記雨 第2章【星を作る手】
2026.2.2改稿
工房に居たのは、背の低い老齢の男だった。白い髭は手入れされておらず、作業の邪魔にならぬよう最低限まとめられている。
岩のような肌に、鍛治道具を握る手はごつごつとしている。
「ガルト、こちらはシル。雨殻に襲われているところを見つけたの、別の世界から来たのよ」
ルクシアはシルへ向き直る。
「シル、彼はガルト。さっき話していた優秀な機械工で、私の恩人よ」
ルクシアに紹介された男――ガルトは、作業の手を止めると、挨拶する。
「ガルトだ、よろしくな」
ユールは外套を脱ぐと、机のそばにある椅子へ腰掛け、手帳を開く。
シルから聞いた話を書き留めているのだろうか、薄く青みがかった髪が、彼の美しい瞳の前で揺れる。
「さっそくだが、シル。あんたの目的を聞いてもいいか?」
「へ?」
ガルトの急な質問に、シルは呆けた声をだす。
「いやなに、まだこの世界に来たばかりだろうが、念のためな」
「あ……うん」
シルは、ルクシアが運んできてくれた椅子へ腰掛ける。
「アタシは友達とそのお姉さんを探してるの。元いた世界で、二人は門へ消えてしまった……」
当時の情景を思い出し、シルは両手に力を込める。
「アタシたちの世界では、門が発生すると周囲の人間に『変異』と呼ばれる肉体の変化と自我の崩壊が起きてしまうの」
ガルトは静かに、シルの声に耳を傾ける。
「門からもたらされる厄災に対処する『機関』という組織に、アタシと親友のアリシアは所属していた」
「けど……! アリシアのお姉さん――シアリスさんは、機関に実験体として言葉じゃ言い表せないほど酷いことをされていた」
ユールの走らせるペンの音が止まる。
「アタシたちは、シアリスさんに再会することができた……けど、その直後に巨大な門が現れたの」
シルは俯く。
「そこで、シアリスさんは機関に追われる身でありながら、みんなを救った……!」
シルは怒りに肩を震わせる。
「なのに!!」
ルクシアが、そっとシルを抱き寄せる。
熱を持たない左腕が、温かかった。
「すまない……」
ガルトが謝ると、シルは首を振った。
「いいの。アタシこそごめんね、叫んだりして」
シルは、その赤い瞳をガルトへ向ける。
「二人を見つけるまで、アタシは止まる気はないよ」
「この世界にいないのなら、はやく別の門を通って他の世界へ行きたい」
ルクシアがシルの横顔を見つめる。
ガルトが口を開く。
「門は不規則に開く。だが、たった一つ、常に開き続けている場所がある」
ガルトが窓の外、雨に霞む空を指さす。そこには世界を切り裂くような巨大な亀裂が走っていた。
「あの山の頂上だ。あそこなら、天上の裂け目に手が届く」
「だが」
ガルトは硬い相貌を崩す。
「今は、少し休むといい」
***
「ルクシアは、覚えてるの? 大切なもののこと」
シルはふと、疑問を口にする。
「私は……覚えていない」
ルクシアが視線を落とす。
「忘れている、とは感じるの。強い…とても強い喪失感があるから」
ルクシアは無意識に刀の柄を握る。
「ユールと同じように、忘れたはずの私も未だ雨殻にならず、ここにいる。今は、ガルトに救ってもらったこの身体で、生存者がいないか見回ってるの」
ルクシアは笑みを浮かべ、シルを見る。
「そのおかげで、シル――あなたを見つけられた」
その言葉に頬を赤らめたシルは、はっと視線を逸らす。
孤独な門の先で出会った彼女の笑顔に、つい甘えたくなる。
***
ガルトは作業のため、工房の奥へ戻った。
ルクシアも、義肢のメンテナンスを始める。帯を解き、重ねられた衣をはだけさせ、脚を露出させる。
