▼第六章 『風(かぜ)殺陣ぬ〈その4〉』
〈抜刀・正眼〉にはじまり、〈大上段〉~〈真っ向〉~〈血ぶり・納刀〉~〈自然体〉までの一連の動きを何度か繰り返し、私はフォームの正しさはさておき、一連の手順だけはなんとか覚えられた気がした。
そして何故か一人で先に達成感を噛みしめている貫胴部長と同じ様に、一応の達成感を覚えた。
一度に覚えるには少々情報量が多すぎたが、なんとか覚えられた。
今日は有意義な一日だった‥‥‥お疲れ様でした~~~~、もう今日の部活動は終わった気分でいた。
しかし、それにはまだ少々気が早かった。
小休止が告げられ、私たちがむさぼるように持ってきていた水分を補給をした後に「あ~、では最後に‥‥‥」と貫胴部長がそう言い出した瞬間、私は軽く眩暈を感じた。
「“素振り”ってワードは聞いたことくらいあるよね? そいつを最後に覚えてもらいたいんだな。
大丈夫、ほとんど今教えた〈大上段〉と〈真っ向〉の応用だから~」
そう貫胴部長は朗らかに言ったが、私はまったく朗らかにはなれなかった。
だってもうヘトヘトだったから‥‥‥。
“素振り”というワードぐらい、私だって聞いたことがある。
例えば野球ならバットの素振り、テニスやバドミントンならラケットの素振りを行い、その競技の鍛錬をするのくらいはやったことがなくても知っている。
この素振りの良い所は、一人で鍛錬ができて、広々とした場所をあまり必要としないところだ。
つまり家で自主練するのに便利‥‥‥いや必須である。
私はもうヘトヘトだったけれど、今日ここで素振りを覚えねばならないという必要性は認めざるをえなかった。
貫胴部長が説明した我が〈殺陣部〉式の素振りは、確かにシンプルで覚えやすかった。
貫胴部長が言った通り、素振りとはついさっき教わった〈大上段〉からの〈真っ向〉の繰り返しだったからだ。
ただ足さばきが、左脚が前の状態の〈大上段〉から、右脚を一歩前に出しての〈真っ向〉を一度行った後、次は右脚を一歩下げて〈大上段〉戻り、さらに左脚を後ろに引きながら〈真っ向〉を行うのだ。
つまり前進してた〈大上段〉からの〈真っ向〉をやったあと、今度は一歩ずつ後退しながら〈大上段〉に戻り、〈真っ向〉を繰り出すのだ。
そのワンセットが終わったらまた一歩ずつ前進しながら〈大上段〉からの〈真っ向〉、一歩ずつ下がりながらの〈大上段〉からの〈真っ向〉の繰り返しだ。
足さばきだけ言えば、二歩ずつ前進後退を繰り返しているだけ。
二歩分の前後移動しかしない。
この移動範囲なら、我が家の庭とかどっかで自主練するのも可能だろう。
下がりながら〈真っ向〉を繰り出すというのは、頭で考えると違和感をを覚えないでもなかったが、実際に行って見ると、私の身体は思いの他すんなりと実行してくれた。
これは前進しながら〈真っ向〉を繰り出す時と違って、後ろに下がりながらの〈真っ向〉は、重心移動が少ない(気がする)からなようだった。
厳密には上半身の刀を振り下ろす動きによって、後退させる際の重心に使うエネルギーが相殺されるからかもしれなかったけれど、今の私には楽に感じられるなら何でも良かった。
「剣術に限らず基本的に攻撃というものは、前進しながら行われるもんだ。
なぜなら重心移動して得た運動エネルギーを敵にぶつけるのが攻撃ってもんだし、なにより敵に攻撃が届く距離まで近づく必要があるからね。
でも実際の剣術での戦いや殺陣においては、下がりながら攻撃することもありえる。
だってうっかり敵に近づき過ぎることはありえるからね。
戦闘エリアがクソ狭いって場合もある。
つまり攻撃が最も効果的な間合いを確保する為には、時に下がりながら斬ることも覚えにゃならんてわけ」
私達がこの〈殺陣部〉式素振りを覚えるている間、貫胴部長はそうペラペラと説明しながら、たまたまそばにいた不佐間パイセンを、部長の鼻息が背の高い不佐間パイセンの胸に吹きかかるくらいの恐ろしく近い距離から、〈真っ向〉皆を繰り出しては一瞬で叩っ斬っていた。
