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▼第二話「あなたが、父さん、です、か……」




   ▼第二話「あなたが、父さん、です、か……」


 テツの叫びで正気に戻ったケイシンは、声のする方を振り返った。それは右後方、両親が寝室にしていた部屋からである。


「おい、状況はどうなってる!?」とケイシンが慌てて聞き返すが、テツは返事もせず、目を閉じながら両翼を合わせ「なんまんだぶ、なんまんだぶ……、くわばら、くわばら」と経を唱えるのみであった。


 ケイシンとタメは、自らの背丈を超えるごみの山にわずかに開いたけもの道のような隘路をかき分け、それを崩さぬように気を遣いながら急いだ。


 それにしても、恐ろしいほどの汚さである。


 いったい、この家にはどうして、これほどまでのがらくたやごみが存在しているのだ? 子供の頃、ケイシンもゴミ捨て場に捨てられてた漫画を持ち帰ったことはあるが、いわば、この部屋の住人は、それの超極端なことをしているのではないか? しかも、その基準が、めちゃくちゃ歪に狂っているのではないか? はたから見たらとうに壊れているものでも、「何かに使えるかも」と、拾いたくてたまらなくなるのではないか? そして、日々の不安や孤独を紛らわすために、これらの「何かに使えそうな便利なもの」で埋め尽くして、安心を得たいのではないか?

 狭い洞窟を進む探検隊のように、ゆっくりと慎重に歩くうちに、ケイシンの目には、これら雑多なごみ群れが、住人Xの不安と孤独の海そのものに見えてきた。

 ダッチワイフの頭部に入り込んだ五十代男性の霊どもは、「あらどうしたのかしら」だの「やあね、騒がしいわ」だの、すり鉢のごみの土手からずらっと並んで好き放題おしゃべりしている。あまりにも気分が悪いので、すぐさま成仏させてやろうかとも思うが、いまはそれどころではない。

 しかし、この部屋、なんか臭い。野郎の据えた汗のような獣っぽい臭いとごみのにおいとが混じりあい、しかもそれがこもって淀んでいるのだ。窓はカーテンごとごみに飲み込まれていて、とてもじゃないが開閉は出来まい。この部屋は、昼間だというのに、カーテンが閉め切られていて、本当に薄暗いのだ。いったい、換気はいつからしていないんだ? そして、こんな部屋で、どうやって快活で実りのある人生が送れるというのだ? 多年の厳しい修行を経て、不死鳥舞踊拳を身に着け、天下十大達人をことごとく倒した最強のまあまあ鳥・ケイシン=ヤサトをもってしても、この部屋に入ってから悪寒と頭痛が止まらない。というか、くしゃみが出始めた。鼻がずびずびとしてきて、水のような粘液がとめどなく垂れてくる。ちら、と隘路を縦列でついてきているタメの顔を見て、ケイシンは本当に申し訳ないと思った。喘息なのだろう、さっそく乾いたひゅうひゅうとした音が肺から漏れて聞こえてくるかのようだった。タメの顔には、今すぐに帰りたい、とはっきりと書いてあった。(ああ。この部屋は、空前絶後のとてつもない魔窟だ)と、魔鳥殿序列一位にして魔鳥会の総帥が、内心で太鼓判を押す。


「ぎゃあああああああああ!!!!」と再びテツが叫んだ。

「ど、どうした!? 死んでるのか!?」

「そ、そっちじゃねえ!!!!」


 どういう意味だよ、と心の中で突っ込みながらごみの細道を抜けると、テツは目を見開いて腰を抜かしていた。彼は魔鳥殿を序列二位で卒業したのち、魔鳥会の特殊遊撃部隊「白鷹隊」の隊長として数々の大戦で戦果をあげた、タフガイ中のタフガイである。凄惨な現場など、見慣れているはずだ。そんな男の身にいったいなにが、と息せき切って部屋を覗き込むと、二羽も硬直し、唖然としたままごくりと生唾を飲み込むしかなかった。


