十週記念 傷ついた・花束
お互いを知るにはまずお互いの過去を知る。他人を知るには他人の過去に踏み入れる。そうすれば完璧でなくとも他人を理解できるはずだ。
中島さんは僕が
立ち止まると
掴んだ手をそっと離した
「ごめん、突然」
中島さんは片方の腕で
自分の体を抱いて謝った
「別に大丈夫。
家近いから」
「お母さんが
心配するんじゃない?」
いつも家で
迎えてくれるのは
大家さんだ。
「大家さんが
心配するかもね」
中島さんは
顔をあげて
キョトンとした。
「一人暮らしなの?」
「まあね」
「高校で?珍しいね」
「色々とあってね」
色々とだ。本当に。
中島さんは
そこから先は
質問しなかった。
家庭的な問題だと
思ったのだろう。
周りを見渡して
「近くに落ち着いて
話せる場所ある?」
「ちょっと歩くけど」
「連れて行って」
僕らは暗い夜道を
歩いた。
僕より数歩離れて
中島さんがついてくる。
二度と来ないと
心に決めていたけど
すぐに思いついたのが
いつもの場所だった。
もちろん一人もいない。
ベンチについて
僕らは座った。
かすかな風が吹き、
水面に波がたつ。
しばらく黙ったあと
中島さんはきりだした。
「本当に突然でごめん。
だけど伝えたくて…」
私の気持ち。前から…
ポツリポツリと
語り出した、自分の
気持ち。せき止めていた
ダムが壊れたように、
滝のように流れ出す。
だけどそれは
一方的であって、
受け止めるものは
どこにもなくて
目の前の池みたいに
自分の中に還って
きてしまう。
僕も同じなんだろうか?
結局は自分の
気持ちだけで
相手の黒い水には
触れないで
伝えてしまうのだろいか
座って反対側を見ると
白い影がぼんやりと
浮かんでいる。
けど、まばたきしたら
消えてしまった。
「ごめん。僕は
付き合うとか
出来ないんだ」
中島さんが
話し終わると僕は
言葉を選んでいた。
「どうして?」
中島さんが
僕の顔を見た。
お互いに
見つめ合った。
中島さんの瞳は
透き通っていて
何の陰りもない。
それは違うんだ。
僕がみている世界では
なくて、もっと綺麗な
世界をみている。
「バイトとかで
生活費を稼がないと
いけないし。
忙しくて滅多に
会えない。
そんな中途半端じゃ
悪いし」
そんな理由なのか。
嘘に決まっている。
日曜日なんてずっと…
いつも隣に座っている
彼女を思い出してみる。
だけど彼女の姿は
フワフワしてて
遠くて輪郭がぼやけて
曖昧だ。どんな顔かすら
ぐちゃぐちゃで
わからない。
生きていないみたいで
そこにいないみたいで
ただ悲しげだ。
それはやはり僕が
踏み込まないから、
他人だからなのだろうか?
「会えなくてもいい。
帰り道とか、
少しでも一緒に
居てくれれば…」
「それは中途半端で
苦しいよ。お互いに
良くないと思う。
第一、僕は君のこと
あまり知らない」
中島さんは必死に
「これから知ればいい。
私は…」
僕を知っている。
と中島さんは言った。
優しいところ、
真面目なところ、
頭がいいところ、
タイラも信頼していて
二人とも仲がいいところ
僕を知っている。
僕を知っている?
僕を知っている!?
僕は本当にそれだけか?
そんな綺麗なヒト
なんだろうか?
「どうして
一人暮らしなの?」
白い影が遠くから
僕に質問してきた。
気持ち悪い。
吐きそうだ。
感情が入り混じり
頭がガンガンする。
「ごめん!!
本当に無理なんだ」
僕は立ち上がった。
急に立ち上がったから
中島さんはビクッと
身を震わせた。
中島さんも
立ち上がる。
「そう。私じゃ
いけないんだね」
「あ、そういう意味じゃ…」
中島さんは笑顔で
「大丈夫。ごめんね。
じゃあまた。学校で」
中島さんは歩いて
いってしまった。
力なく座った。
誤解されてしまった。
池を見つめた。
何もないのは確か。
だけどあの日の
水の温度を感じた。
やはり生暖かくて
気持ち良いとは
言えなかった。
だけど。
公園を一人うつむき
歩く。まだ朝は遠いのに
草達に露がついていて
重そうに身をまげて
いた。
誰かの気持ちの
落とし物。
家につくと
やはり大家さんが
やきもきしていた。
「お帰り。遅かったね」
「すいません。
打ち上げの片付けを
手伝ってました」
「そう。ならいいわ。
おやすみ」
「おやすみなさい」
バックから鍵を
取り出そうとしたが
鍵がなかった。
いくら探してもないから
ためしにノブを
回すと開いていた。
鍵を閉め忘れていた
ようだ。
「ただいま~」
「おかえり~!!」
「ゲっ!!?」
目の前には
フリフリのエプロンの
タイラがいた。
「なにやってんの?」
全身が固まった状態で
僕は聞いた。
「愚問だよ!
