二、『傾城の恋』
家に着いてから硯に向かうと、『傾城の恋』の世界における張元の心持ちのようなものが、以前より深く理解される気がした。
おそらく崔月娘のようなお高く止まった麗人は、容易になびきはしない。胸中では、道徳と感情の間で、葛藤を得ているはずだが、それを隠すためにも、張元の前には姿を見せようとはしない。
張元の人物は、想像していたよりも柔弱になりそうだ。もっとも、勉学ばかりに身を捧げて来た青年の姿としては、真実味があるだろう。
普救寺での宴会は、ついに張元が月娘と口を利けないままお開きとなった。
張元は、それから彼女に夢中になったが、その情を通わせようにも、何の手段もなかった。
崔家の侍女を紅児といった。張元は、ひそかに紅児に贈り物をして、折を見て自分の想いを打ち明けた。侍女は驚いて断り、恥じらいと興味の入り混じる表情で、立ち去った。
張元は後悔した。
翌日、侍女の方から、またやって来た。張元は、羞じて謝罪し、再び頼むつもりはなかった。
紅児は言った。
「貴方の仰ったことを、敢えてお嬢さまに伝えることは致しません。それにしても、崔氏夫人の様子は、よくご存じのはず。正式に結婚を申し込めば良いのに」
張元は言った。
「わたしは幼い頃から、人と折り合いを付けるのが得意な性格ではなかった。都では着飾った女性たちと同席する機会もあったが、目もくれなかった。この年まで道に迷わずに来たのだ。先日の宴席に着くや、もはや我を失くしてしまい、ここ数日来は歩けば止まるのを忘れ、食べては満足するのに気付かないようだった。明けても暮れても、上手くいかない将来が恐ろしい。もし仲介を立て結婚をするなら、結納や問名などで数ヶ月が過ぎてしまうだろう。わたしは干物屋の魚になってしまう。貴女は、わたしにどうしろと仰るのだ」
紅児は答えた。
「月娘さまは、貞節を慎み、身を保っておられます。たとえ貴人であろうと、道理をわきまえない言葉では、傷を付けることもできません。下人の謀略などは、もとより受け入れられません。それでも、詩文をよく学んで、しばしば章句を吟じることはなさいます。試しに情を託した詩を送って、心を乱しては如何でしょうか。よい手段だと思います」
張元は、大いに喜んだが、彼は情を表すための言葉を持ち合わせていなかった。そこで紅児は、稽古と称し、『玉台新詠集』から綺艶と称される詩文の作法を、張元に手ほどきし始めた……
わたしが思うに、この対価は高くつくであろう。