第6話「夏のはじまりと、ひとつの誘い」
登場人物
水無月 晴人
高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。
ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。
久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。
霧咲 零花
高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。
落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。
どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。
高瀬 陸
晴人のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るくノリの良い性格で、遠慮なく距離を詰めてくるタイプ。
軽口を叩くことも多いが、いざという時には頼りになる存在。
桜井 美咲
晴人と陸のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解ける。
場の空気を和ませる一方で、ふとした瞬間に核心を突くこともある。
季節は、すっかり夏に変わっていた。
窓の外では、強い日差しが校舎の白い壁を照りつけている。
じっとしているだけでも、じわりと汗が滲むような暑さだ。
教室の中は冷房が効いているはずなのに、どこか落ち着かない空気が漂っている。
――終業式の日。
いつもよりもざわついた教室。
前の席のやつが後ろを振り返って、誰かと夏休みの予定を話している。
どこに行くだとか、何をするだとか、そんな話があちこちから聞こえてきた。
夏休み、か。
長いようで、きっとあっという間に終わるんだろうな。
そんなことを、どこか他人事のように考えていた、そのとき。
「なぁ晴人!夏休み、どうするよ!」
机に身を乗り出してきた陸の声に、思考を引き戻される。
さっきまで窓の外を眺めていた視線を、ゆっくりと彼に向けた。
「どうするって…別に、まだ何も決めてないけど」
口に出してみて、自分でも少し意外だった。
本当に、何も考えていなかったのだと改めて気づく。
「マジかよ、もったいねぇな!」
陸は大げさに眉を上げて見せる。
その表情は呆れているというより、どこか楽しんでいるようにも見えた。
「なぁ、美咲」
「うんうん、いいんじゃない」
すぐ隣で、美咲が軽く頷く。
腕を組みながら、こちらを覗き込むように視線を向けてきた。
「晴人、海行こうよ!」
「海?」
思わず聞き返すと、美咲は当たり前のように笑う。
「そうそう!夏と言えば海でしょ!」
迷いのないその言い方に、反論の言葉が一瞬遅れる。
「決まりだな!」
陸が勢いよく手を打つ音が、やけに大きく響いた。
「いやちょっと待てよ。勝手に決めるなって」
慌てて口を挟むと、陸は肩を揺らして笑う。
「いいじゃねぇか。どうせ暇なんだろ?」
図星を突かれて、思わず言葉が詰まる。
「……まぁ、そうだけど」
認めると、陸は満足そうに頷いた。
「じゃあいつにする?早い方がいいよな!」
完全に話が進んでいく。止める間もない。
「いや、だから――」
制止しようとした、その瞬間。
「せっかくだし、零花先輩も誘ってみようよ!」
美咲の一言が、空気を変えた。
「…は?」
間の抜けた声が出る。
自分でもわかるくらい、反応が遅れた。
「美咲、いいこと言うじゃん!」
陸がすぐに食いつく。
ぐっと身を乗り出し、目を輝かせた。
「零花先輩の水着姿を拝めるなんて最高だぜ!」
「お前ら、何言ってんだよ」
呆れたように言い返すと、美咲はくすっと小さく笑った。
「ほらほら~、こういうイベントってさ、距離を縮めるチャンスじゃん?」
わざとらしく言いながら、じっとこちらを見てくる。
その視線に、ほんの少しだけ居心地の悪さを感じた。
「いや、でもさ……」
確かに、前よりは話すようになった。
廊下で顔を合わせれば自然に言葉を交わすし、放課後に一緒に帰ることもある。
けれど――それとこれとは、別な気がした。
踏み込んでいい距離なのかどうか、まだはっきりしない。
「つーか、もう誘ってもいい感じなんじゃねぇの?」
陸の言葉に、視線が自然と机へ落ちる。
「いい感じって……」
「頼むよ晴人~、後生だからさ~」
陸が両手を合わせて、わざとらしく拝む仕草をする。
ちらりとこちらを見上げるその顔は、完全に面白がっている。
「人数は多い方がいいでしょ?」
美咲もさらりと言うが、その口元には薄く笑みが浮かんでいる。
二人の視線が、同時にこちらに向けられる。
逃げ場はない、か。
俺は小さく息を吐いた。
「はぁ~…わかったよ。聞くだけ聞いてみるさ」
「よっしゃあああ!」
陸が勢いよく拳を突き上げた。
そのまま椅子がガタッと音を立てる。
「陸、まだ来るって決まった訳じゃないぞ」
「大丈夫大丈夫、来るって!」
釘を刺すように言うと、根拠のない自信をそのまま言葉にして、陸は笑う。
美咲もくすくすと笑いながら、こちらを見ている。
その視線に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
――本当に、そう簡単にいくのかはわからないけど。
それでも。
零花を誘う、という選択をした自分に、わずかな変化を感じていた。
◇ ◇ ◇
家に着いた俺は、鞄を適当に下ろして、ベッドに腰を下ろした。
ふと昼間の会話が、頭の中で繰り返される。