シルは精巧で美しい右脚の構造と、生肌を保つ左脚の太腿の曲線を視界に捉え、緊張を覚える。
ルクシアが細い指先でボルトを締め、継ぎ目にオイルを差す。布で汚れを拭き取り、義肢へ籠っていた熱が放たれていく。
シルは気付くと、ルクシアの手際をじっと観察していた。
「シル? どうかしたの?」
「あ、いや! なんでもない! ……すごい技術だなって」
ルクシアは自身の身体を見つめ頷くと、そばに用意していた揮発性の高い液体が入った容器と布を、シルへ渡す。
「これで、雨に濡れた身体を拭きなさい」
「わかった、ありがとう」
ユールはいつの間にか、隣の部屋へ移動していた。
***
「シルの服が乾いたら、出発しましょうか」
ルクシアはそう言うと、畳んであった予備の服をシルへ渡し、刀と傘の手入れを続けた。
シルが工房の奥へ行くと、ガルトが作業台の前で髭を触りながら唸っていた。
「ガルト、どうしたの?」
シルが覗き込むと、机の上には複雑な機構が組み合わされた装置が置かれていた。
「すごい、なにこれ!」
机上に置かれたものは、拳ほどの大きさを持つ無骨な塊だった。
「これは、ある人を救うための装置だ。だが、どうしても上手くいかない」
彼はじっと、装置と睨み合っている。
「誰なの? その――救いたい人って」
ガルトは首を振る。
「それは……わからないんだ。わかっているのはただ……俺がその人を裏切り、修復不可能なまでに傷付けてしまったこと」
ガルトは深く息を吐く。
「だが、元の世界への戻り方も、どうすればその人を助けられるのかもわからなかった。ただじっと、この世界で死を待っていたんだ」
シルは静かに、彼の横顔を見つめていた。
「そんな俺の前に、自らを『魔女』と名乗る者が現れた」
突然、聞いたことのない単語を耳にしたシルは、首を傾げる。
「マジョって――何?」
ガルトは作業場のランプを見つめながら話す。
「俺も以前は、友人から聞いた物語の中でしか知らなかった。魔法という、特別な力を使う者のことを言うらしい」
ガルトは言葉を続けた。
「俺はその魔女と――取引をしたんだ」
「取引?」
「ああ、その取引で俺は、贖いたい罪――あの人を救えるだけの技術と、知識を得たんだ」
ガルトが言葉に詰まる。
「魔女は、対価として――」
「俺の救うべき相手、その人の記憶を奪っていった」
ガルトは自嘲気味に笑う。
「笑える話だ、欲しかった技術を手に入れても、その手を伸ばすべき相手の、顔も名前も思い出せないなんてな」
シルは言葉を失う。
〈ガルト、彼はずっと誰のためかも分からず、それでも装置を作り続けているんだ〉
〈本来雨で失うはずの、最も大切な記憶を差し出して……〉
「だが、素材が足りないんだ」
「あの人を救う――再構築するためには、対象者の意思を反映しどんな状態にも対応可能な可変性を持つ必要があるのに……」
「それって……」
シルは、リソースキューブを取り出す。
〈「制御装置を通して使用者の意思を反映する」〉
シルの脳裏に、機関の教官から言われた言葉を思い出していた。
〈「粒子の操作は精神状態が大きく影響する」〉
感情によって出力が乱れる、不便な仕様だと思っていた。
「……ガルト。その足りない素材、アタシが持ってるかもしれない」
シルは、キューブと制御装置をガルトへ手渡し、管理権限を彼へ委譲する。
「これは……すごいな」
制御装置を付けたガルトの意思に従い、異世界からもたらされた技術の結晶が、粒子となって宙へ浮く。
「使って良いのか?」
ガルトが興奮しながら訊ねる。
「自立制御や探知用のエネルギーも無くなりそうだったから、いいの」
