第十八話:受け継がれる想い
厳粛な雰囲気の中で執り行われた卒業式。
答辞を読む竜崎麗華の姿は、いつも以上に凛として美しく、卒業証書を受け取る熊井権蔵――クマさんの少し照れくさそうな笑顔は、参列者の心を温かくした。
式が終わり、校門の前では、後輩たちが卒業する先輩たちを胴上げしたり、別れを惜しんで記念写真を撮ったりする光景が広がっていた。
ミステリー研究会の慧、詩織、結衣、航も、花束を手に麗華とクマさんを囲み、これまでの感謝の言葉を伝えた。
言葉にできない寂しさが胸に込み上げるのを、四人とも感じていた。
先輩たちを見送った後、陽が傾き始めた頃。慧、詩織、結衣、航の四人は、約束の場所――中庭に佇む古いガス灯の下へと、静かに集まった。
「『未来を照らす灯火』…先輩たちは、ここに何を隠したんでしょうか…」
詩織が、期待と緊張が入り混じった声で呟く。ガス灯は、夕暮れの光の中で、まるで何かを語りかけるように静かに佇んでいる。
慧がガス灯の石造りの台座を注意深く調べていくと、苔むした表面に、極めて小さな金属製のプレートが埋め込まれているのを発見した。
そこには、一見ランダムなアルファベットの羅列に見える、新たな暗号が刻まれていた。
「これは…シーザー暗号の一種か?いや、もっと複雑だ…」航がノートパソコンを取り出し、解析を試みる。
「待って、この文字の配置、どこかで見たような…」結衣が首を捻る。
慧は、暗号のパターンと、ミステリー研究会の活動記録や、過去に麗華が好んで引用していた推理小説の一節とを照らし合わせていた。そして、詩織がふと呟いた。
「もしかして…私たちが初めて一緒に解いた、あの時の暗号と何か関係があるのかも…」
詩織の言葉がヒントとなり、慧の頭の中でバラバラだったピースが繋がった。
それは、単なる文字の置き換えではなく、研究会の歴史の中で重要なキーワードとなったいくつかの言葉を鍵とする、多層的な暗号だったのだ。
四人は、これまでの謎解きで培ってきた知識と経験、そして何よりも、先輩たちと共有した時間を総動員して、最後の暗号解読に挑んだ。
慧の鋭い洞察力、航の的確な情報分析、結衣の時折見せる意外な閃き、そして詩織の細やかな記憶力と共感力が、見事に噛み合った。
そしてついに、暗号が示す場所――ガス灯の足元、特定の敷石の下に隠されていた、小さな金属製の箱、タイムカプセルのようなものを見つけ出したのだ。
緊張しながら箱を開けると、中には丁寧に折り畳まれた二通の手紙と、真新しい一本の部室の鍵、そして小さな手作りのアルバムが収められていた。
まず、麗華からの手紙を詩織が読み上げた。
「親愛なるミステリー研究会の後輩たちへ。
この謎を解き明かした君たちならば、きっとこのミステリー研究会の未来を、安心して託せると信じています。
私たちの始まりは、本当に小さなものでした。誰も見向きもしないような、ただのミステリー好きの集まりから、たくさんの困難と、それ以上の数えきれない喜びを経験し、今のこの場所があります。
どうか、このミステリー研究会という場所で、真実を探求する純粋な心を忘れずに、そして何よりも、最高の仲間たちと共に、かけがえのない素晴らしい時間を過ごしてください。
P.S. 部室のコーヒーメーカー、少々奮発して最新式にしておきましたわ。
美味しいコーヒーは、名推理の源泉ですからね」
次に、クマさんの手紙を結衣が読み上げた。少し不器用だが、温かい文字だった。
「ミステリー研究会のみんなへ。
俺たちが卒業しても、この部がなくなるわけじゃねえ。
たまには顔を出すつもりだし、その時はまた、みんなに美味いお菓子でも作ってやるつもりだ。
もし、何か困ったことがあったら、いつでも遠慮なく俺たちを頼ってくれ。
みんなは、俺たちの大切な、自慢の後輩だからな。
P.S. 新しい部室の鍵、絶対に無くすんじゃねえぞ! 特に結衣!」
手紙を読み終えた詩織と結衣の目からは、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちていた。
慧も航も、言葉にはしなかったが、熱いものが胸に込み上げてくるのを抑えきれなかった。
アルバムには、研究会発足当時からの、麗華とクマさん、そして歴代の部員たちの笑顔が詰まっていた。
その一枚一枚に、かけがえのない時間が凝縮されているようだった。
「先輩たち…私たちのこと、こんなに…こんなに大切に想ってくれてたんだね…」
詩織が声を詰まらせる。
結衣は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、夕焼け空に向かって叫んだ。
「麗華先輩! クマさーん! ありがとうございましたーっ! 私たち、ミステリー研究会、もっともっと、世界一面白い場所にしますからーっ!」
その声は、どこまでも遠く響き渡った。
ふと、慧が校舎の二階の窓を見上げると、卒業式の後片付けをしていたはずの麗華とクマさんが、一瞬だけ顔を出し、後輩たちの姿を優しい笑顔で見守っているのが見えたような気がした。
いや、確かに見えたのだ。
数週間後、桜が満開の季節。
新学期が始まり、ミステリー研究会の部室には、慧、詩織、結衣、航の四人の姿があった。
麗華が残してくれた新しいコーヒーメーカーで、詩織が丁寧にコーヒーを淹れている。
先輩たちが卒業した寂しさはまだ残っているが、それ以上に、新たな責任感と希望が部室を満たしていた。
コンコン、とドアをノックする音がした。
「あの…ミステリー研究会は、こちらでよろしいでしょうか…?」
不安と期待が入り混じった表情で顔を覗かせたのは、数人の新入生たちだった。
慧と詩織は顔を見合わせ、そして、穏やかに微笑んだ。
「ようこそ、ミステリー研究会へ」
詩織の心の中には、卒業していった先輩たちへの深い感謝と共に、隣に立つ慧への確かな信頼と、春の陽射しのように温かく、そしてほのかに甘い恋心が、確かに芽吹いているのを感じていた。
ミステリー研究会の新たな物語が、今、静かに、そして力強く始まろうとしていた。