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▼第一章 『これまでの! 茶ノ原ヨーコは!? 〈その1〉』

   生まれも育ちも東北のとある県庁所在地‥‥‥つまりバリバリの雪国に、私は特段裕福でもなければ貧しくもなく、熱々というほど仲良しでも無ければ悪くもない両親の間に生まれ、バリバリの新築ではないがボロくもない一軒家に、祖母と兄と妹に囲まれ、比較的普通に生きてこさせてもらってきた。


 思えば今のご時世、割と‥‥‥いやかなり恵まれた境遇で生まれ育ったと思う。

 ある一点を除けば‥‥‥。



 それは小学3年の冬、近所の友達と共に、家の周囲の雪の降り積もった田んぼで鬼ごっこをしている最中に、極めて唐突に発症した。


 ザックリと言えば、肺を膨らませきることが出来なくなり、脳に酸素が回らなくなるその発作は、ありていに言って生き地獄の類であった。

 なにしろ極めて浅い呼吸しかできなくなるのだから‥‥‥。

 苦しい‥‥‥ただひたすらに苦しい。

 満足に息を吸えず、脳に酸素が行かずボ~っとなる。

 だからその発作がはじまった瞬間、私は鬼ごっこどころか、満足に立って歩くことも困難になった。


 いわゆる小児喘息の発作であった。

 以後私は、その苦しみにより、幼き日々の思考と時間を大いに奪われることとなる。

 

 発作が一度はじまってしまったら、ある程度は喘息用吸入器で緩和はできる。

 だが、吸入器の多用は健康を害するし、風邪と喘息を併発してしまったら吸入器くらいでは呼吸困難は治ってはくれなくなる。

 その場合は、ひたすら肉体の抵抗力が勝利し、自然回復するまで耐えるのが基本戦術となってしまう。


 普通の風邪ならば、横になって眠って回復を待てばたいがい治るが、喘息の場合は、そうやって眠ってる内に回復するなどということは期待できない。

 だって苦しくて眠れやしない。

 ひたすら苦しさに耐えながら、いつか睡魔の方に呼吸困難の苦しみが根負けするようにして僅かな眠りに陥り、ただ発作が過ぎ去るのを待って耐えるしかなかった。



 そうした発作の切っ掛けは、私の場合は冷たく乾いた空気を吸いこみながら運動することであった。

 つまり冬場がもっとも危険であったが、夏場でも気候しだいでは安心できず、運動する時は常に喘息発作の危険を抱えねばならぬ身体になってしまった。

 それもこの雪国のこの地で。



 困ったことに‥‥‥いや幸いなことに、私の患った喘息の場合はメチャクチャ苦しいが、死に至る不安があるほどの病ではなく、幼き私の未来が奪われたわけではなかった。

 未来も喘息とその苦しみと共に生きることが確定しただけだった。



 ‥‥‥そんなわけだから、運動をするということは、私にとってとてもリスキーな行いになってしまった。

 真夏ならばリスクは大分減るが、冬場に運動して冷たい空気を吸ってしまえば、少なくない確率で喘息の発作になり、私は運動どころか生命活動そのものが著しく減衰してしまう。

 小学三年生の冬のあの日まで、これでも私は活動的な人間であった。

 体育の授業が楽しみだったし、昼休みは校庭を駆けまわっていた。

 春夏はアスレチックやプールに喜々として挑み、冬場は近所の雪の降り積もった田んぼの上を友達と共に駆けまわり、ソリやスキーを楽しんだものだった。

 だが小学三年生の冬以後の私は、身体を動かすことは決して嫌いでは無いにも関わらず、必然的にインドア派人間へと半強制的に転向する羽目となった。





 年に二~三度訪れる喘息の発作が悪化してしまった時の夜は、苦しくて眠ることも出来ず、さりとて能動的な行動をする元気は無い。

 だから喘息で苦しんでいる時に最も私が欲するものは、回復までの長い夜の間、この苦しみから気を逸らしてくれる“何か”であった。

 苦しみ以外の何かに意識を集中できれば、それだけ楽になる。

 しかしTVゲームをするような元気は無いし、読書して内容を理解するには脳に行く酸素が足りない。

 必然的に、私は喘息が悪化した時は、勝手に進行してくれる何かしらの映像作品を見て苦しみをやり過ごすことを覚えた。

 アニメ、映画、ドラマの類を見て、それが面白ければ面白い程、私は苦しみを忘れることができるからだ。

 少なくとも再生しっぱなしにしておけば、自分はただふとんに包まって画面を見てるだけで済む。


 かくして私は、極めてやむ負えない事情でオタク女子となった。

 元から血筋的にそういう素養があったのかもしれないが、直接の原因は、五つ歳の離れた我が兄が、割とガッツリとしたオタクであり、また喘息経験者であったことだ。


 当時もう喘息の症状はでなくなっていた兄が、私と同じ年頃の時に患い、苦しんだ喘息への映像作品観賞という対処方法を、そのまま私に伝授してくれたのだ。

 問題は、兄が妹へと親切心から紹介した作品の多くが、完全に兄の趣味であったことだ。

 男子が好きそうなアクションやらSFやらがてんこ盛りのアニメや映画やドラマを喘息の度に見せられ、結果どハマりし、喘息でない時も見るようになり、私は立派な兄のオタク弟子となった。

 ガンダムにマクロスにエヴァにジャッキー映画、MCU、DC,『スタートレック』の映画はもちろん、ドラマシリーズの9割を網羅し、『スターウォーズ』と『クローンウォーズ』まで律儀に制覇した女子など、そんなにはいないと思う。