「あ、粒子操作はその制御装置があればしばらくは問題ないけど……素材として組み込む装置本体に、エネルギーの供給源は――」
二人は協力して作業を続けた。
シルの世界の技術はガルトを助け、ガルトの持つ技術と知識はシルの好奇心を刺激した。
***
「……」
言葉を発するまで、時間が必要だった。
「完成だ」
シルはただ、目の前の装置が持つ機能に、言葉を失っていた。
完成したその装置は、まるで星のかけらのようにも見えた。
***
シルとガルトが工房の奥から戻ると、雨が籠る世界には似つかわしくない、豊かな香りが鼻腔を刺激する。
「ぐう」
お腹から声を出し、シルが顔を赤らめる。
「ちょうど出来たわ、シル。いらっしゃい」
ルクシアが調理場から声をかけ、ユールはてきぱきと食器を並べている。
「この世界の食べ物?」
「いや、この世界に流れ着いた廃墟から、僕とルクシアが集めた保存食品だよ」
ユールが答える。
食卓には、調理された美味しそうな料理が並び始めていた。
ガルトは、調理場の横にある大仰な装置から、水を汲んでいる。
「この世界の雨はとても危険だが、水はどうしても必要だ。この装置は、完全ではないが、雨の力を弱めてくれる」
全員が席につき、手を合わせる。
「「いただきます」」
「っ! おいしい!」
シルが、その赤い瞳を輝かせる。
「良かった」
ルクシアが、美味しそうに料理を頬張るシルを、微笑みながら見つめる。
シルが食卓を見ると、彼女以外の料理は、量が少なく見えた。
「みんなは、あんまりお腹空いてないの?」
「……ええ。この世界の雨の影響なのか、だんだんと、空腹や喉の渇きを感じなくなっているの。体調の変化も、特になさそうで……」
ルクシアが寂しそうな表情を浮かべる。
「まぁ、食料も限られてるし、何より水を飲まなくていいのは助かるけど」
ユールは、料理の盛られた皿を見つめる。
「さあ、冷めないうちに食べて!」
ルクシアが元気よく声を出す。
スープが、じわりと身体の中を温めてくれた。
***
「それじゃあ、行きましょうか」
ルクシアがシルへ声をかける。
「わざわざ、ありがとう。ついてきてくれるなんて」
「ひとりでこの世界を歩くなんて危険だから。それに、まだシルと話足りないわ」
ルクシアの言葉に、シルは少し困った顔で笑う。
「僕も行くよ」
ユールが外套を羽織りながら、二人へ歩み寄る。
「あっちの方へは、あまり行ったことがないんだ。山なんて遠くて、ルクシアが一人では行かせてくれないしね」
「少し、待っていてくれ」
少しして、ガルトが工房の奥から、短い筒のようなものを持ってくる。
「これは、ルクシアの雨具を作る過程でできた試作品。使えるかもと、取っておいたものだ」
彼が筒の底を触ると、カラカラと変形し、笠状に広がる。
シルが笠を被ると、彼女の頭部に合わせて滑らかに変形した。
「ありがとう!」
シルの感謝に、ガルトは首を振る。
「感謝するのは俺のほうだ、シル」
ガルトは完成済みの装置――【reCore】を、シルへ手渡す。
「これを、持っていってくれ……」
装置を渡そうとするガルトの手は、震えていた。
記憶を失い、この世界で唯一、彼の目的だった装置の完成。その重みが、シルの手に載る。
「これは、ここに置いておいても意味を成さない。シル、あんたが持っているべきだと――感じるんだ」
ガルトが窓の先、山の頂上に重なる、世界の亀裂を見つめる。
「あの先に、きっとあの人がいる。だが、老体には難しい」
「わかった」
シルはコアを両手で包む。組み込まれた粒子が、脈打つように流動している。
三人は雨具を身に付け、空の下へ出る。
扉のそばで見送るガルトへ、ユールは振り返る。
「いってきます」