斬る瞬間、左脚を退いて後ろに下がり、刀を振り下ろす距離を確保しているからできるのだ。
私達一年新入部員は、それを見ながらなんとか〈殺陣部〉式の素振りを覚えると、早速みなで揃っての素振りに挑戦した。
‥‥‥とはいっても素振りについて覚えることはまだあった。
みなで一斉に素振りを行うには、揃える為の決まり事を覚えねばならないのだ。
先輩方の一人が〈掛け声係〉となって『イチ!』と鋭い掛け声を出すと、〈大上段〉で状態で待機していたそれ以外の全員が、『イチ!』と叫びながら、掛け声に続いて一斉に〈真っ向〉を繰り出す。
そして〈掛け声係〉が『ニ!』と掛け声を出すのと同時に、再び〈大上段〉に戻り、自分達が『ニ!』と掛け声を出すと同時にまた〈真っ向〉を繰り出す。
以下『サン』『シ』『ゴ』と続くなか、我々は前後移動しながらひたすら掛け声と共に〈大上段〉~〈真っ向〉を繰り返すのだ。
よく考えれば、みなで一斉に揃って素振りすることにどんな意味がるのか? と思わなくも無いが、これからチャンバラしようという仲間同士、素振りで体力作りする一方で、共通のタイミング感覚を養っておくことも重要なのかもしれない。
私は疲労のあまり心がダークサイドに落ちないよう、そう思っておくことにした。
肝心なのは正しいフォームの維持と各動作のタイミングで、我々一年生新入部員組は当初、〈大上段〉になるタイミングが分からず混乱したが、それは素振りを繰り返すうちに勝手に身体が覚えた。
問題は正しいフォームの維持、特に〈大上段は45度〉というルールの堅持であった。
ついつい横から見て45度以下にまで振りかぶってしまうのだ。
45度って角度の感覚がまだ身体で掴めていないのと、木刀の重たさと、限界寸前の腕力の衰えの為だ。
私はうっかり45度以下まで木刀を振りかぶりそうになる度に、背後でツッキー先輩が、45度以下にならないよう水平に構えていた木刀にバチンと自分の木刀をぶつけてしまい、自分でビクッとなった。
ツッキー先輩心臓に悪いから辞めてと言いたかったが、〈大上段は45度〉は他人を怪我させない為の決まりなので、文句は言えなかった。
最後の強敵となった素振りは、私がマジで今度こそ完璧にヘロヘロになり、30回繰り返したところでようやく終わった。
私は疲労と汗で木刀が手からすっぽ抜ける直前だったので、心底安堵した。
「は~い、みんなお疲れ~」
私が汗みどろとなって辛うじて立っている中、みなと同じ様に素振りをしていたはずのツバサ副部長が、汗ひとつかいていない顔でパチパチと手を叩きながら告げた。
そして自ら進んで私らの前で、先ほど教わった方式で正座した。
「というわけで、今日の部活動はここまでっ。
最初と同じ様に、最後にもこうやって皆で挨拶をして〈殺陣部〉の活動は終わりま~す」
私たちは慌てて他の部員と共に、最初に教わった〈殺陣部〉式挨拶を必死に思い出しながら、木刀を自分の右側に置いて崩れ落ちるようにして正座した。
これは貫胴部長が言うべきことな気がしたが、部長は素振りの間にしゃべり過ぎて喉をやられたのか、少し前からずっと咳こんでいて何も言えないでいるようだった。
確かに貫胴部長は、都合1時間はけっこうな大声でしゃべりっぱなしだったので無理もないのかもしれない。
ツバサ副部長はそんな貫胴部長の代打で、急遽しゃべっているらしい。
「え~とそれから‥‥‥ああ! 今日教わった型の名前と、そのフォームやらが載った画像やら刀の各部名称やらが載ったプリントをこの後で配るんで、それ見て今日教わったことをお家で復習しといてね‥‥‥それから~‥‥‥なになに?」
ふいにツバサ副部長の言葉が止まると、彼女の浴衣姿の袖をクイクイと引っ張り、隣で正座していた貫胴部長がゴニョゴニョと耳打ちした。
