言い訳の日
観灯会の日の前に一度だけ、わたしは呂氏に逢いに行こうと考えた。わたしが姿を見せなくなったのを、どう感じているのか、つい知りたくなったのだ。夕方近くのことである。
おそらく男は、窓辺にもたれて、退屈そうに時間を過ごしているのだろう。誰かと対面していても、頭の片隅ではついわたしの存在を気がかりに思っているのだろう。呂氏には気付かれないように、そっと顔だけを、その様子だけを覗いて見よう、とわたしは決めた。北里の辺りを歩いて帰って来れば、隣家の騒がしい話声が止んでいる頃のはずだ。わたしは言い訳をつけて、ぎこちない心持ちで歩き始めた。
女の身なりで、当世風の化粧をし、顔を隠すための布を持って家を出た。この姿形は、失敗だったのかも知れない。素見客の間に紛れて、その人びとの蔭に姿を隠した。遊里の側を、素人の女が出歩くことは少ない。わたしは、街中で目立っていたのではないか。
此方から妓楼を見上げて見ると、小窓の間から灯影が洩れていた。男は室内にいるようだ。その日は、いささか寒さの和らいだ天気だった。わたしはしばらく外出を控えていたせいか、夕風に耐えかねて、すぐに移動しようと思った。
窓の先に、見慣れた小さな顔が見えたのは、その時だった。男はすぐにわたしの姿を見つけた。男の表情は分からなかった。わたしは姿勢を外して、急いで北に向かって歩いた。多くの荷物を積んだ車と出会って轢かれかけた。当然の如く、わたしは痛罵された。
わたしは区劃から一歩踏み出そうとして、言い様もなく名残り惜しい気がして、行く宛てもなさまよい始めた。わたしは、ただ茫然として表通りのさまや、行き交う人びとの生態を眺めた。
東方の街角には、夏から秋にかけて、猿芝居や奇術師が客を集めて騒がせていたのだが、いつの間にか規制をされて、あたりの薄暗い光を反映する淀んだ水溜りがあるばかりになっていた。
戦乱以前の長安は、風流絃歌の巷だった。それを語るのは、もはや茶を啜って昔日を懐う老人のみだ。
わたしは家に帰って、時間を過ごすばかりの人間になっていた。わたしはこの歳になって、半日を無為に過ごすことを知った。




