたから」
「そうなの。良かった。
休みなのに偉いわ」
じゃあ、と言って
孫の手を引っ張り
部屋に戻ろうと
歩きだした。
「お兄ちゃん!!
宿題やったら一緒に
サッカーしよう!!」
「わかったよ」
微笑みながら返事した。
午前中は一通り
家事に追われて過ごす。
決まってそうだ。
着ていたパジャマを
抜け殻のように脱ぎ捨て
昨日の服と一緒に
洗濯機に入れて
スイッチを押す。
洗濯機が回っている間、
部屋の掃除をして
掃除機をかける。
かけ終わると
洗濯機が音をたてて
止まる。しわしわに
なった抜け殻たちを
パンパンと引き伸ばし、
干す。それと同時に
布団も日光浴させる。
風がふくと洗濯物は
生きているように
踊りだす。それは
なんだか奇妙なものだ。
家事を終えて
12時ぐらいに昼食をとる。
そして1時30分頃に
僕は本を数冊持って
部屋を出て公園に向かう。
アパートを出るとき
サッカーをやっている
二人がいた。
「お兄ちゃん!」
先に気づいた男の子が
大きな声で僕を呼ぶ。
大家さんも気づいて
こちらをみる。
「あら、公園に行くの?」
「はい」
「お兄ちゃん、
サッカーは?」
「おばあちゃんと
一緒にやってもっと
上手くなったらね。
お兄ちゃんは公園に
行くの」
「公園?」
「そう。大きな池がある」
「あそこかぁ~」
男の子は下を向き
何か考えたあとに
僕に向かって
「あそこってお化けが
でるんでしょ?」
「お化け?」
そんな話は聞いたことが
なかったので驚いた。
「うん。奥の小さな池に
夜遅くに行くとね、
白い女の人が立って
泣いているんだって」
ってとなりのクラスの
ヨッチャンが言ってた、
と最後に付け加えた。
「そうかぁ~
お兄ちゃん、いつも
そこで本読むけど
見たことないなぁ~」
しゃがみこんで
目線をあわせていう。
「夜遅くに行かないと
ダメなんだって~。
お兄ちゃんはいつも
5時ぐらいに帰って
きちゃうからだよ」
それもそうだと
納得した。幽霊は
夜に出ると相場は
決まっているのだ。
「じゃあ、今日は
夜まで居てお化けと
会ってくるかな~」
と冗談で言ってみた。
そしたら、
「僕も連れて行って!」
目を輝かせた。無論、
「ダメ!!お化けと
会ったらよう君
オシッコ漏らすでしょ」
大家さんがNGをだす。
小さい子がお化けに
興味をもち、怖がるのは
いつの時代も変わらない
「漏らさないよ!!
ねぇ、お兄ちゃん
お願いだよ」
小動物のような
うるうるした瞳で
お願いされたので
断るのに少しだけ
心を鬼にした。
「大きくなったらな」
とポンポンと頭を
優しく叩いた。
「ちぇ~」と口を尖らす。
立ち上がり、行こうとする
「5時には帰って
くるんだよ。近頃は
何かと危ないからね」
「わかりました」
5時が門限の高校生が
どこにいるか疑問だが
いつも僕は守る。
多分、小母さんの中では
僕はまだ子供なんだろう
夏の空はやけに
青かった。
遠くに入道雲が
見える。どこかが
にわか雨にやられている
こっちには来ないで
欲しいなと思いながら
10分歩いて公園に
向かった。
今日は夏とは思えない程
過ごしやすい気温で、
太陽も心なしか
普段よりにこやかで
あるように見えた。
公園につくと多目的広場に
親子づれが沢山いた。
そこを通り過ぎると、
博物館がある。
中では恐竜の骨やら、
貝の化石やらがある。
昔、ここら一帯は
海だったらしく
サメの歯の化石なんかも
出ているそうだ。
博物館の脇には
バスも停められる
広い駐車場がある。
博物館を見た後に広場で
遊ぶのが近くの小学生の
遠足のパターン
更にそこを抜けると
遊具が沢山ある場所に
出る。そこでは
毎日子供達で
賑わっている。
ブランコや滑り台、
シーソー、ジャングルジムは
勿論、特殊な白い
山のようなトランポリが
人気を博している。
更に奥にいき、
長い林を抜けると
そこに池がある。
一番最初の広場にも
大きな池があるが
そことは違い、
こぢんまりしていて
静かだ。奥過ぎて
誰も来ないのだ。
多分、この公園のここに
池があるなんて
知らない人が
