第4話「くもりのち雨、君を探して」
登場人物
水無月 晴人
高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。
ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。
久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。
霧咲 零花
高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。
落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。
どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。
高瀬 陸
晴人のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るくノリの良い性格で、遠慮なく距離を詰めてくるタイプ。
軽口を叩くことも多いが、いざという時には頼りになる存在。
桜井 美咲
晴人と陸のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解ける。
場の空気を和ませる一方で、ふとした瞬間に核心を突くこともある。
放課後を告げるチャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気に緩んだ。
張り詰めていたものがほどけるように、あちこちで椅子の軋む音や、鞄を開く音が重なっていく。
「はぁ~、やっと終わったわ~」
大きく息を吐きながら、美咲が机に突っ伏す。
その隣で、陸が肩を回しながらぼやいた。
「ホント、授業が長いと肩がこるぜ」
「年寄みたいなこと言うなよ」
苦笑混じりに返しながら、俺は鞄に手を伸ばす。
「今日も部活か?」
「あったりまえよ。今日も明日も明後日もな!」
胸を張って言い切る陸に、美咲が呆れたように笑った。
「晴人は?帰るんでしょ?」
「あー……まぁな」
曖昧に答えると、美咲は少しだけ口を尖らせる。
「たまには三人で帰って寄り道とかしたいよね~」
「サボればいいんじゃないか?」
軽く言ってみると、すぐさま鋭いツッコミが飛んできた。
「一年生がそう簡単にサボれる訳ないでしょーが!」
「違いねぇな。おし、美咲。暇人は放っておいて、いざ戦場に向かわん!」
「オッケー!じゃ晴人、また明日ね~」
二人はそんな調子で教室を出ていく。
騒がしいやり取りも、扉が閉まると同時に少しだけ遠くなった。
残された教室は、さっきまでよりも少し静かで。
ざわめきはまだあるものの、どこか落ち着いた空気に変わっている。
「……」
俺は何となく、その場に立ったまま、教室を見渡した。
帰ろうと思えば、すぐにでも帰れる。
いつも通り、何も考えずに。
――なのに。
『今でも――見つけられる?』
ふと、昨日の言葉が頭をよぎる。
「……無茶言うなよ」
小さく呟いて、息を吐いた。
そもそも――どこにいるかなんて、わかるはずもないのに。
それでも、なぜか足が動かない。
帰るだけのはずの時間が、ほんの少しだけ長く感じられた。
「……まぁ」
やがて、諦めたように肩をすくめて、鞄を持ち上げる。
「ちょっとくらい、探してみるか」
誰に聞かせるでもない言葉は、そのまま静かな教室に落ちていった。
◇ ◇ ◇
教室を出て、廊下を歩く。
最初は、本当に軽い気持ちだった。
ただ、少し気になったから――それだけのはずだった。
まずは図書室へ向かう。
扉を開けると、静かな空気と紙の匂いが広がった。
数人の生徒が席に座り、本を読んでいる。
その中に、見覚えのある姿はない。
一通り視線を巡らせてから、すぐに扉を閉めた。
「まぁ、ここはありきたりすぎるか」
次に向かったのは中庭だった。
外へ出ると、湿った空気が肌にまとわりつく。
空はどんよりと曇っていて、今にも降り出しそうな色をしていた。
ベンチの周りや、木陰にも目を向けるが、それらしい姿は見当たらない。
「雲行きも怪しいし、いないか」
立ち止まることなく、すぐに踵を返す。
体育館へ向かう途中、部活へ急ぐ生徒達と何度かすれ違った。
その中に紛れていないかと視線を向けるが、やはり見つからない。
体育館の中も一応覗く。
バスケットボールの音、掛け声、シューズの軋む音。
熱気に満ちた空間の中に、あの落ち着いた姿はなかった。
校庭にも足を運ぶ。
グラウンドでは運動部が練習をしていて、砂埃が舞っている。
その中を見渡してみるが――やはり、いない。
「……当たり前、か」
冷静に考えれば、見つかる保証なんてどこにもない。
むしろ、見つからない方が自然なくらいだ。
それでも、足は止まらなかった。
気づけば、二年の教室が並ぶ廊下に立っていた。
「…何組か、聞いてなかったな」
今更なことに気づき、小さく息を吐く。
仕方なく、教室の前を一つずつ通り過ぎていく。
あくまで自然を装いながら。
それでも視線だけは、教室の中へと滑り込ませる。
談笑している生徒。
スマホをいじっているやつ。
部活の準備をしているやつ。
――どこにも、いない。
一つ、また一つと教室を通り過ぎるたびに、胸の奥に、妙な感覚が積もっていく。
最初は、ただの“ついで”だったはずなのに。
「……俺、何やってんだろ」
別に、約束したわけでもない。
探さなきゃいけない理由だってない。
なのに――
「……やっぱ、いないか」
最後の教室を通り過ぎても、結局零花は見つからなかった。