これから二次会の
たこ焼きパーティーだ!
その準備を
正装で行っていた。
その今まさに
君が帰ってきて
お出迎えをしたまで」
「そうなの…」
あまりの疲労感に
ため息が出た。
「どうした?
青春をしてきたのでは
ないのかね?」
「青春ね…
たこ焼き食べながら
話すよ」
中島さんとのことを
全て話した。
「ふむふむ。そうか」
もぐもぐと
タイラは頷いた。
僕は罪悪感で
あまり食べる気には
ならなかった。
「結局、僕は
傷つけることしか
出来ないのかなぁ?」
タイラはかぶりを
ふった。ヤレヤレと
いった感じで
「前の出し物決めの時、
言いそびれてしまったが
僕達はまだ高校生だ」
たこ焼きを
ひっくり返しながら
タイラは続けた。
「気持ちや心は
若いから移ろいやすい。
このたこ焼きのように」
今度はたこ焼きの
焼きあがった生地を
プスプスと刺して
「気持ちや心は
傷つきやすい。
まだ若いから」
そしてタイラは
丸くきつね色に
なった2つのたこ焼きを
皿に移して
「だけど、
傷ついたり
変わったりしなければ
冷めて固くなる。
それじゃ美味しくない。
だから時には
傷ついたり
傷つけたりしなきゃ
美味しいたこ焼きには
ならないんだよ」
僕は笑った。
「意味分からないな。
たこ焼きに例えると」
タイラはまっすぐ
いつになく真剣な目で
僕をみた。
「つまり、傷つけないと
生身の人との交流は
始まらないよ」
僕は少しだけ
黙って考えた。
「でも…」
有無を言わさずに
タイラが手で
話すなと合図した。
「僕だってそうさ。
色々な人の思いを
踏みにじったからこそ
今の自分がある」
何かを思い出すように
タイラは宙を見た。
「勿論、君とだって
最初は踏みにじったさ。
だけど今はどうだい。
二人で仲良く
たこ焼きパーティーだ。
怖くても一歩を
踏み込まなければ
赤の他人。そうだろう?
傷つけても踏み込んだら
もう特別な人だ」
ひとつたこ焼きを
口に放り込んで
タイラは笑った。
「僕はそう思うよ」
クロが僕の膝に
すり寄った。
頭をなでてやった。
「そうだな」
今なにを
しているのだろうか?
「たこ焼き…
美味そうだ」
僕はたこ焼きをひとつ
口に入れた。
熱くて、舌が
やけどしそうだ。
だけどトローとした
中身は僕の舌を
優しく包み込んで
たこの旨味を
しっかりと伝えた。
「ところで今日は
どうすんの?」
「泊まるのさ☆」
「だと思った」
僕は苦笑した。
隣でタイラは寝ている。
朝4時近く。
朝食をつくるために
起きる。
カーテンから
昇りかけている
朝日がわずかに
漏れている。窓をあける。紅ではなく
青空のような朝の
空気が外に満ちている。
空をみて、
今なにを
しているのだろうか?
まだ寝ているだろうか?
どんな夢をみてるのか?
寝癖はどんな感じ
なんだろうか?
どんな人生を
歩んできたのだろう?
どんな子供だったのか?
