春心楼の入口
随分と格式のある妓楼の裏口に着いた。
「春心楼」という見世の名前を聞けば、長安に住まう商人や地方官なら、たちまち心を蕩かせるに違いない。ここで酒宴を開くと、庶人としてはこの上ない成功をつかんだことになるわけだ。
入口の辺りで、強い風が吹いて、着物の端を押さえようとするわたしの手を、例の男は素早く取って、早くも馴れ馴れしく、異性の扱いに長けた態度を見せた。
「いいから先に行って」 とわたしは言った。
「すぐにあとをついて行くから」
男は少し不安気な表情を隠し、建物の中へ進むと、入り組んだ廊下の先にある狭い階段を登った。
彼は先に行くたびに、わたしの方を振り返りながら、やがて二階のいちばん奥の部屋の前に立ち留まった。
廊下は暗くじめじめとして、きつい香木の匂いの奥に、人間の汗と欲望の入り混じった淫靡な香りがした。
「互いにひどく濡れてしまった」
そういって彼は袖をすぼめると、自分の体よりも先にわたしの上着と首周りの解けかけた雪を拭いた。
「ここが貴殿の家というわけか」 とわたしは言った。
「温まって行くと良い。銘酒や餅茶、それに素晴らしい肉や魚もある」
騒ぎの音は少し遠くなったが、寒さはかえってしのび寄るように、いっそう肌と衣服の間に入り込んできた。薄暗い部屋の前にいても、爪先の氷のように冷たく、わたしはとやかくいう間もなく内へくぐった。
部屋は敷きっぱなしの布団を除けば、かなり整頓されていた。壁際には、二着分の衣装が重ねて置いてあり、そのうちの片方は上質な仕立てだと判かる。例の色男は、机の上の紙を片付けて、その前に腰かけると、布で手足を拭いて、燭台に火を灯した。
「すぐに湯をもってこさせよう。炭櫃に対して待っておられよ」
返事を待つまでもなく、男は部屋を出て行った。
わたしは妓楼で一人誰かを待つ女となった。
もしわたしが遊女だったなら、自らの将来と身の上を悲嘆し、寂しさと焦燥にとらわれているのだろうか。年を重ねた遊女の身の上などは、物語の世界にあるような華やかで、侠気に満ちたものではない。少しずつ埃子を被って黴が生え、病に身を蝕まれつつ、腐臭を撒いて生命を落とすのが大勢である。このような虚しさや頼りなさは、『傾城の恋』の中に活かされるべきだと思った。