沢山いるだろう。
一人で読書をするには
ちょうど良い場所だった
ひときわ大きな木が
池のまわりにある。
そこに誰が置いたか、
二人がけのベンチが
あるから、そこに腰掛け
5時近くまで居て、
子供向けの公園内の
5時の音楽を聴いて
帰るのが僕の日曜の
午後だった。
今日も来てみると
例のごとく誰も
いないので、気ままに
読みふけった。
読む本は決まってないが
だいたいが推理小説や
ミステリー、ファンタジーだった。
他人が敬遠しそうな
昔の堅い小説も読んだ。
どの本も自分とは
違った価値観の人生を
歩む。それがたまらなく
面白く、不思議だった。
異なった価値観は
自分では思いつけない。
言うなれば違った人に
なる。それが小説を読むと
出来る。僕はそれが
楽しくて読んでいるし、
勉強にもなる。
読み始めると完全に
物語の中にダイブする。
言葉通りに。
物語という大海の中を
泳いでいき、
一つ一つの言葉の
意味を読み解いていく。
宝を探すようなものだ。
作者がいいたいことを
一つ一つつかんでいき
冒険していくのだ。
どの海も違ったもので
荒れていたり、
穏やかだったり、
汚かったり、
綺麗だったりする。
一度、ダイブしたら
なかなか戻ってこれない
気づくとあっと
言う間に時間が過ぎる。
今日もまだ10分ぐらい、
と思っているうちに
5時がきてしまった。
慌てて準備をして
帰ると大家さんが
待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
大家さんは学校のときも
こうやって待っていて
お帰りなさいの
挨拶をするのだ。
一人暮らしになり、
一年経ったが
もう自分のスタイル、
習慣がついた。
日曜日はこのあと
夕食をつくり、食べて
ゆっくりくつろいでから
風呂に入り、寝る。
それだけだった。
夕食は簡単にパパッと
つくり食べた。
公園で読んでいた
小説がいいところで
5時になってしまったので
続きが気になって
しょうがなかった。
10頃に風呂に入り、
ベッドに飛び乗り、
ゴロゴロしながら
読もうと本棚に
手を伸ばす…
が、その小説は
本棚に存在しなかった。
僕の手は虚空をつかみ、
だらんと垂れた。
玄関に置きっぱなし
なんだろうと思い、
玄関へ向かう…
ない。
(もしかして…)
公園のベンチに
置き忘れたみたいだ。
明日取りに行けば…
と思ったが、先が
気になって
いてもたっても
いられなかった。
(取りに行くか)
ドアを開けた。
外は生暖かく、
風がかすかに
吹いている。
月は妙に赤っぽく
光っているが
半分以上が雲に
隠されていたので
薄暗かった。
(いやな感じだ)
と思うと昼間の話を
思い出す。
[女の人のお化け]
怖いものが苦手な
僕は一度身震いを
してから公園に
向かった。
公園の広場に着いた。
電灯はこのあたりには
あるが…奥には
見たことがなかった。
広場と博物館までは
明るく歩きやすかった。
遊具広場はかなり暗く、
その奥をみると
さらに闇が広がっていた
「なんで奥には
電灯をつけないんだよ」
一人で文句を
言っていた。
勇気を振り絞り
林を抜けて池に出た。
誰もいるわけがない。
無論、一人も。居るのは
僕だけで、あとは
沈黙のなかに
木々は無表情に
立っていた。
歩き馴れたところが
時間でこうも不気味に
なるなんて…
時々、風で葉っぱと
葉っぱがこすれ合う
カサカサという音にも
振り返ってしまう。
僕は極度の怖がりだ。
[女の人のお化け]
耳に何度も
鳴り響く。
抜き足差し足で
いつものベンチに
たどり着くと
そこで一息ついた。
本は何事もなかった
かのようにそこにあった
から僕は少し
憎たらしく思った。
ベンチに座る。
周りを見てみる。
(やっぱり幽霊なんて
いないじゃないか)
安心を感じた。
よくみると夜の池も
綺麗じゃ…
僕は凍りついた。
視線は一点から
一切離れようと
しなかった。
僕の体はもう
脳の電気信号を
受け付けるのを
やめたかのように
ピクリとも動かない。
何かに縛られているようだ
目線の先には
白い何かがいた…