霧立ち込める絶望の湖畔
閃光弾の如く強い光を放った本はゆっくり、ゆっくりとその光を収めていく。皆の戦闘の手はすでに止まっている。だが、光さえ収まれば戦いようもあろう。光でくらんだ眼を瞬けばだんだんと視界は良好になってきていた。
だが少年の刀を握った腕も、結衣の杖を投げる手も、それどころか敵である半魚人の腕すらも動きを止めた。
「な、何あれ!?!?!?」
普段必要最低限でしかしゃべらない少年も口をあんぐりと開けて呆然としている。敵であるはずの半魚人も動けてすらいない。
ザッ。っと音がした。
三人とも忘れていた『不思議の国のアリス』。そこには戦う者たちがいた。ハートから始まる4種類のカード13枚ずつ。
『不思議の国のアリス』にて召喚されたのは52体のトランプ兵。1からKまでそろっている。統率の取れた動きで、体を半魚人の方に向ければまたザッと音がする。
そして各色のクイーンが声を発する。
「全員!あの魚みたいのを片付けなさい!気持ちわるくって仕方がないわ!」
その号令の瞬間強そうな棍棒片手にスペードのカードが飛び出していく。続いてクラブにダイヤ、最後にハート。水から出てきていた幾体もの半魚人は大量のトランプ兵にかこまれ水から上がってこれてすらいない。
棍棒で殴られ、弾き飛ばされ、水の中に投げられていく。その光景に少年の戦っていた半魚人は一瞬気を取られる。蜘蛛と2対1で戦った経験を積んだ少年はその隙を見逃がさなかった。刀を握りしめ、一閃。隙をさらしたことに気が付いた半魚人はよけようとするがもう遅い。頭に刀を突き刺され崩れ落ちる。
同じころ、杖を握ったり投げて敵を攻撃していた結衣も隙をついたフルスイングを半魚人の後頭部に叩き込む。
「よっしゃっ!」
「皆さんこの隙に逃げましょう!」
皆は己の本を握って「登校」を祈った。
しかし本は効力を発揮しない。光りもしないし、目の前の光景も全く変わらない。相変わらずトランプ兵は戦っているし、キングは兵に命令を出し続けている。
この状況は非常にまずい。撤退不能で消耗戦を強いられているのと何ら変わりはない。
「ど、ど、どうすんの!?これ!?」
「なんで帰れないんでしょうか!?」
少年も首をかしげることしかできない。
「なんかありそうな理由…アニメならダンジョンのボスからは逃げられない結界が張ってあったりするけど…」
少年はその言葉で気付いてしまった。逃げられない結界、今までより弱いのに数の多い敵、そして今まではあり得ない“気象の変化”。
これは気象の変化などではなかった。獲物を、いや、侵入者をここから出さずに仕留めるための霧。いわば…結衣のいう“結界”そのままなのだ。
「だとしたら…あれは前座ってことですよね…」
「じゃあ…無理じゃない…?」
トランプ兵は敵を掃討しクイーンの元に戻ってきている。弱い雑魚敵はいなくなった。アリスが本を閉じれば、トランプ兵はさっと消え去ってしまう。その場には半魚人の骸と、三人の高校生だけが取り残されている。
目の前の静かに揺蕩うだけであった湖は、大きく揺らぐ。丸い島のようなものが湖畔より少し遠くに浮かびあがってきていた。だが、この状況であれがただの島なはずなどあるわけもない。その直後、湖畔には波が押し寄せる。水中から上がってこようとしてる者には何か太い足のようなものが見える。
「あれは…タコの…脚…?」
「見たいですね…太すぎますけど。」
二人が諦観の極地にいる。とんでもないものを極めるんじゃない。少年はあくまで冷静に考える。あれは触手だ。とりあえず逃げなければいけないがこの霧の範囲外まで逃げる前に捕まるだろう。だがこのままでは死ぬのは必至だ。いったんの撤退策をとるしかない。あきらめのありすを揺らしありすのバッグから本を手渡す。
「時間稼ぎですね…わかりました。やりましょう。何もせず死ぬよりはいささかましです。」
『鏡の世界についてみんな、教えてあげましょう。この世界と同じだけど皆あべこべ…さぁ。通るのなんて簡単でしょう?』
本は光り、こちらは効力を発揮する。
三人は鏡の中に吸い込まれた。




