第十七話:卒業する先輩たちの置き土産
ライバル校との刺激的な合同合宿も遠い記憶となり、ミステリー研究会には再び穏やかな時間が流れていた。
しかし、その穏やかさの中には、春の訪れと共に近づく別れの気配が、どこか寂しさを滲ませていた。
部長の竜崎麗華と、副部長の熊井権蔵――クマさんの卒業式が、もう間近に迫っていたのだ。
「うわーん、麗華先輩とクマさんがいなくなっちゃったら、この部室、火が消えたみたいに寂しくなっちゃいますよーっ!」
部室のソファで、桜木結衣が特大のハンカチ(クマさんからの餞別の一つらしい)で大げさに涙を拭っている。
詩織も、窓の外に咲き始めた早咲きの桜を見つめながら、言いようのない寂しさを感じていた。
慧は、いつもと変わらず静かに本を読んでいたが、その視線は時折、麗華とクマさんが座っていた席へと向けられていた。
航は、卒業する先輩たちのために、思い出の動画でも作ろうかと一人黙々と過去の活動記録を整理している。
卒業式の前日。
放課後の部室に、麗華とクマさんが揃って姿を現した。
その表情は、いつになく神妙だ。
「さて、ミステリー研究会の皆さん」麗華が、わずかに口角を上げて言った。
「私たちから、あなたたちへ贈る、最後の挑戦状よ」
「俺たちからの、ささやかな置き土産ってやつだ。まあ、楽しんでくれよな」
クマさんも、少し照れくさそうに付け加える。
二人がテーブルの上に置いたのは、アンティーク調の小さな木箱だった。
中には、錆びついた一本の鍵と、羊皮紙を模した一枚の紙が入っている。
そこには、美しいカリグラフィーでこう記されていた。
『始まりの場所へ導く鍵、過去の扉を開く言葉を探し、我らが魂の在り処を突き止めよ』
「これが…先輩たちの最後の謎…」詩織が息を呑む。
「よーし!絶対に解いてみせます!先輩たちの愛のメッセージ、必ず受け取ってみせますから!」結衣が意気込む。
「愛のメッセージかどうかはともかく…」麗華は苦笑しつつ、「ヒントは、この研究会そのものよ。健闘を祈るわ」と言い残し、クマさんと共に部室を後にした。
残された慧、詩織、結衣、航の四人は、早速謎解きに取り掛かった。
「始まりの場所へ導く鍵」という言葉と、古びた鍵。
そして「過去の扉を開く言葉」。
慧は、鍵の形状と、羊皮紙に描かれた小さな紋章のようなものに注目した。
「この紋章…確か、学校の創立当時の校章の一部に似ている。そして、この鍵の形は、旧図書館の古い書庫の鍵によく似ている気がする」
慧の推測通り、鍵は旧図書館の奥深く、今はほとんど使われていない書庫の扉を開いた。
そして、「過去の扉を開く言葉」とは、書庫の特定の棚に収められた、一冊の古い文学全集の、あるページの一節だった。
その一節が示すのは、ミステリー研究会がまだ正式な部として認められる前、同好会ですらなかった頃に、麗華が活動拠点としていた、校舎裏の使われていない小さな倉庫だった。
倉庫の中には、もう一つの木箱が隠されており、そこには麗華が手書きで記した、ミステリー研究会(仮称)の設立趣意書や活動計画書の草稿、そして、数枚の色褪せた写真が入っていた。
「うわー!部長の字、今よりちょっと丸っこい!なんかカワイイ!」結衣が歓声を上げる。
写真には、今よりも少し幼い麗華と、そして意外にも、今より少しスリムな(?)クマさんが、ぎこちない笑顔で写っていた。
「麗華先輩、最初はずっと一人で立ち上げようとしていたんだね…」詩織が、趣意書の熱意のこもった文章を読みながら呟いた。
そこには、麗華のミステリーへの純粋な情熱と、仲間を求める切実な思いが綴られていた。
次の謎は、その写真の裏に隠された暗号だった。
それを解き明かすと、今度はクマさんがミステリー研究会に関わることになったきっかけが明らかになる。
それは、麗華の熱意にほだされたというよりは、むしろ、麗華がなくした大切な万年筆(奇しくも慧が持っているものとよく似た、祖父の形見だった)を、クマさんが偶然見つけて届けたことから始まった、ちょっとした誤解と偶然の連続が生んだ「縁」だった。
「クマさん…ただのお人好しっていうか、優しいっていうか…」結衣が感動とも呆れともつかない声を出す。
「先輩たちは、ただミステリーが好きだという共通点だけで繋がったわけじゃなかったんだね…」慧が静かに呟いた。
「見えないところで、たくさんの小さな出来事や思いが積み重なって、このミステリー研究会という場所が生まれたんだ」
詩織は、知られざる先輩たちの歴史と、そこに込められた温かい思いに、胸が熱くなるのを感じていた。
謎はさらに続き、ミステリー研究会が正式に部として認められるまでの苦労や、初めての部員(それは結衣や航よりも前の世代だった)との出会いと別れ、そして、現在の部室を獲得するまでのドタバタ劇などが、次々と明らかになっていく。
そして、ついに最後の謎を示す一枚のカードが見つかった。そこには、こう書かれていた。
『我らが魂の在り処は、未来を照らす灯火のもとに。卒業の鐘が鳴り響く時、真の宝が現れる』
「未来を照らす灯火…卒業の鐘が鳴り響く時…」麗華が謎の言葉を繰り返す。
「卒業式当日、ってことですよね!?」結衣が叫ぶ。
「そして、灯火といえば…」慧の視線が、部室の窓から見える、中庭に立つ一本の古いガス灯に向けられた。
それは、学校創立時からあると言われる、歴史の古いものだった。
「卒業式の後、あそこに行けば、先輩たちの本当のメッセージが分かるんだね…!」
詩織が期待に胸を膨らませる。
卒業式の朝は、もうすぐそこまで迫っていた。
先輩たちが残した「最後の謎」に込められた、本当の「宝物」とは一体何なのか。
後輩たちは、それぞれの思いを胸に、その時を待った。