吾が身を省みる
青年の死後、わたしは一人で東市の辺りを歩きまわった。
世人が何の話に興味を持っているのかを知りたいと考えて、妓楼の前を通りかかるときには、演題になるべく目を向けるようにする。演題を一瞥すれば、実際に観覧せずとも、概要の想像がつくし、どんな場面が人気を集めているのか会得される。
日々の生活を繰り返して、当代の文人のなかで、一番の演劇通になったのは、大いに笑われるべきである。わたしが"三省"やら"不習"やら名乗り始めたのは、この頃のことだ。
夕風の冷たく年の瀬が近づく日だった。わたしは演題を見尽くして、北里の外れで立ち止まり、一度考えを整理していた。
現在、筆を執っている物語に役立ちそうな趣向はないものか思案した。書きたい物の雰囲気は決まっているのに、何か人物を際立たせるための新しい場面が思い付かなかった。歩みを進めて、妓女や客人たちの話し声に耳を傾けても、得られるものはなかった。
陰鬱な気分になって、下腹の奥が痛くなる気がする。家路に着こうとすると、四十前後の男が声をかけてきた。
「そちらの才子さま、御紹介しましょう。如何です」
「いや結構、構わぬ」 とわたしはやや低い声を作って応じた。
こちらが歩調を少し早めると、男も後を尾いて来た。
「絶好の機会ですよ。なかなか猟奇的ですよ。女将軍が捕虜になる、忠義と性愛に満ちた傑作でしてね」
面白そうな話だとも思ったが、男の媚びた態度が気に入らなかった。わたしは答えた。
「わたしは王朝のために仕えて、故郷の父母を養わなければならぬ。試験のために古書を求めに行くのだ。許せよ」
戦乱の後、市井に怪しげな勧誘者が増えた。
王朝の内部では、官吏と宦官が果しない党争を繰り返しているという。統制が随分と疎かになっている。出任せな言い訳にしても、もっとましな嘘言はなかったかと思う。
行き先の定まらない足が、目的を得たことだけは幸運だった。
かつての長安では、街中を男装をして闊歩する文化が流行した。貴人や武人に属する女性の間では、深窓の麗人は過去のものとされた。わたしは出自から背丈が高く、容貌も立派であったために、旧習を守っていると、男に見違えられることも少なくない。声調は生来、枯れたような、低い調子である。
わたしは世間の人びとを無礼に思ったことはない。むしろ、仕事がら容貌に助けられている。男性でなければ参加しにくい遊興の場に出入りできるのは、まこと幸いである。父母には、実に感謝しなければならない。