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故郷を望む

 わたしは、その夜、めずらしく夢を見た。


 わたしが手を引かれて歩いていた。隣りを往くのは、母らしかった。わたしは、背丈の低い子供なのだろうか。よく分からない。何処とも知れない場所を、二人はずっと歩いていた。


 わたしには、帰るべき故郷がない。入るべき墓もなく、愛すべき家族もなく、親しい友人もなく、気が付けば、全てが失われていた。戦乱は、わたしだけに降りかかった不運ではない。けれども、子供は悲しげだった。


 わたしは、孤独な人間だ。あるいは、孤独ではない人物など存在しないのかも知れない。事実はどうであろうと、わたしは孤独だ。


 他人といくら言葉を交わし、情事を重ねても、何もかも分かり合うことなどできない。あの世では、皆と語らい、一つになり、救われるのだろうか。世を捨て、山間での日々を送れば、虚しさは止むのだろうか。わたしは人間だ、そのようなことはできない、と孔子は曰った。そのときの孔子の表情は、どのようなものだったのだろうか。


 わたしには、帰るべき場所がない。だからこそ、帰るべき場所を求め、苦しむのだ。


 わたしの祖父は、開元年間の生まれだった。時の帝は、臨淄王の藩邸にあったとき、民間の清明節に闘鶏遊びを知った。両宮に鶏坊を設けて、名鳥を探し求めたので、貴族や後宮のみならず、庶民の間でも闘鶏が流行した。


 帝が出遊した際に、雲龍門の道傍で、木の鶏で遊ぶ子供がいたので、これを召し入れた。


 子供は三尺ばかりだったが、鶏坊の群れの中に入って行くと、そこから親玉を見つけ出して捕らえ、他の鶏たちを従えて見せた。わたしの祖父は、鶏で出世をした。帝の命を受け、忠勤に励んだ。家には、金や絹の賜品が満ちていたという。


 やがて祖父は梨園の娘を娶り、わたしの父が生まれた。父は武官としての道を選んだ。


 帝は乙酉の鶏年の生まれだった。人を朝廷に招き、闘鶏をさせたのは、太平を乱す予兆だったのだ。帝はこれを悟らず、天宝十四年になった。

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