 その部屋の向かって正面の壁一面に、人工の血色をしたたくさんのラブドールが何体も何体も、積まれていたのである。その部屋は窓もなく、とくに薄暗いので、それらの人形が、一瞬本当に生きているかのように思えて、ケイシンも思わず叫び出しそうになった。お約束で、一体一体に霊が入ってしまっていて、それがまた妙に人形とは思えぬ存在感を放つのに一役買っているのだ。しかも、その効率性だけを考えた積み方は、まるで奴隷貿易船を思わせるような組み方であった。つまり、頭部と脚部を互い違いにして、凹凸を埋めて面積を圧縮しているのである。それはなにか、ぞっとするような、本質的な、尊厳そのものを踏みにじるかのような不気味さをも感じるのであった。この部屋の住人は、鳥権というものを踏みにじることで興奮する性癖なのではないか。そんな考察まで一瞬にして及んでしまうほど、ケイシンは時の流れがひどくゆっくりに感じるのであった。


 そしてそれら性奴隷人形たちの壁を背景に、部屋の真ん中に薄い平たいふとんが敷いてあることにケイシンは気が付いた。そしてそのふとんには、老鳥が横たわっている。その顔にはどこか見覚えがあって。


 え???? 父さん????


「ひ、ひえええええええッッ!!!!」タメもほぼ同時に老鳥に気付いて叫び、その場にへたりこんだ。


 ケイシンこそ、膝をつきそうな衝撃を受けていた。


 この異様な環境で寝起きしていてる老雄鳥は、俺の父親なのか。


 昔川遊びをしたときの思い出が蘇ってきた。父はまだ若く、たくましく、精悍であり、俊敏であった。野性が備わっていて、判断力もあった。そこは白い石ころの転がっている河原だった。そこら辺の石を円状に敷いて焚火をした。母もいた。妹も弟もいた。俺たちは、家から持ってきた何かを焼いて食べた。その頃の親父はカッコよかった。そうだ。お父さんは、じつは世界を救っているウルトラバードなのだ、と父が言ったとき、俺はたやすくそれを信じた。そうか、俺の父親はかくもすごい鳥だったのか、と素直に思っていた。俺は、純情であった。


 ケイシンは、大量のごみに溢れた部屋や、セーラー服の大量にかかったハンガーラックが複数あることや、ダッチワイフが奴隷商かってくらいの業務用の量を備えていることや、室内にそれを立たせていることや、頭部のみを自身の居住スペースの中心を囲うように配置している異常性や、換気のされてない腐った空気など、この環境のすべてが、自身のアイデンティティを汚染していくのを自覚していた。子供の頃の清らかな思い出や、父に対する信頼感、男とは何かという根源的な心の形、そういったものが、どんどんと汚れ、黒ずみ、灰になっていくような気分であった。


 唐突かつ猛烈な吐き気を催し、ケイシンはおえええええっ、とその場でえづいた。これほどの精神的ダメージは、大盗賊の秘庫に忍び入ったときの陣法による幻覚攻撃のときにだって感じたことはない。


「だ、大丈夫ですか、会長!!」とタメとテツが心配して顔を覗き込んでくる。そして、「お知り合いの方でしたか?」とテツが剛速球ストレートを放って来た。

「いや、ちょっとまだわかんねえっつうか、まあ、なに? これくらいの年の鳥ってさあ、みんなおんなじ顔に見えるっていうかさあ。うん、この部屋マジで薄暗くてよくわかんねえし、まだほんとに他人の可能性全然あるっていうか」ケイシンは、咄嗟に誤魔化していた。

「で、ですよね~。いやしかしもしお父さんだったら、ねえ、あはは……」とタメは言葉を濁した。「まあでも、ね、こういうのはプライベートな性癖って言うんですかね、誰にでもあるんじゃないですか、多かれ少なかれ」

「いや多過ぎるんだよ!!」ケイシンが思わず怒鳴る。「いやごめん、お前らに言っても仕方ねえよな。しかし、なんだこれは。俺の生まれ育った、思い出の家が、ハチャメチャだよ」

「きっと、なにか深い事情があったのでしょう」

「事情ったってお前……」


 このごみの量から推理したように、独居のはずである。しかし、ほかの家族はどこへ行ったのか? なぜ彼はここで一人で住んでいたのか?


