年の瀬の憂鬱
いよいよ年の瀬が迫ってくると、隣家の戸が一斉に開け放たれて、掃除やら挨拶やらで、ほかの時節には聞こえない物音が、にわかに耳立って来る。子どもの声などに微笑ましさを感じつつも、酔った男の叫びや、女同士の愚痴などは、ひどくわたしを苦しめる。
早朝、寒さを耐えて蒲団から這い出し、薄日の下の机に向かおうとすると、間もなく街は活気を取り戻し始め、筆の運びを妨げる。特に北域訛りの国風歌には、興趣を削がれた。
ここ数日は、朝食を取るとすぐに散歩ばかりが捗っている。家から出れば、騒音から逃れられるというわけでもない。通沿いの人家や商店からは、一層烈しい響きが放たれている。荷台の往き交いや、人びとの雑踏の音に紛れて聴こえるだけ、室内で一人いるときに較べると、余程楽に感じられる。
『傾城の恋』の草稿は、年を明ける頃には反故になってしまうかも知れない。わたしには文人に相応くない飽きっぽい性質がある。
長安の城内を、陽差しが隈なく照らす頃には、わたしは家を出ている。けれども、実は行くべきところ、歩むべきところがない。
戦乱から時が経ち、人びとは傷を忘れ始めている。かつての風習を捨て、日夜朝廷で繰り広げられる権力党争にうわさを立て喜んでいる。
都に住まう人間も大きく様変わりした。反乱を首謀した節度使が、元々は西域の商人であったことから、彼らの肩身は狭くなり、往来が随分と減った。朝鮮や日本からの使者は訪れなくなり、国境の整備が行き届かず、北部では遊牧民による掠奪が増加しているという。
わたしが父と疎遠になったのは、母の出自を考えると自然なことだ。恨みに思うこともないだろう。
戦乱では、多くの志しある人物が死に果てた。あるいは、生き残ったとしても、政局の混乱の中で、処断されたり、左遷の憂き目に遭ったりして、長安の地から遠ざけられた。わたしは、もうこの街には飽き果てたような心持ちにもなっている。
――長安は、官吏と宦官に支配されている、そういう者も少なくはない。
では、地方ではどうか? 戦乱を期に、権限を拡大した節度使が、引き続きのさばっている。これが答えだ。
皇帝の代替わりは激しく、ある者は道教に心酔したり、ある者は仏教を信じて極楽浄土を夢見たりして、日々実権を宦官に奪われつつある。
どうも嫌なことばかりが頭をよぎる。
人は、ともに腹を割って話せる友人がいなくなると、どんどん意地が悪くなるものだ。わたしは、自分が想像していたよりも、孤独に苦しんでいるのかも知れない。