第5話:【悲報】どん底のさらに底があった件。奇声を発して森に消えた結果www
高貴な身分も、魔力も、味方もいない。 残されたのは、泥に汚れ、皮が剥けたこの両拳のみであった。
【宿屋:絶望の朝】
翌朝、アリシアが目覚めると、懐の中は空であった。 昨夜、あれほど慎重に確認した僅かな硬貨は、跡形もなく消え失せている。宿の主が合鍵を使ったのか、あるいは熟練の盗賊に忍び込まれたのか。もはや、それを問いただす気力さえ彼女には残っていなかった。 無一文という残酷な現実が、カビ臭い部屋の空気よりも重く、彼女の肩にのしかかる。アリシアは力なく宿を出て、宛てもなく街を彷徨い始めた。
【路地裏:暴力の拒絶】
場面は変わり、薄暗い路地裏。 数人の野盗が行きずりの女を組み伏せようとしている現場に、野盗の一人がアリシアの存在に気づき、露骨に顔を歪めた。 ボロボロの軍服、煤と泥で塗り固められた顔、そして光を失い、焦点の定まらない瞳。
「……おい、なんだあいつは」
それは欲望の対象になるどころか、生理的な忌避感を抱かせるほどに「終わって」いた。
「うわっ、汚ねえ……。おい、あっち行けよ。シッシッ!」
野盗たちは、女を犯そうとしていたその手で、アリシアに向かって追い払うような仕草を見せた。彼女の存在は、暴力や略奪の対象にすら選ばれない。
【境界の森:獣たちの沈黙】
さらに場面は移り、街の外れに広がる鬱蒼とした森の中。 アリシアは一言も発さず、ただ死んだような足取りで奥へと進んでいく。本来であれば、ここは飢えた魔獣たちが獲物を待ち構える危険な場所である。
だが、奇妙なことが起きた。 茂みの奥から牙を剥こうとした狼や、上空から狙いを定めていた怪鳥たちが、アリシアの姿を認めるなり、一斉に気配を消して逃げ去った。 それは、彼女が「強い」からではない。 あまりにも濃密な絶望と、生への執着を失った「欠落した気配」が、本能で生きる獣たちにとって「触れてはならない異物」として映ったからであった。死に損ないの亡霊に近づきたいと思う生き物など、この世には存在しなかった。
アリシアは、森の深部で立ち止まった。 静寂の中で、自分の弱々しい鼓動だけが響いている。その音が、今の自分にはあまりに不釣り合いで、滑稽に感じられた。
「あ、あああ、あああああああ――ッ!!」
喉を掻き切るような、獣じみた奇声が森の静寂を切り裂いた。 それは言葉にならない呪詛であり、同時に、これまでの人生に対する決別宣言でもあった。 アリシアは半ば狂ったように、奇声を上げ続けながら森を駆け抜けた。枝葉に肌を裂かれ、服がさらに無残に引き裂かれようとも、彼女は止まらなかった。
森を抜けた先。 そこには、周辺の枯れ果てた土地とは明らかに異なる濃密な空気が漂っていた。 大気には目に見えるほど純粋な魔力が満ち溢れ、紫煙のような霧が幻想的に立ち込めている。あまりの魔力の濃度ゆえに、森の獣たちですら決して近づくことのない「禁足地」。
天然の、そして人知を超えたダンジョン。 アリシアの目の前には、魔力を持たぬ彼女が唯一辿り着いた、死と再生の入口が大きく口を開けていた。




