梅玲との別れ
男は、梅玲の突き出す短刀の先を避けるように、境内の入口の周りを歩いた。壊れた観灯の火を、男は足で一つずつ消した。その挙動を短刀の切先は追い続けた。
男が最後の火を消し終えると、顔の奥から聴き慣れた声がした。梅玲は、短刀を下げると、男に非礼を謝した。わたしは、兵士に扮した男の正体に、安らぎと気まずさの両方を感じた。わたしがそのまま親しみのある態度を取るのは、数日前の別れ挨拶に水を注すことになると思っていた。
梅玲と男は、いくつか言葉を交わした。男は、優しげにすらりとした肩をして、一度こちらの方を振り返った。わたしは、男の柔らいだ視線から、口を利くのを躊躇した。男は、それを拒絶と感じたのか、わざとらしく歎きの表情を作って見せた。わたしは、その様子を眺めていると、男の真意を追うよりも、わたし自身の内面に胸が激しく騒ぎ立った。
境内の奥に隠れていた男女は、事態が落ち着いたのを見ると、急いで飛び出して行った。呂氏は、自分の希望がかなえられたように、振舞いが明るくなった。わたし達は三人になって、先ほどは鬱々として通った道を、少しずつ西へと進んだ。わたし達の間には、静けさが守られていた。わたし達は、時間をかけて長安の西門の下にたどり着いた。
梅玲は、こちらを振り返ると言った。
「今夜から、わたしと呂氏さまはこれ以上の危険に身を投じなければなりません。ここで本当のお別れとなるでしょう」
二人は、夜闇に乗じて河朔へ征くのだ、とわたしは考えていた。おそらく呂氏と呼ばれる男の本姓と身分を考えれば、事を知られるわけにはいかないのだ。宮廷には、皇帝の兄弟や血縁を敵対視する人物が多くいるのは、想像に難くない。彼らに行動を捕捉されないためにも、この選択は正しいと言えるだろう。
梅玲は、周囲を警戒してから、呂氏に何かをささやいた。呂氏は、話しに応じて頷いた。
梅玲は、こちらに視線を送ると、言葉を継いだ。
「わたしは、馬を呼び、仲間に次第を報らせに行きます。わたしとは、ここでお別れとなります。薛氏さま、貴女の人生に幸多きことを」
梅玲は、そう言い残すと去って行った。"わたしとは、ここでお別れになる"と、梅玲は言った。わたしは、ややあって、その言葉の裏の意味を理解した。
わたしは、姿勢を変えて、目の前の男へと向き直った。夜闇に浮かぶ呂氏の姿は、眺めるほどに良い男だと思わされた。わたしがこれまで読み書きしてきた、どのような小説の中の主人公よりも美貌に優れ、嫌味な人物だった。高貴な人物とは、その相貌から理解されるのだと、わたしは経書の言葉の正しさを感じた。見るほどに手放すのが惜しく、わたしには相応しくない男なのだ、と教えられる気がした。