「いやでもまだ親父と決まったわけじゃない。そうだよな? な? どっかのホームレスが転がり込んできたっていう説も考えられるし。まあそのほうがありがたいっていうか。いや、勘弁してほしいよな、俺の実家なのにさあ」言い訳がましく、口数が増す。

「そ、そうっすよね。とりあえず、死んでるとしたら警察? っすかね」とテツが応じる。「そうすれば身元も判明しますよ、きっと」


 しかしながらケイシンは、この老鳥の身元が判明することに対して、まったく肯定的な気分になれないのだった。できれば、よく似た他人であってほしい。最悪、父の兄弟とかでもいい。父でなければ、と願うのみだ。


 そのとき、ひえええっとタメが叫んだ。何事か、と俯いていた顔を上げると、なんと老鳥が起き上がろうとしているではないか。「ひゃあああんっ」さしもの魔鳥会会長もこれには奇声をあげて飛び上がるほかなかった。


 そのからからに乾いた干し芋のような老鳥は、むくっと起き上がるなり、三羽の鳥を無言で眺めまわした。そして、ケイシンの顔を見るなり、がばっと立ち上がって抱き着いてきた。


「ケイシン!! 我が息子よ!! 生きておったか!!!!」


 あーあ、台無しだ。全部台無し。お前が父親でなければ、どんなによかったことか。なんであんたが父親なんだ。この部屋を汚し、俺の幼少期を穢した狂人が俺の父親だとは。


 熱烈に抱擁してくる父に対して、ケイシンは固まっていた。こんなグロテスクな住環境の主が、厚顔無恥にホームドラマの一幕を演じようとしていることについていけなかった。感性が違い過ぎる。当の本人は、再会の感動なのか、もう涙すら滲ませている。観客はダッチワイフの頭部たちだ。「きゃ♡」なんて言って喜んでいやがる。気色悪い野郎どもめ。ケイシンは、さすがに抱き締め返す気になれなかった。俺は、正直言って引いてるんだよ、親父。


 しかし、まだ人違いであるチャンスはある。


「あのう、一応確認なんですが、あなたのお名前を窺っても?」

「俺か? アキナ=ヤサトだ」

「ああ……。あなたが、父さん、です、か……」


 その言葉には、非常に複雑で多くのニュアンスが含まれていた。顔だけでなく、名前まで一致した。認めたくないが、寝起きする住まいもかつてと同一である。この男が、父さん……だ。


「お前、大きくなったなあ」と薄暗い部屋で、年老いてすすけて小汚い老人になった父がしげしげとケイシンの顔を見ている。サブいぼが立ってくる。そんな三文芝居は、もっと小マシな人間らしい家でやってくれ。

「……あのさ。いいからそういうのは。ちょっと離れてくれねえか。なんか汚えし」

「お、そうか。すまんすまん。久しぶりだったもんで、喜んじゃっただよ」


 ちっとケイシンは舌打ちをした。明らかに苛立っている。丹田に気が無意識に集まっていき、圧が強くなってゆく。部屋にひしめいていた浮遊霊なぞは、この気にあてられて散り散りに消えていった。


「親父さあ、なんだよこの家はよ」

「家? あっ」父アキナは状況を飲み込んだ。


 全員が沈黙した。霊すらも。静寂が支配した。


「いやまあ、なんていうのかな、ほら、自分はずぼらな人間で」

「ずぼら? そんなレベルの家か? てかこのダッチワイフの山は一体なんなんだよ」


 老いた父は赤面して何も言えぬのであった。

 しかし、ひとつの心強い前途に勇気を得て、久し振りに再会した息子に話しかけるのだった。


「まあそう言うなケイシン、じきに片付けるよ。それよりな、近々六千万ダルが振り込まれる。お前にも百万園くらい小遣いでやるからな。楽しみにしてろよ」

「は? どういうこと?」

「こないだそういうメールが来ただよ。俺がなんかアクセス百万羽の記念だったらしくて、代理鳥の方から六千万ダル当選したって連絡きただよ」

「は????」

「とりあえず口座の番号だけ教えただけど、今度は代理鳥に振り込み手数料に十五万園必要っ言われてるだよね。これ、どう思う?」

「……詐欺だよ」


 ケイシンは悲しかった。父は、学こそなかったが、本などをよく読んでいて、なかなか賢そうな男だった。仕事でも、全国チェーンの並みいるライバルの中から抜きんでて、セールスで長年王国一に君臨していた雄鳥だし、頭は悪くないはずだった。その男が、どうしてこうなった。中学生が引っかかるような詐欺の初級編だぞこれは。判断力はどこに消えた。老いとは、いったいなんなのか。

