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心情の型

 わたしは努めて、蓮娘という遊女とは、目を合わせないようにした。敵意には、対抗するのではなく、自身の慎ましさや礼節を以て応じるのが、孔子の教えである。


 呂氏は、わたしが当たり障りのない返事ばかりをするのがつまらなくなって、やがて本を読み始めた。そのうちの一冊に、わたしが古書店で探し求めていたものがあった。店主の馬氏が言う"若い男"とは、目の前の人物であったと理解した。身分を明かすと、不都合が生じる気がしたので、わたしは何も言わなかった。


 しばらくして、夕食が運ばれてきた。皿を配るのは、むろん例の湯を混ぜていた女である。


 「ありがとう、梅玲」 と呂氏は、わざと名前をわたしに聴かせるように言った。


 数ある妓楼の中でも、料理の味は一級だった。素材に酸えたような風味や、ぬめり気のようなものは、いささかもなく、噛むほどにたけのこの歯触りが心地の良い音を立てた。


 「誰かと共にする食事は良いね」 と呂氏は言った。


 男の使う箸の音には、何やらはしゃいだ調子があるような気がした。


 わたしの後ろに控えている蓮娘の視線をたどって、呂氏は彼女に言った。


 「蓮娘、一緒に食べないのか?」


 「わたし、いらない」


 子どもが我がままを言うような調子である。若い遊女がよく使う愛嬌を見せる手段だ。彼女らの喜怒哀楽は、いわば一つの型に過ぎないのだが、それだけに苛烈で、恨みを買うことだけは避けたい。


 呂氏は、あえて取り合わないようにしているが、この若い遊女は、わたしの存在が気に食わないのだ。願わくば、早急にこの場から立ち去るように求めている。本来なら、わたしの居る席が、彼女の収まるべき場所なのだろう。


 わたしは今日のところは長居は無用だと判断した。戸外では、人の足音と共に、「ちょいとちょいと」 と呼ぶ声がする。やがて宮城の鐘鼓楼から日没を知らせる音がした。


 食事を終えてから、ややあってわたしは言った。


 「大雪は止んだようだ。また、近いうちに来るよ」


 「きっと来て頂きたい。昼間だろうと居るよ」


 肯首するわたしに向かって、男は言い足した。


 「まあ、気が向いたらでいいさ」


 「呂氏に会いに来た、とでも言えば良いのか?」


 「それで構わない。ところで、そちらの名前を聞いていなかったな」


 「薛氏と名乗って来る。下の名前は、遠慮させてくれ」


 わたしは、男が読書家であったのを念頭に置いて、偽名であっても身分が知られるのを恐れた。


 「それだけで構わないとも」 と呂氏は言った。

 「それに初対面の女性に、ずけずけ聞いてまわるほどに無粋ではないさ」


 わたしは笑顔で言った。


 「さよなら」


 「まっすぐ帰るんだよ」


 蓮娘は、その日は最後までわたしと口を利かなかった。

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