黒くてもいい、
触れてみたい。
そんな風に初めて
想った。
学校では文化祭の
片付けがあった。
中島さんは普段通りに
見えた。中島さんが
峰さんと笑っているのを
見ると少しだけ
胸が痛んだ。
だけどそれだけで
あとは何もなくて
中島さんは
他人なんだなと
思った。
クラスには若干、
文化祭のムードが
残ったが10月に
入ってしまったら
また普通になった。
時間通りにチャイムが
なって時間通りに
チャイムがなる。
テンポよく時間が
進んでいった。
変わらずに日曜日には
小説を描き上げて
彼女に感想をもらった。
クロはちょっとだけ
大きくなったらしい。
僕は毎日見ているから
成長なんて
気づかなかった。
しかし、彼女は
成長に気づいた。
「動物って大人に
なるのが早いね」
クロは嬉しそうに
彼女に撫でられた。
「もうそろそろ
手袋が必要かも」
彼女は手を摺り合わせ
息を吹きかけた。
僕はまだ
何も聞けなかった。
機会がきたらと
思っていた。
水曜日。
いつものように
アルバイトに行った。
「お疲れ様です」
大将が活気溢れた声で
「今日も頼むぞ!!」
店内は笑いが
絶えなかった。
お客さんは
知り合い、他人問わずに
楽しげに語り合い、
酒を飲んでいた。
「注文たのむ」
店内の雰囲気に
似合わない小さな、
そして落ち着いた、
僕を呼ぶ声があった。
それは奥の座敷から。
「ナカオカさん、
ご注文は?」
「枝豆ともつ煮」
落ち着き払って
オーダーを言う。
いつものナカオカさん
とは違っていた。
「枝豆ともつ煮ね」
僕は紙に書いてから
ナカオカさんの
テーブルを見た。
「今日はお酒は
飲まないんですか?」
「今日はな。
飲まないんだよ」
「そうなんですか…」
言い方に何か
含みがあったから
僕は少し気になった。
結局、ナカオカさんは
僕のバイト時間まで
酒のオーダーを
しなかった。
店の奥に行き、
帰る支度をしていると
女将さんが入ってきた。
いつものように
夕飯をくれた。
「ナカオカさん、
頼んだよ」
日常会話をした。
が、僕は
「ナカオカさん、
今日は飲んでません。
だから大丈夫だと
思います」
女将さんが
目をちょっと見開いた。
「そうなの」
「どうしてですかね?
こんなの初めてだ。
何か知ってますか?」
女将さんはうーんと
うなって考えた。
そして何か
思い当たる節が
あったらしく
「そう言えば…
この時期だったかな?」
「何がです?」
慌てたように
女将さんが手と
頭を振った。
「いやいや!
何でもない何でも」
明らかに怪しいので
僕は問い詰めた。
「何かあったんですね?」
「ほらさっさと
帰んないと叱られるよ。
あんたの帰りが遅いと
私達が怒られるん
だからね」
と話しをかえて
強制的に店から
出された。
店ののれんをくぐると
あたりはすっかり
暗くなっていた。
寒さが身にしみた。
一度身震いしてから
帰ろうと横を向くと
ナカオカさんが
花束を持って
立っていた。
「これから帰り?」
「そうです」
「いつものように
一緒に帰ろうか」
「いつも酔ってません?」
僕がいうと
ナカオカさんは
柔らかに笑った。
「そうだな。
そういえばそうだ。
今日は特別だな」
ナカオカさんは
歩き始めた。
あとを追って
隣に並んだ。
花束が一歩一歩
歩くたびにガサガサと
揺れて花の香りが
広がる。いい香りだ。
「花束なんて
ありましたっけ?」
座敷にいたときには
見あたらなかった。
「後ろに置いといたから
見えなかったんだな」
ナカオカさんは
花束を僕に見せた。
花の名前はわからない。
けど、黄色や赤などの
明るい色がそれぞれを
引き立たせていて
見ていて
心が華やいだ。
「綺麗ですね。
組み合わせも
いいですね。誰かに
あげるんですか?」
「娘にな。
娘は明るい色が
好きだったから
合わせたんだ」
その時、公園の
入り口にさしかかった。
ナカオカさんが
立ち止まったので
僕も止まった。
「ちょっと
寄ってもいいかい?」
公園の暗闇を指差す。
「大丈夫ですよ。
行きましょう」
ナカオカさんは
街灯がなくても
手にとるように
公園を熟知していて
迷いのない歩みで
進んで行った。
ちょうどナカオカさんが
ボートを貸し出している
大きな池と僕達が
いつもいる小さな池の
分かれ道についた。
ナカオカさんが
小さな池の道を
進もうとしたので
僕は呼び止めた。
「ナカオカさん、こっちじゃないんですか?」
反対の道を指差すと
ナカオカさんは
「いやいや、
こっちなんだよ」
「そうですか」
再びナカオカさんの
隣に追いついた。
「娘さんは
もういるんですか?」
ナカオカさんは
何も言わずに
ただ暗闇を見て
歩いた。
池は月の光で照らされ、
周りがよく見えた。
ナカオカさんは
ある場所で止まり、
しゃがんで
花束をそっと置いた。
そこは池の岸近くで
一本の木のくいが
うってあった。
ナカオカさんは
立ち上がると
夜空を見上げた。
「今日は特別な日
なんだよ」
「何かの記念日ですか?」
ナカオカさんは
夜空を見たままで
「いや、そんなものでは
ないけど、記念日と
いえば記念日かな」
「何のですか?」
「娘と一緒にな、
池にボート浮かべて
真ん中で星空を
見たんだ」
ナカオカさんは
語り出した。
「俺は娘が10才のとき
妻と別れた。妻が
新しい男見つけて
出て行った。
娘は何も分からずに
ただお母さんは?
