異界の猟犬
足が地面につく。目を開ければそこはいつもの家の前だ。不気味なほど静かなことを除けばだが。二人も無事同じ場所に来ることができたようで近くにいる。
「おぉ。門を出た後にまったく知らない場所ってのも新鮮なもんだねぇ・・・」
「ほんとですね!なんか新鮮!」
「じゃあ…案内してくれる?」
こくりとうなずき二人とともに周囲を散策する。家の近くの老人ホーム、少し離れたところの大通り。歩いて10分の駅に、都会にしてはちょいと広めの公園。自分が通っていた小学校、中学校、高校も見て回る。だが、案の定誰もいないし、何の怪異もない。歩き始めてそろそろ1時間。雑談をしながら歩くにも話の種に困る時間だ。そんなこんなで困っていると結衣から質問が飛ぶ。
「ねね、君はどうやって夜並木見つけたの?」
「あ、確かに気になりますね。どうやって入ってきたんですか?」
確かに話したことはなかった。雑談がてら、家の一番近くにある小さな公園まで案内する。そして公園と住宅地を仕切っているブロック塀を超えたところで、うわさを聞いてやってみたこと。そうしたら帰り道に急に表れたこと。入ってみて困惑していたらありすに出会ったことなどを話す。
「なるほど…突然来たにしては落ち着いてるなと思っていたんですけど、自分から来たんですね!そういう人は初めて見たかもです!」
「うん。確かに。だいたいの人って事故だもんね。」
確かにあの条件なら事故で入ってしまう人のほうが多いのだろう。説明が終わったところでブロック塀の裏から出て、また歩き始める。結局ここには何一つ怪異はなかった。しかし、もうすこし散歩してから帰ろうかと考えながら歩いていると…突然目の前の曲がり角からひどいにおいがする。あまりにひどい。ひどすぎる。
「うっ!?」
「ちょ…ひどいにおい…この近くに生ごみでもため込んでんの…?」
まさかそんなはずはない。少年の近所にはそのようなものはなかった。
突然煙が噴き出し少年たちは慌ててその角から離れる。
“何か”がそこにいる。名状し難い何かがそこに…。ぴちょん。ぴちょん。何かが滴る音がする。少し目を凝らせば…青い少し粘性のある体液のような…
三人は慌てて走り出す。直感がこいつはやばいと体に告げたのだ。逃げる以外の選択肢などあろうはずもない。さっき通った道をめちゃくちゃに走り回り逃げ切った…そう思ったのもつかの間、煙が目の前の角から噴き出す。そして…ぴちょん。ぴちょん。
三人は焦る。にげられない。だがありすは叫ぶ。
「皆さん私につかまってください!絶対に離さないでくださいね…」
「う、うん。わかった!」
「行きますよ…?」
二人はありすの肩をつかむ。名状し難い何かがだんだんとその姿を現し始めている。
「ありす!早く!!」
「わかってますから焦らせないでください!!」
ありすはポケットから小さな鏡を取り出し本を開く。
『鏡の世界についてみんな、教えてあげましょう。この世界と同じだけど皆あべこべ…なんだか靄がかかってきた。さぁ通るのなんて簡単でしょう?』
ありすがそういうと、本が光る。そして…
「ん…!?」
引っ張られる。鏡の中に。小さな手鏡の中に。
「よし…何とか間に合った。」
「久しぶりに入ると違和感満点だね…この鏡の世界。」
「確かに…そうですね。久しぶりにやると地味な違和感に襲われます。」
ありすのおかげで何とか逃げ切った。…。あれが怪異というものなのだろうか。危うく正気すらも失いかねないほどの恐ろしさだった。全身が怖気に襲われ、逃げること以外できなかった。早く校長に伝えなければ。急いで高校に戻ろう。本を取りだして…
ぴちょん。ぴちょん。
心臓が早打ちを始める。手元が定まらない。リュックにしまった本すらもつかめない。ひどいにおいも今は気にならない。それどころじゃない。
煙が先ほど、現実で見た角と同じ角から噴き出す。
「うそ!?そんなはずは...!!!」
「ここは本で作られた異世界じゃないの!?!?」
「その通りなはずです!私の本以外で入れるわけがありません!」
だが事実だ。この“何か”は少年たちを鏡の中の世界まで追ってきたのだ。絶対に獲物を逃がさない猟犬の如く。
やっとの思いで本をつかみ、途端に思い出す。生存本能が、焦りで消し飛んでいたあの箱の存在を思い出させた。急いでリュックから取り出してこの状況を何とかしてくれ。と、念じ…本にかざす。そしてじわり。じわりと。その箱は形を変えた。