▼第三章 『ヨーコの覚醒〈その2〉』
「ぁああい! 拍手~!!」
血ぶり態勢のまま固まっていた私は、私の人生二度目の殺陣が終わったことを告げる貫銅部長のその声と共に、〈殺陣部〉の面々から起こった散発的な拍手の音で、ようやく再び動き出すことができた。
最後の最後で、〈血振り〉という大事な振り付けを忘れ、慌ててこなした私であったが、それでも、生まれて初めて感じた殺陣の感動は、まだ私の体全身を痺れるように覆っていた。
それは同時に、身体中がじんわりと痺れるような疲れともなっていた。
10秒にも満たない殺陣〈マリオ〉であったが、その疲労は想像を上回っていた。
だが生まれて初めて感じる心地よい疲れであった。
実は一瞬前まで、もう一回今の殺陣をさせてもらえないですか、と頼もうかとチラッと思っていたのだが、その前に貫銅部長が「次にやりたい人~?」と新たな〈シン〉を募ってくれたので、助かった……のかもしれない。
小児喘息の克服以来、日々体力づくりはしてきたつもりだが、所詮私は人生の半分をスポーツ類から縁遠く生きてきた人間だ。
もしも三回目の殺陣をやって木刀が手からすっぽ抜けでもしてしまったらエラいこっちゃだったので、私は素直に先輩方に礼を言うとこれで良かったのだと自分に言い聞かせながら、自分でもビックリするくらいふらふらとステージ上から降りた。
一方ステージでは貫銅部長によって次の〈マリオ〉への挑戦者が選ばれようとしていた。
そこで体験入部にきたヤンチャな一年男子が『俺もそのエグゾスケなんたらってセンパイにやってもらえんすかぁ?』と、ステージ上のツッキー先輩に尋ねたところ、ツッキー先輩に『わたしの体格では君ら男子への〈エグゾ〉は無理だ。して欲しければ他に頼んでくれ』と真顔で答えられ、その調子こいた一年男子は、〈殺陣部〉の屈強な男子先輩部員にぶん回されるようにして〈エグゾスケルトン〉を用いた〈マリオ〉を体験する羽目になっていた。
以後、その日の〈殺陣部〉の時間は、この〈マリオ〉の〈シン〉を、体験入部に来た10数名の一年全員が挑戦してみるまで続けられた。
私は元気が戻り次第、再びツッキー先輩に〈エグゾスケルトン〉……じゃなかった殺陣〈マリオ〉をやってみたかったのだが、その機会は当分訪れそうになかった。
だからせめて私は、同じ体験入部にきた一年生達が殺陣〈マリオ〉に挑戦する姿を観察し、さっきの私より上手いか下手か、次やったらどうすればもっと上手く殺陣をこなせるか、真剣に観察した。
嬉しかったのは、私に続いた一年が殺陣〈マリオ〉に挑戦している光景を、ステージ下でうらやまし気に見ていた私に、いつの間にかステージ上から降りてきたツッキー先輩が声をかけてきたことだった。
「お前‥‥‥いや、きみ‥‥‥大丈夫か?」
私はまたもや耳元でツッキー先輩、突然に声をかけられてビックリした。
「は、はひ!」
「あ~‥‥‥え~と……殺陣ってのは見た目よりもずっと疲れるもんなんだ。
だからさっきので体をどっかおかしくしてたら、言ってくれ」
ツッキー先輩はろくに反応できない私を無視して続けた。
「殺陣で動いてる時ってのは呼吸を忘れがちになるからな‥‥‥‥‥思ってるよりも、身体に負荷がかかるんだ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥は、ハイ! 自分は大丈夫です!」
私が辛うじてそう答えると、ツッキー先輩は「なら良かった」とぎこちないほほ笑みを見せ、私のそばから離れていった。
私はツッキー先輩の背中を見送りながら『なんて優しい人なんだ‥‥‥』と感激した。
確かに、言われてみれば殺陣〈マリオ〉の最中にちゃんと呼吸をした覚えがない。
自分の肉体がたった二回の〈マリオ〉で思いのほか疲れているのは、その呼吸を忘れて殺陣を演じたが故だったのだろう。
私は少しだけ殺陣の難しさを垣間見たきがしたが、それ以上にツッキー先輩に自分の存在を認知し、気にかけてもらえたこと感激していて、事の重大性には思い至らなかった。