廊下の先には、もう見慣れた景色しかない。
これ以上探したところで、見つかる気はしなかった。
「……帰るか」
最初から、見つかる保証なんてどこにもなかった。
ただ、なんとなく――気になっただけだ。
それだけのこと。
向かう先は、昇降口。
廊下を歩きながらも、どこか落ち着かない感覚が残っていた。
もう終わりだと、頭ではわかっているのに。
『今でも――見つけられる?』
あの言葉だけが、妙に引っかかっている。
軽く首を振って、考えを振り払う。
――もういいだろ。
そう思いながら、階段を降りていく。
一階に辿り着き、昇降口へと足を向ける。
外は、いつの間にか雨が降り始めていた。
ガラス越しに見える空は重たく、ぽつり、ぽつりと、水滴が地面を濡らしていく。
「……降ってきたか」
靴を履き替えながら、小さく呟く。
ここまで探して、見つからなかった。
なら、もう帰ってしまっていても不思議じゃない。
――それならそれで、仕方ない。
そう思いながら、何気なく外へ視線を向ける。
灰色の空。
静かに降り始めた雨。
その光景を、ぼんやりと見上げて――
「……上?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
自分でも、理由はわからない。
けれど、そうしなければいけない気がした。
まるで、どこかへ導かれるみたいに。
「……まさか」
次の瞬間、身体が動いていた。
一階から二階へ。
階段を一段飛ばしで駆け上がる。
足音が、やけに大きく響く。
二階から三階へ。
息が上がるのも構わず、足を止めない。
なんでこんなに必死になっているのか、わからない。
ただ――このまま帰るのは、違う気がした。
「……っ」
歯を食いしばり、さらに加速する。
三階を越え、さらに上へ。
屋上へと続く、最後の階段。
手すりを掴みながら、一気に駆け上がる。
屋上へと続く扉の前。
立ち入り禁止の札が下がった、重たい鉄の扉。
その手前の、わずかな空間に、彼女が立っていた。
窓から差し込む淡い光に照らされて、長い髪が静かに揺れている。
見間違えるはずがない。
「……零花」
名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと振り返った。
驚いた様子もなく、ただ穏やかに。
「来てくれたのね、晴人君」
その言い方は、“待っていた”というより“知っていた”ように聞こえた。
静かな声が、ひっそりとした空間に溶ける。
息を整えながら、俺は一歩近づいた。
「……なんで、こんなとこにいるんだよ」
まだ少し荒い呼吸のまま、問いかける。
「どうして、かしらね」
零花は小さく首を傾げる。
その仕草に、どこか懐かしさを覚えた。
「私、静かな場所が好きみたいね」
「なら…図書室でいいだろ」
思わず返すと、零花はわずかに目を細めた。
「今日は、ここで待っていればいい気がしたの」
「おいおい……」
柔らかく返されて、俺は肩をすくめる。
「本当は屋上に行きたいのだけれど、ここで我慢してるの」
そう言って、零花は扉の方へ視線を向けた。
開かないはずの鉄の扉。
その向こうにある景色を、思い描くように。
「俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ」
思わずそう聞いていた。
自分でも、少し意地の悪い聞き方だと思う。
けれど――気になった。
零花はすぐには答えなかった。
ほんのわずかに視線を落として、何かを確かめるように、静かに息をつく。
「考えてもいなかったわ。だって……」
言いかけて、言葉が途切れる。
廊下の向こうから聞こえる、遠くの喧騒。
窓を叩く雨音が、かすかに混ざる。
やけに静かな時間だった。
やがて、零花はゆっくりと顔を上げる。
その視線が、まっすぐに俺を捉えた。
「来てくれるって――信じてたから」
迷いのない声音だった。
まるで、信じていたというより最初から決まっていたことのように。
「……」
言葉が出なかった。
軽く流せばいいはずの一言なのに、妙に胸の奥に残る。
どう返せばいいのか、わからない。
「……なんだよ、それ」
結局、ごまかすみたいに呟くことしかできなかった。
零花はそんな俺を見て、わずかに目を細める。
「昔から、そうだったでしょう?」
まるで、ずっと見ていたみたいな言い方だった。
否定しようと思えばできるはずなのに、なぜか、口を開く気にはなれなかった。
「……俺、そんなにわかりやすいか?」
苦し紛れみたいにそう言うと、零花は小さく首を振る。
「いいえ」
その否定は静かで、やけに迷いがなかった。
「晴人君だから、わかるのよ」
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
意味がわからない。
なのに、その言葉だけは妙にはっきり耳に残った。
零花はそれ以上説明しなかった。
ただ、雨音の向こうを見つめるみたいに、窓の外へ視線を向ける。
「……帰るか?」
沈黙に耐えきれず、そう口にする。
「もう少しここにいましょう。雨が弱まるまで」
静かにそう言ったあと、ほんのわずかに間を置いて、零花が続ける。
「そう……あと少しだけ」
「……それもそうだな」
窓の外では、雨が変わらず降り続いている。
屋上へと続く扉の前。
誰も来ない、静かな空間。
言葉は、もう続かなかった。
それでも、不思議と居心地は悪くない。
雨音だけが、ゆっくりと時間を刻んでいく。
俺はその音を聞きながら、ただ、隣に立つ零花の存在を感じていた。