 それらの兄厳選作戦群に、幼くしてドップリ浸かったことが、私という人間の人格形成に大きく影響したことは否めない。




 その一方で、私は学校生活において、他の健康な生徒達に猛烈な羨望を抱くようになったのは、致し方が無いことだと思う。

 体育の授業はもちろん、毎年の運動会にスキー合宿等々、私はその場にはいて、一応参加はしていることになってはいても、とても楽しめる人間では無くなっていた。

 それは中学生になってからも変わらず、むしろ運動系部活動に参加できないという鬱屈を溜まらせた。

 特に何かやりたい部活動があったわけではない。

 小学3年以来、どのスポーツも等しく苦手になった。

 文科系の部活に入るという選択肢もあったが、演劇部や音楽系の部活は、フィジカル的に運動部と同じ理由で参加難易度は変わりない。

 結局私は中学三年間を帰宅部で過ごしきった。

 他に選択肢が無かったのだから仕方が無い‥‥‥そう自分を納得させていた。

 そして高校に入学しても、きっと私の喘息にまつわる状況は変わりやしないだろう‥‥‥そう覚悟‥‥‥いや諦めていた。







 ‥‥‥しかし、私の安堵にも似た諦めの境地は、唐突に覆されることになる。

 高校受験の当日の朝、私は大雪の為に1時間以上もバスが遅延したことで、受験会場まで、我が家から徒歩45分の道程を走って移動する羽目になったのだ。

 それまでの私のパターンから言えば、限り無く自殺行為に近い行いであった……季節的にも当時の気候的にも。

 しかし、なにしろ高校受験である。

 私は携帯していた吸入器を信じて、第一志望の斗南高校まで走ることを選んだのだ。

 タクシー呼べば良かったじゃん! と後で言われたが、そんなアイディア欠片も思いつきもしなかったし、持ち合わせも無かった。

 私はもう、ただ無我夢中で走り続けた。

 だがここで、私はある意味受験以上の大イベントに遭遇した。

 真冬の冷たい空気の中を走ったにも関わらず、いつまでたっても喘息の発作が訪れなかったのである。

 私はその時、脳内に『フォレストガンプ』のBGMが流れ始めた気がする。


『走れヨーコ! 走れ!』


 私はヘトヘトになる一方で、数年ぶりの“走る”という行いに歓喜しながら受験会場の斗南高校へと走り続けた。

 そして無事受験開始予定時刻の十分以上前に会場に到着した。

 受験開始時刻は、大雪による受験者の到着遅延を鑑み、予定より一時間後にズラされていたけどね。

 私は翌日の脚の筋肉痛地獄と引き換えに、重大な事実に気づいたのであった。





 こうして私は無事高校受験に合格し、なんやかんやあって華の女子高生となった。

 それも健康な女子高生らしい。

 あの日、なぜ喘息の発作が出なかったについての謎は、受験後にすぐに解けた。

 私の肉体が、成長に伴って喘息を克服した‥‥‥ということらしい。

 実際我が兄はそうやって喘息にならなくなったそうだし、小児喘息患者にはわりあいよくある現象なのだそうだ。

 もちろん、そうはならない例も多々あるそうし、油断は禁物だ。

 私は『そんなアホな‥‥‥』と思いながら、半信半疑で受験日から高校入学までの間、自分が本当に喘息にならない身体となったのかを、雪遊びしたり、ランニングしてみたり、恐る恐る確認して凄した。

 そして少なくとも中学の卒業式を終え、春休みが終わっても、私が喘息になることはなかった。

 なにしろ超久しぶりに喘息を併発しない“普通”の風邪をひいて二日寝込んだくらいだ。

 どうやら喘息克服はマジっぽかった。

 そしてその結果、正直なところを言えば私はとてもとても途方にくれた。








 公立斗南高校は、そこそこの進学校でありながら自由な校風、我が家からの位置関係等々の諸々の要素から、私が通う高校としては

他に選択肢などなかった学校だった。

 ‥‥‥というか、県内には高校の数がそんなに無く、選択肢が最初から限られていた。

 ついでに我が兄も通った高校である。

 私の近所に住まう幼なじみの小中学校の同級生にして、私の家のある地区で〈杉本の三羽ガラス〉と一時期呼ばれたりもした私の幼なじみの根島トオル《透》と本間フミエ《芙美恵》の二人も、私と同じような理由で、

揃って斗南高校へと入学の運びとなった。

 新生活を前にして、めっちゃ心細くなっていた私にとって、それはとても心強いことであった。


 こうしてはじまった私の高校生活の最大の悩みは、この人生に一度しか無い高校生活三年間をいかに有意義に過ごすか? であった。


 およそ3か月前まで、私は高校生活もインドア派人生を送る覚悟でいたが、今はもう喘息を理由にそれを諦めることはできない。

 もちろん、将来の為に勉学に励み、帰宅部で過ごすという選択肢もあったが、私はそれを選ぶ気はハナから無かった。

 私は不安と共に、今まで貯めこまれていた『青春したい』という欲求にさいなまれながら、入学から一週間後にまるまる一日を使い、体育館で行われた部活動紹介集会を迎えることとなる。


      


                                          つづく             

(※本作は作者の実際に体験した殺陣に関する知見を元に執筆されておりますが、世の殺陣の全てに適用されるとは限らない可能性があることをご了承ください)


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