 たった一羽しかいない父親なんだから理解するべきか、とケイシンはさらに苦悩する。理解しようとするが、老いさらばえて醜く恥をさらす父の姿を受け入れることを抵抗していた。誰が? 今の自分もだが、何よりも、過去の少年時代の父にあこがれていた自分が、である。


「ええ、詐欺か。六千万ダル、だめか」

「だめだよ」ケイシンは肩を落とした。アキナも肩を落とした。その姿は、親子だけに、悲しいかな、よく似ていた。

「あ、でも」とアキナはまたも胸を張った。「明日の夜、百万園貰えるあてがある」

「おいおいおいおい」とケイシンはもはや、胸が痛くなった。この老鳥は、つぎにいかなる詐欺にはめ込まれようとしているのか?「くわしく話してみて」

「わからんけど、ツタヤの駐車場に夜集まれって言われてるだよ。それから何するかは聞いてないけど、百万園貰えるらしい」

「あのさ、それ絶対闇バイトじゃん。絶対強盗の一員になるやつじゃん。ジジイがジジイ襲ってどうすんだよ」

「ああ、そういうやつか」

「誰が親父みたいなやつにポンと百万園渡すんだよ、そんなうまい話あるわけないだろ」

「そうか、ないか」

「親父、ほかに最近変わったことなかった?」


 アキナは満面の笑みを浮かべた。


「最近なあ、俺モテるだよ。新羅国の人たちからめちゃくちゃモテてな、こんなにモテるのは二十代ぶりぐらいだ」

「は? なんで海外?」

「ティックタックっていうアプリでな、顔載せたらもうカッコいいだのなんだのって反応がドえらくってなあ、毎日ライムしてるだよ」

「は? ティックタック? ライム?」

「すごい時代だなあ、みんな俺の家に遊びに来るって言っててさあ。楽しみだよ。新羅からわざわざ舞浜に来るなんてなあ、家も片付けんと」アキナは気の毒なほど浮かれている。「お前より若い奥さんが出来るかもしれんぞ、いやあ、お前に弟か妹をつくってやらにゃいかん」

「……親父さあ、それ、言うまでもなく詐欺だよ」

「は? 詐欺?」

「当たり前じゃん……」

「ばっかおまえ、詐欺なわけないだろ」

「なんか金要求された?」

「アイチェーンカードを三千園ぶん送った。え? やっぱこれ詐欺け?」

「親父さ、口座番号も住所も教えたのか? 殺されて背乗りされてもマジでわからんぞそんなの」

「いやでもやけに資産運用の話してくるなとは思った」

「それもうカモにしか見えてねえって」鳥だけに。

「とんでもない世の中に失望した」とアキナは本当に深いため息をついた。俺はあんたに失望してるよ、とケイシンもため息をついた。


 ケイシンは、はっと気が付いてタメとテツの顔を見た。二羽とも、土気色のどぶのような顔をして立ち尽くしていた。こんな話を聞かせてしまって、気を遣わせてしまって、マジですまん。


「なあ、ほかの家族はどうなったんだよ」とケイシンはアキナに尋ねた。

「まあいろいろあったもんで、お前が失踪して二年後に離婚しただよ。そいで俺は再婚して、お前には腹違いの妹がおるだよ。そんで、また離婚して今に至るだね」

「いやハードすぎんだろ」

「人生の先輩として言わせてもらうとね、女や性欲に振り回される一生を送っちゃいかんよ」

「現在進行形でロマンス詐欺にガンガン引っかかってる鳥に言われても」


 そのとき、タメがうまいこと父と息子の間を取り持とうとして割って入ってきた。


「お父様、私はタメと申します。ケイシンさんの部下をやらせてもらってます。ケイシンさんのお母さまは、いま一体どこで何を?」

「ああ、アケミなら、新興宗教の教祖をやっているよ」

「し、新興宗教の教祖?!?!?!」


(つづく)

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