W&WM 序章【魔法のある世界】
――この世界には、魔法がある。
その力は誰にも宿る。
火を、水を、繁栄を得る。
海を、空を、自由を操る。
魔法は当然に享受されるものであり、持たざる者は、同じ人として扱われることはない。
持たざる者、彼らは『魔無』と呼ばれた。
『魔無』として生きる女性――ヴェレ。
彼女は魔無であることを隠し生きていた。魔法を必要としない仕事を転々とする。
魔法のない仕事、同じ場所へ居続けると、魔無を疑われる。疑われれば、審問が行われる。
彼女は、働くことで得た対価を、本を読むことへ捧げた。知識を得ることが、彼女を彼女たらしめた。種類を問わず、古本から安いものを買い漁った。
専門書、雑誌、哲学書、図鑑、歴史書、技術書。
――物語。
『雨の物語』を読んだ。
「泣いている少年を元気づけようと――」
ヴェレの唇が、文章をなぞる。
「泣いていた少年が笑い、その場には幸福が満ちている。けれど、泣いた原因に背を向け、集団の中で個を放棄してしまったようにも取れる」
「……本質を忘れて、停滞に甘える者たちか」
ヴェレは雨の物語を気に入り、その本を買った古書店へ頻繁に足を運ぶようになった。
読み終わった本は売ってしまい、手元には常に現在読んでいる一冊のみがあった。
彼女にとって本は知識や見識を得るためにあり、手元に財産として置いておく必要はなかった。低賃金の労働と、いつ魔無と疑われるかもしれない中では、荷物を増やす理由が無かった。
『騎士の誓い』を読む。
「この命をもって、あなたをお守りします――」
彼女の長い黒髪が揺れ、文字の上へ垂れる。
「互いを想い、助け合う心」
「誓いは呪いとなる、命には命をもって対価を支払うべきだと。預けられた命は、重荷になり、双方を苦しめることになる」
「払えなければ出ていってもらう」
ヴェレは借家に住んでいたが、最近になって持ち主が変わり、賃料を上げると頻繁に訪れるようになった。
以前の持ち主は身元も保証できないヴェレを、この家へ住まわせてくれた。だが、急に家主が変わったのだ。
この辺りで、以前よりも魔無狩りが活発化していることが関係しているのか、推測することしかできない。
「ここから引っ越すべきね」
ヴェレは移動の計画を立て始めた。
***
『天使の物語』を読んだ。
ヴェレの切れ長の瞳が文字を追う。
「陶器のような肌に、透き通る髪。白く美しい翼」
「まるで天使は価値の化身ね、人間の所有欲や加虐性を刺激する」
丁寧にページを捲る。
「無垢さは自身だけでなく、周囲の人間をも危険に晒すことになる」
「人と違うものを異物として扱い、利用する……」
「っは、この世界と同じだな」
***
ヴェレが、町を離れる前にもう一度、古書店を訪れた。この店で買う最後の本を探していた彼女は、ある文献を見つける。
『世界渡りの種について』
本は薄く、紙も劣化して状態は良くない。だが、確かに値札は貼られており、商品として置かれていた。
世界渡りの種――彼らの存在によって、世界はこの世界だけではないことが判明した。彼らの外見的な特徴は、頭部に生えた"角"だ。
彼らは、自身とその同行者を別の世界へ移動させる。移動する様子は発見されたが、戻ってきた事例は確認されていない。そのため、現在はお伽話の存在と化している。
移動先は――。
「別の世界……」
ヴェレがそう呟いた時、彼女が暮らす借家の戸が音を立てる。
誰かが扉の前にいる。ヴェレは読み終わる前の本を閉じ、部屋の隙間から外の様子を窺う。
そこには借家の家主と衛兵、横には審問官が立っていた。
新しい家主は以前から、ヴェレが魔無であると疑っていた。告発者への報奨と、魔無を匿っていた場合の重罪化に伴って、家主はヴェレを魔無の疑いありと密告したのだ。
