表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/20

第三話:消えたラブレターと臆病な恋心

佐伯美緒の万年筆の一件から数日後。


ミステリー研究会の部室には、いつものように怠惰で平和な時間が流れていた。


はずだった。


「できたーっ! 私の渾身のラブレター! 今世紀最高の出来よ!」


桜木結衣が、ピンク色の便箋を高々と掲げ、勝利宣言のように叫んだ。


その声に、麗華は読んでいた推理小説から顔をしかめてみせる。


「桜木さん、またですか。先月の今頃も、確か同じようなことをおっしゃっていませんでしたか? 相手はバスケ部のキャプテンでしたかしら」


「ぶ、部長! それは言わない約束でしょ! 今回は違うんです、今回は本気と書いてマジなんです!」


頬を赤らめながら力説する結衣に、クマさんが人の良さそうな笑顔で尋ねる。


「お、結衣ちゃん、今度は誰にだい? 応援するぞ」


「それはまだ秘密ですー! でも、クマさん、応援ありがとうございます! 今度こそ、この想い、届けてみせます!」


そう言って、結衣は完成したばかりのラブレターを自分の机の上に置き、満足そうに眺めた後、「ちょっとお茶淹れてきまーす!」とスキップするように給湯室へ向かった。


その数分後。


「ないっ! ないっ! 私のラブレターがなーーーーいっ!!」


部室に響き渡ったのは、結衣の悲鳴に近い絶叫だった。


給湯室から戻ってきた彼女は、自分の机の上を何度も確認し、パニックに陥っている。


「え、ラブレターって、さっきの?」


詩織が驚いて尋ねる。


今日はたまたま慧と一緒に部室を訪れていた。


「そうだよぉ! あんなに頑張って書いたのに! どこにもないの! うわーん、絶対誰かが盗ったんだわ!」


結衣は床にへたり込み、本気で泣き始めている。


麗華はため息を一つついてから、冷静に状況整理を始めた。


「桜木さん、落ち着いてください。まず、あなたが席を外していたのは何分くらいですか?」


「えっと…3分…いや5分くらい?」


「その時、部室にいたのは…」


麗華が室内を見渡す。


「相田くんに深町くん、それから熊井先輩…私は少し遅れて入室しましたから、この3人の誰か、ということになりますね」


途端に、結衣の涙が止まり、疑いの眼差しが三人に向けられた。


「さては…この中に私の恋路を邪魔しようって輩がいるのね!」


「おいおい、人聞きの悪い」


航は読んでいた論文から顔を上げずにつぶやいた。


「俺はさっきからこの一篇の恋愛心理学に関する考察と格闘してる。現実の恋愛沙汰に構ってる暇はない」


「わ、わしじゃないぞ、結衣ちゃん! そんな乙女の大切な手紙を、わしがどうこうするわけなかろう!」


クマさんが慌てて両手を振る。


慧は、ただ静かに結衣の様子を見つめていた。


「それで、桜木さん。そのラブレター、誰に宛てたものだったんですか?」


詩織が優しく尋ねる。


「それは…サッカー部の…一年の星、望月くんなの…」


結衣はもじもじしながら答えた。


「明日、練習試合が終わった後、直接渡そうと思って…うぅ、もうお嫁に行けない…」


「まだ告白もしてないでしょうに…」


麗華がこめかみを押さえる。


「とにかく!私のラブレターを返してよー!」


部員たちが半ば呆れながらも部室内を捜索し始めたが、ピンク色の封筒は見当たらない。


結衣は床を転げ回りながら、「私の青春が!」「悪魔の仕業だわ!」と騒ぎ立てている。


そんな中、慧が静かに口を開いた。


「そのラブレターって、どんなことを書いたの?」


ピタリ、と結衣の動きが止まる。


「え? そ、それは…もちろん、望月くんの素敵なところとか…私の燃えるようなこの気持ちとか…とにかく、すっごく頑張って書いたんだから!」


結衣は早口でまくし立てたが、その目は泳いでいた。


「ふーん…」


慧は小さく頷いた。


「渡すのが明日なのに、今日完成させて、ここに置いておいたんだね」


事実を淡々と確認するような慧の言葉に、結衣は「うっ…」と何かを言い淀んだ。


捜索は難航した。


ゴミ箱の中も、本棚の隙間も、クマさんの巨大なリュックの中(本人の許可を得て)も調べたが、ラブレターの影も形もない。


「やっぱり誰かが隠したんだ! 私の純粋な乙女心を弄んで! もう許せない!」


結衣の怒りは頂点に達し、普段の彼女からは想像もつかないような剣幕だ。


詩織が「結衣ちゃん、落ち着いて…」と声をかけるが、もはや聞く耳を持たない。


慧は、そんな結衣の姿をじっと見つめていた。


彼女の過剰なまでの犯人捜しへの執着。


ラブレターの内容を具体的に語りたがらない曖昧な態度。


そして、時折見せる、怯えにも似た表情。


慧は、隣にいた詩織にだけ聞こえるような小声で呟いた。


「結衣ちゃん、本当にラブレターが“盗まれた”ことを怒ってるのかな…それとも、何か別のことを恐れてるんだろうか…」


詩織が慧の顔を見る。


「別のこと…?」


「うん。例えば…ラブレターが誰かに読まれることかもしれないし…もっと言えば、そのラブレターを、望月くんに“渡すこと”自体に、何かためらいがあるとか…」


慧の言葉に、詩織はハッとした。


言われてみれば、結衣の瞳の奥には、怒りや悲しみだけでなく、もっと複雑な感情が渦巻いているように見える。


それは、不安、戸惑い、そして、ほんの少しの…安堵?


まさか、とは思う。けれど、慧の言葉はいつも、物事の隠された一面をそっと照らし出すのだ。


詩織は、ヒステリックに騒ぎ続ける結衣の横顔を、改めて見つめた。


本当に大切なのは、消えたラブレターの行方だけなのだろうか。


それとも…。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