――海に行こう。
――零花先輩も誘えばいいじゃん。
軽い調子で言われた言葉が、なぜか頭に残っている。
そこでようやく、スマホを取り出す。
画面に映る、見慣れたアイコンの中に――零花の名前がある。
それを見つけただけで、指がわずかに止まった。
……誘う、か。
簡単なようで、意外と難しい。
小さく息を吐き、画面を見つめたまま親指を動かす。
文字を打っては止まり、消しては打ち直す。
たかがメッセージを送るだけなのに、妙に緊張している自分に気づいて、苦笑が漏れそうになった。
少し考えてから、短く打ち込む。
『今度さ、友達と海行こうって話になってて』
そこで一度止まる。
これだけだと、ただの報告みたいだ。
数秒、画面を見つめてから、続けて文字を打つ。
『よかったら、一緒にどうかなって』
打ち終えて、しばらくそのまま見つめる。
これでいいのか、もう少し言い方があったんじゃないか――そんな考えが頭をよぎる。
けれど、考え始めたらきりがない。
小さく息を吸って――送信。
メッセージが送られた表示が、画面に残る。
その瞬間、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
……さて、問題はここからだ。
スマホを手に持ったまま、ベッドに体を預ける。
画面を閉じることもできず、ただぼんやりと見つめる。
すぐに返ってくるとは思っていない。
むしろ、あまりスマホに慣れていない様子だった零花のことだ。
気づくまでに時間がかかるかもしれない。
それでも。
気にならないと言えば、嘘になる。
ふとした瞬間に画面を確認してしまう自分に、苦笑する。
――落ち着けよ。
そう思いながらも、俺はスマホを手放すことはできなかった。
◇ ◇ ◇
――結局、その日はすぐには返事が来なかった。
送信してから、何度かスマホを確認しては、何も変わっていない画面を閉じる。
またしばらくして、同じことを繰り返す。
……まぁ、すぐに返ってくるとは思ってなかったけど。
それでも、どこかで期待していたのかもしれない。
ベッドに体を預け、スマホを胸の上に乗せたまま、ぼんやりと天井を見上げる。
時間の感覚が、少しだけ曖昧になる。
どれくらい経ったのか――
気づけば、窓の外はすっかり夕暮れに染まっていた。
オレンジ色の光が、カーテンの隙間から差し込んでくる。
――今日はもう、来ないか。
そんな考えが、頭をよぎったそのとき。
小さな通知音が、静かな部屋に響いた。
反射的に体を起こし、スマホを手に取る。
画面に表示された名前を見て、わずかに息が止まる。
――零花。
すぐにトーク画面を開く。
『ごめんなさい、また気が付かなかったわ』
その一文を見て、思わず小さく息が漏れた。
……やっぱりか。
どこかで予想していた通りの返事に、肩の力が抜ける。
多分、零花にとってスマホは“とりあえず持っておくもの”なんだろう。
今の時代にしては、少し珍しい。
――それとも。
そもそも、自分に連絡が来るなんて思っていないのか。
ふとそんな考えがよぎって、すぐに首を振る。
考えすぎか。
軽く息を吐いて、短く打ち込む。
『大丈夫だよ』
送信して、しばらく画面を見つめる。
今度は、少しだけ早く通知が届いた。
『…海ね』
表示された文字に、指が止まる。
……それだけ?
否定でも、肯定でもない。
ただ、言葉をなぞっただけのような返事。
どう返せばいいのか、少し迷う。
言葉を打っては消し、また打って。
――どうしたもんか。
そう考えているうちに、再び通知が届いた。
『いいけれど、問題があるわ』
その一文に、背筋がわずかに伸びる。
問題?
何か引っかかるものでもあったのか。
ほんの少しだけ、嫌な予感がする。
慎重に、文字を打つ。
『問題って?』
送信すると、今度は少し間が空いた。
さっきまでより、ほんの少しだけ長い沈黙。
スマホの画面を見つめたまま、無意識に息を止めていることに気づく。
やがて、ようやく返信が届いた。
『私、水着持ってないのよ』
――思っていたのと、違う方向の“問題”だった。
思わず、力が抜ける。
「……そこかよ」
小さく呟いて、スマホを見下ろす。
確かに問題ではあるけど。
それよりも、もっとこう――
別の何かを想像していた自分に、少しだけ苦笑する。
軽く息を吐いて、指を動かした。
『なら、買えばいいんじゃないか?』
短く打って、送信する。
すぐに返事が来るとは思っていなかったが、今回はそれほど間を置かずに通知が届いた。
『何がいいかわからないわ』
続けて、もう一通。
『晴人君が選んでくれる?』
――は?
一瞬、思考が止まる。
表示された文字を、もう一度見直す。
……いやいや。
なんでそうなる。
思わずスマホを持つ手に力が入る。
水着を選ぶ?俺が?しかも、零花の?
頭の中に、あり得ない光景が浮かびかけて――慌てて振り払う。
いや無理だろ。
どう考えてもハードルが高すぎる。
というか、普通そういうのは――
「いやいやいや……」
小さく声が漏れる。
ベッドの上で、思わず頭を抱えた。
断るか?でも、どう断る?
そもそも、悪気があって言っているわけじゃないのはわかる。
むしろ、本気で「わからないから頼んでいる」だけなんだろう。
だからこそ、余計に困る。
どうしたものかと、しばらく画面を見つめたまま固まる。
打ちかけては消し、また打っては消して。
まとまらないまま、時間だけが過ぎていく。
……これは、無理だ。
一人でどうにかできる気がしない。
そう結論づけて、スマホの画面を切り替える。
頼れる相手は、一人しかいない。
こういうとき、妙に頼りになるやつ。
というか、むしろこういう状況を楽しみそうなやつ。