あと、ツッキー先輩って殺陣の最中はめっちゃ輝いてるけど、普段は人付き合いとか苦手そう‥‥‥と失敬なことを思った。
私はツッキー先輩の背中を見送ると、もっと上手くまた〈マリオ〉ができるようにと、ステージ上で繰り返される一年生の〈マリオ〉の観察に集中した。
欲を言えば、またツッキー先輩が〈シン〉の〈マリオ〉が見たかったのだが、私と同じ殺陣初心者の一年が行う〈マリオ〉を見るだけでも、大いに得るものはあった気がする。
さっき自分が〈マリオ〉を行った時に、出来たこと出来なかったことが理解できたからだ。
それに‥‥‥。
〈攻撃する側は直前に声を出せ〉
〈大上段は45度〉
〈指定されない限り、切っ先を進行方向に向けて移動しない〉
〈獲物を持ってる人間の死角から無暗に近づくな〉
〈常に死角に人がいる可能性を懸念し、木刀の切っ先に気をつけるべし〉
貫銅部長が前もって説明した、これら殺陣に関する数々の決まり事の意味が、目の前で行われた殺陣の数々で理解できた気がする。
特に木刀の切っ先がとても危険であることが、傍から見てもよく分かった。
たった四手しかない振り付けの殺陣〈マリオ〉であっても、〈シン〉はもちろん〈カラミ〉の人間が、何かしら勝手なアレンジを加えたり、決まり事を破れば、たちまち危険な状況が発生するのだ。
初体験する一年が振り回す木刀の切っ先を、〈カラミ〉役の先輩がギリギリで躱す光景を何度か見ることになり、私は自分もやりかねなかったと肝を冷やした。
同時に先輩方が極めて正確に殺陣の動きを行うことで、安全が確保されていることに気づく。
殺陣の最後に〈カラミ〉として斬られる瞬間、先輩方は横から見て木刀の角度が45度の極めて正確な大上段で〈シン〉とすれ違い、お腹を真一文字に斬られて倒されるわけだが、もしもこの時、〈カラミ〉の木刀が水平よりも低く構えられた状態で〈シン〉とすれ違ってしまえば、〈カラミ〉の木刀がすれ違った直後の〈シン〉の頭部に直撃しかねないことに私は気づいた。
逆に前半は常に〈右・脇構え《わきがまえ》〉であるおとを忘れ、一年の〈シン〉ついつい適当な構えで殺陣を行った結果、木刀の切っ先が思わぬところで〈シン〉の先輩の胴にぶち当たったりして、一年は真っ青になっていた。
そしてそれらは、〈マリオ〉という殺陣の振り付けが、シンプルかつ良くできてる証のような気もした。
これ以上簡単にしては殺陣というより技の練習になってしまうし、長ければもちろん初心者は覚えられない。
1対2で某ゲームのような横スクロールアクションとして見せることを前提にしているため、〈シン〉と〈カラミ〉で前後の間隔をあけ、安全を確保しやすいというメリットもあった。
貫銅部長が考えた殺陣なのだろうか? 私はふと考えたが、その答えは今は分からなかった。
だが、〈マリオ〉は良い殺陣で好きな殺陣だとは思った。
その一方で、私は殺陣〈マリオ〉の〈カラミ〉役をローテーション(交代制)で行っている〈殺陣部〉の先輩方を覚えようと心掛けてもいた。
貫銅部長とツッキー先輩、副部長のゆるふわパーマ先輩こと塚本ツバサ先輩の顔を名前は覚えた。
その他の先輩方も、覚える良い機会と思ったのだ。
とは言っても、覚えられるのは基本的に顔・体形と名前だけだ。
ツッキー先輩と同学年たる2年生は全部で四人。
金髪碧眼の爽やか長身美少年の沢渡ジュラ先輩。
色黒屈強でいかにも野球部的スポーツマンぽい向 真先輩。
背は平均より低めだが、やたら動きが敏捷な三宅 仁先輩だ。
三人が主に交代交代で〈マリオ〉の〈カラミ〉役をやっていたが、当然ながら体験入部に来た一年の女子は沢渡ジュラ先輩に〈カラミ〉をしてもらおうと大騒ぎしていた。
先輩方のジャージの胸には苗字しか書かれてなかったが、名前は殺陣中の先輩方の会話からなんとか知ることができた。
〈殺陣部〉の三年生は全三名であり、貫銅部長とツバサ副部長を除けばあと一人しかおらず、不佐間という苗字のひょろっとした長身のキノコヘアの先輩であることしか分からなかった。