「ああ~今日は新入部員の皆はとっても疲れただろうから、今日の夕食はなるべくタンパク質を摂って、お風呂に入ったら今一度よくストレッチして、可能な限り早く就寝するよう心がけてね~‥‥‥ですって!」
ツバサ副部長が部長の代弁をした。
異存は無かった‥‥‥というか言われなくてもそうするつもりだった。
むしろこれから家から帰れるかが心配だった。
「というわけで‥‥‥みんな、今日の部活動お疲れさ‥‥‥なに?」
今度こそツバサ副部長が頭を下げかけたところで、またしても貫胴部長が彼女の裾を引っ張った。
だがまだ伝言があったわけでは無いようだった。
貫胴部長は無言で体育館入口を指さしていたからだった。
部長の指さした先では、〈殺陣部〉顧問の柳先生が体育館に入って来たのが見えた。
その手には、ドラッグストアのと思しきビニール袋が握られていた。
放課後‥‥‥気が付くと私は、ツッキー先輩とタッティーに左右から両肩を担がれながら帰路を歩いていた。
どうも私は部活動最後の挨拶で頭を床につけたまま、ヘロヘロになり過ぎて動けず一人で帰れそうになかったので、二人が付き添ってくれたらしい。
私のとツッキー先輩が通学に使ってる自転車は、近所住まいなれどバス通学を選んでいたトールとフーミィが、私達の前方で押してくれていた。
さすが我が幼なじみ達よ‥‥‥私は目覚めたことに気づいて振り返った二人に視線で礼を告げた。
この状況、数年後に酒が飲めるようになった私が、飲み会でぐでんぐでんになって同僚たちに運ばれる状況の予兆のようだ! と私は一瞬思った。
私は滅茶苦茶驚き、慌て、ツッキー先輩とタッティーに謝ったが、幸いにも二人は全然気にしていないようだった。
タッティーは私ん家の割と近所住まいでバス通学で、ツッキー先輩はその途中までは同じ通学路で自転車通学だったのだ。
「まぁ気にしなさんなよ‥‥‥中学まで運動部じゃなかった奴にはなかなか厳しい一日だったろうさ」
「良かった~頭でも打ったのかと心配してたんだよ~」
ツッキー先輩とタッティーが、気が付いてもまだフラフラで、肩を貸してもらったままの私を慰めるように言った。
「ああ、意識がハッキリしたならまずこれを渡そう、ハイ」
素直に頷きかねる私にツッキー先輩はそう言うと、私の手に一つのパック入りゼリー飲料を渡した。
「顧問の柳先生から一年に入部祝いの差し入れ。
一人二個送られたから、一個は今すぐ飲んで、もう一個は寝る前にでも飲むと良い」
ツッキー先輩の言葉を聞きながら渡されたゼリー飲料を見ると、〈プロテイン〉何某と書かれていた。
「ツバサ先輩が言っていた“タンパク質”ってヤツだね、美味しいよ」
すでにそのゼリー飲料を飲み終えたらしいタッティーが言った。
私はその言葉を聞き終わらぬうちに、貰ったゼリー飲料の封を開けゴッキュゴッキュと飲み干していた。
左右の二人がやや呆れた視線を送っていた気がしたが、それどころではなかった。
世にこんな美味しい飲み物があったとは‥‥‥。
私は全身にエネルギーがみなぎるのを感じた気がした。
私はこれから毎日こいつを飲もうと決心していた。
「ツバサ先輩が渡すって言っていたプリントと、ゼリー飲料のもう一個は君の鞄に入れておいた。
スマホには前の二人から聞いてた君のアドへ、〈殺陣部〉の連絡グループへの招待を送っておいから後で確認しておいてくれ。
それから君が聞き損ねたであろう連絡事項なんだけど‥‥‥‥‥‥」
ゼリーを飲んで私がもう歩けるようになったと判断したのか、ツッキー先輩がそっと私から離れ、自分の自転車にむかいながら告げた。
「‥‥‥連絡って‥‥‥なんですか?」
「君、三カ月後の体育祭でやる〈殺陣部〉のエキシビションに、出てみる気ある?」
尋ねた私へのツッキー先輩の答えに、私は思わず立ち止まった。




