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秘密の話相手

 「潜伏だと?」 とわたしは、笑いを抑えられないまま続けた。

 「それは妙だ。貴方が普通の身分ではないことは、すぐに分かった。声色や仕草にいちいち品位があるというのに、意図して隠そうとするのが目に付く。貴方には、どこかより相応しい隠れ場があるのではないか」


 男はため息をついて言った。


 「やはり、刷り込まれてきた習慣は、容易に隠せるものではないか。今後は下手な芝居を打つのはよそう」


 男は手にした酒盃から一口呑み込んだ。肝心な事柄には答えない様子である。わたしは質問の仕方を変えた。


 「何か特別な事情があって、身を隠しているのが事実であるとしよう。それなら、どうしてわたしに声をかけた? なぜ、この場に招き入れた? むやみに秘密を明かすのは、好ましい態度とは言えないだろう」


 「貴女もまた普通の生き方をしていないのだろう?」 と男は言った。

 「市井の女が男装をして闊歩する風習は、節度使の反乱以前のものだ。それを守旧しているのは、理由があるに違いない。自らに明かせない秘密がある者は、隠し事を共にするのに、誰よりも信頼がおけるのだ」


 節度使とは、唐朝の地方官吏のことである。軍政を掌握するだけに、大勢に及ぶことも多い。この男はわたしを密偵や私娼、危険な思想家、良からぬ活動家の類いだと勘違いしているようだ。相手の秘密を握ったつもりになって、自身の手駒として利用しようとする計略らしい。わたしは魂胆に乗ってやることにした。


 「なるほど、情況は理解した。結局のところ、わたしは何をすれば良いのだ。人殺しや強盗には向かないぞ」


 「わたしの話相手になってもらおう」


 「どういう意味だ」


 「そのままの意味さ」


 廊下の先から客と遊女のはしゃぐ声が聴こえる。謹直に学問に励み、独り慎みを護ろうとする者ほど、一度箍が外れると止められなくなる。『礼記』の道徳は、随分な聖人君子に向けて書かれているのだ。


 「わたしの父は武人だった」 とわたしは言った。

 「国のために戦い、死んで名誉を得た。貴方からの提案は、わたしの天命を穢すことはないと誓えるか?」


 男は例のこちらを試すような視線を向けて言った。


 「わたしはそちらの秘密を詮索しようとは思わない。出自や身分に本来、意味などないのだ。貴女がどのような生き方をしてきたとしても構わない。わたしが気に入ったのだから十分だ」


 「君子の器のようだな」


 「それはどうだろうか」


 男は淡白な表情の上に笑みを浮かべた。それから炭櫃の中を探りながら、独り言のように述べた。


 「貴女はこんな特異な情況に置かれても、冷静で威厳ある態度を失わない。やはり只者ではないようだ」


 男は、わたしの堕落への覚悟を、好意を以て解釈したようだ。

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