不安の広がり
祝祭の雰囲気は、すでに変わり始めていた。
市井の群衆や兵士のみならず、商人の一座や娼館にまで、不安が広がりつつあった。義勇に走る者、悪意を持って事態に乗ずる者、そのいずれともわたし達はすれ違った。
わたし達は、小路を抜けた。
表通りには、遠くの混乱を見つめる人びとが、その場に溜まり込んだまま、得体の知れない何物かを待ち受けるかのように、互いの顔を覗き合っていた。目の前に、血と暴力がないだけで、わたし達はそこに安らぎを覚えた。
「ここまで来れば、ひと安心でしょう」 と梅玲は言った。
「わたし達は、ここで別れるべきです。二度と会うことはないかも知れません。このような事実をお伝えしなければならないことは、胸が痛みます」
梅玲の声色や表情は、冷静だった。あまりにはっきりと別れを告げられて、言葉を継げないわたしだった。わたしは人の中から見知ったはずの顔を探した。あの男には、言葉にならずとも、別れを確かめてきたのだ。今さら対面したところで話すこともない。不意に起きた騒乱で、わたしの心は頼りになるものを求めたのだろうか。こんなにも女らしい感情が、わたしの中には遺されていたようだ。
長安の城内は、奇妙な予感に支配されつつあった。何か良くないことが、きっと湧き起こるだろうと、誰もが感じていた。
わたしと梅玲は、一緒にいるわけでも、別れるわけでもなく、足を運びはじめた。わたし達は、互いの胸中を探り合いながらも、言葉を交わすことはしなかった。群衆の間を歩くうちに、両者の間の空気は重くなったと感じていた。わたし達は、視界の隅で、相手をつねに捉えようとした。
少し先の小路から、一人の男が飛び出してきた。男は何か叫びながら、走っていた。顔立ちと口振りからして、男は胡人のようだ。必死の様子で走る男を、一人の兵士が追った。兵士は、抜剣を逆立てたまま、男を捕らえると、そのまま斬り伏せた。
男の断末魔とともに、群衆の一角が静まった。目の前の惨事に、市中のざわめきは奇妙な風を吸い込んだかのように、次から次へと黙って行った。
「騒乱に乗じて不審な行動を取ることは許さぬ」 と兵士は叫んだ。
全ての人声が止み、警鐘の音だけが遠くに響くなか、一帯の沈黙の底から人びとの囁やきだけが、耳へ届きはじめた。古来から根拠のない流言こそが、人の心を支配し、不安が伝染すると、人を破壊への行動へと駆り立てきた。人の心には、真実よりもどこかありそうな嘘や、信じたいものを見ようとする傾向があるものだ。
わたしは、じりじりと迫るような危険を感じ始めた。一帯の人びとは、この騒乱の裏には、唐朝への叛乱を目論む胡人の勢力が潜んでいる、と考え始めていたのだ。