お母さんはどこ?と
聞いてな。俺は
何も言えなかった。
家に帰ると独りきりで
ポツン娘がいる。
その後ろ姿が
寂しそうで悲しかった。
二人食っていくのが
やっとだったから
不自由ばかりで
遊びにも連れて
行ってやれなかったから
星が綺麗なこの時期に
ボートに乗せて
やったらすごい
喜んだんだ。
だから、毎年この日に
ボートで星空を
見るんだ。
だから今日は
飲まずにいたんだ」
ナカオカさんは
木のくいを叩いた。
「これはそのとき、
ボートをくくるのに
うったやつだ。
今でも変わらずに
ここにある」
愛おしそうに
目を細める。
その目尻は
かすかに月明かりで
光っていた。
僕はたった一歩だけ、
ナカオカさんに近づき、
その背中を見た。
「娘さんはどちらに?」
「娘はな、17のときに
突然結婚すると
言い出した。
相手は25で立派な
社会人だったが
俺は反対した。
娘はまだ高校生だ!!
どこの馬の骨かも
知らんやつには
やらん!!と言った。
数ヶ月後に娘は
家出して妊娠した。
俺に真っ先に報告しに
来たが俺は
お前なんか子供じゃない
この家に二度と来るな
と言って追い出した。
娘が帰って男に
報告すると男は娘を
捨てた。娘は
路頭に迷った。
挙げ句のはてに…」
ナカオカさんは
声につまり次の
言葉が出せなかった。
「ここで自殺ですか?」
ナカオカさんは
身震いして答えた。
「確かにここは
自殺の名所だが。
娘は交通事故だ。
お腹には子が
いなかった。
産んだのか、
中絶したのかも
わからない。ただ
葬儀のあとで近所で
最近娘を見かけた
という話しを聞いた。
俺は後悔した。
どうしてあのとき
家に帰ってくるな
自分の子供じゃないと
言ってしまったんだろう
あの子の帰る場所は
家しかないのに。
俺の子供なのに。
一時の感情で
あの子を追い込んで
しまった」
震える声で
ナカオカさんは
くいをなでた。
「ごめんな」
僕は悲しくなった。
「どうして
そんな話しを僕に?」
ナカオカさんは
僕をみた。
「いつも酔いながら
孫に肩もたれてる
そんなふうに思ってな。
嫌かもしれないが
俺にとっては孫みたい
なんだよ」
夜空を指差す。
「ほら、見てみ。
ここには余計な光が
ないから遠い星の光でも
よく見えるんだよ」
僕も夜空を
見上げた。
夜空をよくみたことが
あまりなかったから
その美しさに
胸うたれた。
墨を流した夜空に
点々と輝く星たちが
楽しげに仲良く
お喋りしている。
それを優しく
見守るように照らす月。
にこやかで母性の
象徴みたいだ。
「俺も老い先短い。
いつもの帰りの
恩返しと最期ぐらい孫に
何かしてやりたいな。
何かあったら
すぐに言ってくれよ」
ナカオカさんは
月のように笑った。
「いつ娘が俺を
呼ぶかわからんからな。
娘は寂しがり屋なんだ。
俺がいないと
いてもたっても
いられない」
娘の寂しがり屋は
ナカオカさんの血の
ようだ。
それを思わせた
寂しげな笑顔だった。
「そろそろ帰ろうか」
ナカオカさんは
僕の肩を叩いて
帰り道を歩き出した。
僕はもう一度だけ
じっくりと星空をみた。
もっと早くこの美しさに
出会っていればと
後悔した。
おじいちゃんは
一体何度この美しさを
体感したのだろうと
考えた。
聞きたい。
そして、一緒に見たいと、
思った。
頼みごとはすぐに
決まった。
ナカオカさんの
あとを追った。
その背中はとても
近くて親しげな
優しい背中だった。
「何回星の綺麗さに
感動しました?」
「数え切れないよ」
一番の笑顔で。
誇らしげに
僕にそう言った。