互いの身分
何日も続けて同じ道を往復すると、何も考えずに自然と足が運ぶようになる。人混みも喧声も苦にならない。
入り組んだ妓楼の中でさえ、習慣になると、意識より身体の方が先に動いてくれるので、さほど煩わしいと思わなくなる。
相手は裕福な男だ。必ずしも土産を持たずとも歓迎してくれる。
『玉台新詠集』から特に華美なのを筆写して手渡すと、呂氏は大いに喜んだ。往訪するたびに、詩歌はわたし達の関係に良い効果を与えた。
結婚をして、家庭のある女ならば、このような日々は成り立たないだろう。呂氏は、いよいよわたしを奇妙な独り者と確信した。まさか、雑音に悩まされて家に居られないとは思わないだろう。あるいは、歌舞演劇に好い題目がないので、行くところがないのだと想像できるはずがない。
呂氏は、わたしを何かの密偵の類いであると想定して、親切な交流を続けた。何も言い訳をせずとも、勝手に決め込んでくれるのは、わたしとしては気が楽だった。こちらも彼の出自を詮索しようとは思わない。
それでも、呂氏が何のために毎日を過ごし、無為でありながら金に執着する様子を見せないのは、少々疑問に思った。
彼は以前、「潜伏しているのだ」 と言った。あれは真実なのではないか、とこの頃は考えるようになった。
わたしはそれとなく話題を示して、相手の出方をうかがうことにした。
「随分と昔のことなのだが、」 とわたしは作り話を始めた。
「わたしの知り合いが、春心楼に長く居続けて大騒ぎになったのだ。一ヶ月は居たらしい」
「へえ、」 と呂氏は気の無い返事である。
「それで、彼はどうなったのだ」
「彼は一種の盗人だったのだ。呉服屋の息子だった。何人かの貴族の邸宅にも出入りが許された名店の子だった」
「勘定の持ち逃げか。よくある話だな」
「番頭と共謀していたらしい。結局、番頭の方は行方知れずでな」
「それは上手くやったね」
「そうだろう。ところで、貴方は大丈夫なのか?」
「わたしか?」
呂氏は、そう言ったきり答えなかった。
意地の悪い笑顔を浮かべていたから、腹の中ではこう思っていたに違いない。
――わたしをそんな小者と一緒にされては困る。わたしの生まれは、ずっと高貴で、ずっと崇高な目的のために貢献しているのだ、と。
呂氏の身分については、どうやらこちらで勝手に取り決めるしかないようだ。