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無何有郷にて

 父が唐朝に仕える武人だったのは、事実のまま伝えた。わたしが女の身でありながら、書物に触れる機会を得たのは、父の友人に書庫の整理をする役職に就く者がいたからだ。


 唐代に入ってから、書庫の分類上は小説と呼ばれるものが多く作られるようになった。科挙の試験で論文が課されたことに、少なからず影響を受けているのだろう。


 小説とは、字の如く"小さく取るに足らない雑家の説話"を意味する。わたしは小説の地位を批判しようとは思わない。わたしが書いたものや、わたしのような性格の人間が、世間で重んじられるようになったのなら、国家はいよいよお終いだ。せいぜい二流の文人に相応しい矜持を有するくらいが、わたしに許された生き方である。


 小説に手を染める者は、勉学の合間の息抜きであったり、身内の間で見せ合ったりして、些細な遊戯のなかに慰めを求めようとする。儒家や法家の経典を猟書し、堅苦しさに耐えきれなくなると、神仙の世界で心を遊ばせるのを嗜好するようになるのだ。『遊仙窟』などは、そうした知識人の性向の現れだろう。


 わたしは荒唐無稽な筋書きや、怪力乱神を描いた物語を優れた娯楽とは思わない。ありそうでないような、本当と嘘言との境目にこそ心を遊ばせる余地があると信じる。戦争を知った人間ならば、どんな理想も、暴力という名の現実に打ち砕かれることを理解しているはずだ。今さら、まるきり嘘言だと分かりきった無何有郷に、どうして浸ることができるだろうか。


 既にある小説の多くは、旅に出た主人公が神仙の世界に迷い込むところから話が始まる。そこで彼は、この世の者とは思えない美麗な女性との邂逅を果たすのが筋書きだ。目的のために都合良く準備された物語の舞台は、道家思想の枠組みの中で、さしたる問題にならないまま解消される。わたしはそれを話の瑕疵として批難しておこうと思う。


 『傾城の恋』の主人公が、女性と出逢うきっかけとなったのは、戦争と寺院である。物語の構造自体は大きく変わらないが、あくまでも現実の世界の中で、物語は進展すべきなのだ。


 実際にわたしは今、炭櫃を挟んで、奇妙きわまりない男と話をしている。わたしが見知らぬ男とわざわざ話をするくらいだから、もちろん美麗な容貌をしている。素晴らしく危険な経験が、わたしの物語をより深いものとするはずだ。


 遠くの方で雷の音がした。雪の日の雷は、空の雲間を駆け上がるように光るというが、わたしは見る機会を得ていない。降雪はまだ止まないらしい。

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