先刻の私が〈シン〉を行った殺陣〈マリオ〉で、〈カラミ〉役をやってくれたのは、今にしてみればジュラ先輩と、不佐間先輩であると、私は今頃になって思い出した‥‥‥というより知った。
私が殺陣〈マリオ〉をやっていた最中は、〈カラミ〉が誰かに注意を払う余裕は欠片も無かったのだ。
と同時に、私に続き殺陣〈マリオ〉に挑戦した一年の動きにも、私は注目せずにはいられなかった。
私以外の一年が行う〈マリオ〉を見ることで、私のやった〈マリオ〉が上手かったのか? 下手だったのか? を知りたかったのだ。
そして今後部員仲間になるかもしれない一年の顔も覚えておきたかった。
結論から言えば、体験入部にきた10名程の面々の殺陣の実力は皆バラバランであった。
強いて言えば、上手そうに見えるスポーツ万ぽい人間が上手いとは限らず、殺陣とは縁の無さそうな女子が意外と上手かったりもする。
体格も性別も、上手い下手の前には関係無いように見えた。
その中で、一番最初に私がやった殺陣〈マリオ〉は、悪くない出来だったんじゃなかろうか‥‥‥と、願望を大量混入させながら思った。
一人が最低二回、覚えが悪ければ三~四回ずつ繰り返して殺陣〈マリオ〉を行っているうちに、部活動の時間はアっという間に過ぎていった。
結局、私がもう一度殺陣〈マリオ〉に挑戦する機会は来なかった。
だが私は大して落胆はしなかった。
だって明日も明後日も体験入部はあるからだ。
部活動の終了時刻が訪れ、ステージ上に全員集合すると、最後に〈殺陣部〉の顧問の先生による訓示が行われた。
どこからともなく現れた顧問は、良く言えばイケオジ、悪く言えばくたびれた長身痩躯の中年数学教師であった。
「俺は柳大介。
今日は体験入部おつかれさま。
俺から君らに現段階で言えることは二つだけだ。
一つはさっき部長が言ったことと変わらない。
他のなによりも安全を最優先しろ!
殺陣は最も危険な文化部だからな。
安全に留意しなければ、すぐさま君らの持つ木刀やその他の武器元々は、即座に君に怪我をさせる凶器となり、君たちを被害者か加害者にするだろう。
だから常に自分が油断してると思って気をつけてくれ。
そしてもう一つは、この部活に入部し、三年間活動した後についてだ‥‥‥。
“殺陣”というのは基本的に、今の所、残念ながら卒業後の進路に良い影響を与える部活動とは言うことができない。
個人的な達成感などはともかく、高校卒業後、進学するにしろ就職にしろ、高校時代に“殺陣”をやっていたことで有利になるという例は今の所ない。
“殺陣”には今のところ高体連もコンテストも全国大会もないからな。
ましてやこんな地方都市ではなおさらだ。
余興で披露しようにも、斬る相手があっての殺陣だ。
一人じゃ出来ることは限られてるからな。
つまり〈殺陣部〉に入って、君らに提供できるのは基本的に、他の部活でも得られる人脈と思い出くらいしか無いってことだ。
つまり、ウチに入部するならそのことをよく納得した上で入部してくれ。
俺からは以上だ」
柳先生はそう言うだけ言うと、さっさと去って行ってしまった。
私達一年は、ポカンとして取り残された。
それを見送った貫銅部長が、さらに私達をポカンとさせることを告げた。
「今日体験入部に来てくれた一年諸君、お疲れ様。
今日行った体験入部はウチらの活動のごくわずかにしか過ぎないけれど、これでウチらに入部を決めてくれたら、こんな嬉しいことはない。
でも、あえてここで皆に言っておくね。
体験入部期間は今週一杯ある。
だから今日だけで〈殺陣部〉への入部を決める前に、どうか他の部活への体験入部も経験して欲しいんだ」
貫銅部長のその言葉に、私達が『ハイ?』と思う一方で、貫銅部長のそばに立っていた2・3年生の〈殺陣部〉の先輩方もまた『ナニィ!?』という顔をした。
つづく
(※本作は作者の実際に体験した殺陣に関する知見を元に執筆されておりますが、世の殺陣の全てに適用されるとは限らない可能性があることをご了承ください)
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