「動くな!」
扉が魔力を帯びると、内側へ吹き飛び、衛兵が侵入してくる。衛兵の手は光が瞬いていた。
ヴェレは、侵入者たちの間を縫って逃げようとするが、先ほどの扉のように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
ヴェレが家主を見上げる。家主は下卑た笑みを浮かべ、彼女を見下ろしていた。
「審問するまでもない、魔無でなければ、我々から逃げる必要がないからな」
審問官の言葉に、衛兵は頷く。衛兵が睨みつけるヴェレを殴り倒すと、拘束した。
「よくぞ報告してくれました、これは報奨金です」
審問官が懐から金属の擦れる音を鳴らし、袋を取り出す。家主は恭しくそれを受け取ると、中身を確認し始めた。
彼らが去った後の部屋には、読み切られずに栞が挟まれた本が一冊、残されていた。
***
ヴェレは所定の審問ののち、火刑が行われることとなった。
魔法を使えることを証明できれば問題が無いため、拷問などの手間を掛けずに、即座に魔無の判別が行われる。だが、拘束されている間、看守による様々な暴行が行われる。着替えや食事が出るはずもなく、排泄物は放置される。
処刑は民衆の娯楽として好まれるため、日付を定めて公開される。当日だけは、身体を洗われ、生地の薄い服を与えられた。
火刑は特に視覚的な派手さがあり、人気が高い。専門の魔法使いが召喚され、美しい炎により忌まわしき魔無を浄化する。
人々は社会不安や鬱憤を、魔無という共通の敵を定め、攻撃することで結束を強めるのだ。
「聖火よ。かの者を赦したまえ」
審問官が言葉を綴る。
赤と白を基調とした装束を纏い、魔法使いが中央に立つ。目の前には拘束されたヴェレが、汗や脂などの汚れで固まった髪の隙間から、じっと彼らを見据えていた。
「哀れなる魔無。神の祝福を得られず、世界から拒絶されし存在よ」
「火の浄化により、汝は新たな機会を与えられる」
「祝福を受け入れよ」
「再びこの世界へ訪れよ」
審問官が一歩下がると、魔法使いが高らかに叫ぶ。
「聖火よ!」
宣言と同時に、ヴェレの身体が燃え上がる。
皮膚が変色し、身体の水分が蒸発するように痛み出す。
〈赦しを乞う理由がない〉
〈機会は与えられるものじゃない〉
〈私と彼らの間に、慈悲など存在しない〉
〈この世界に居場所などない……なら〉
ヴェレは願った。
もう誰にも、彼女の価値を、知識を、存在を――
奪わせはしない、と。
エメラルド色の光が周囲を満たし、ヴェレはその光を瞳に反射させながら、炎に燃え上がった。
***
ヴェレは民間から着替えを済ませ、広場へ戻ってきた。審問官や火の魔法使いを含めた群衆が、欠けることなく残っていた。
彼らに近づいても、反応はない。恍惚とした表情で、鎮火した火刑台を見つめている。
彼らの目には、火刑の続きが順当に執り行われている。
「っふん」
ヴェレは口角を上げ、軽く鼻を鳴らすと、借家へ忘れ物を取りに戻っていった。
彼女は魔女となった。
彼女の魔法――
『Prētium Absolūtum(絶対の対価)』
対象の欲望を叶え、その後、対価を徴収する。
相手の欲望に応じて、対価の大きさは変動し、何を対価とするか、相手に選択権はない。
魔法は意思と同時に発動し、拒否することはできない。
これにより、彼らは『魔無の命を娯楽として消費し、安息を得る』欲望を叶えた。
対価として、彼らの知識と時間、そして魔力を差し出した。
ヴェレの魔法は他者の欲望を叶えることが目的ではない。知識を得て、己の無魔として虐げられる運命を捻じ曲げる――彼女のための手段。
決して、他人がその魔法を私欲に利用することは叶わない。
誰にも支配されない、ヴェレ・ルミエラの王道。




