「記憶の鎖」(Chain of Memories):妙×恵×清
#記念日にショートショートをNo.21『上書きを無くして』(Lose Overwriting…)
2019/8/15(木)終戦 公開
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【関連作品】
「記憶の鎖」シリーズ
恵兄が、集中治療室に運ばれていった。
「また私…何もできなかった……」
膝が震える。涙が止まらない。怖かった。心臓がドクドクと音を立てている。
ここ数年は発作は無かったのでもう大丈夫だと安心しきっていた。勝手に、もう恵兄が倒れることはないだろう、と決めつけていた。
「私が……ずっと恵兄に甘えていたから……」
すぐにAEDを取りに行くべきだったのに、何も考えられなかった。清兄の時だって、私は何もできなかったのに。胸を掴み、ひたすら嘔吐し、苦しそうに悶える姿がフラッシュバックする。
嫌な考えばかりが頭をよぎる。もし恵兄が死んじゃったら…私は……。
清兄が亡くなったのは、7年前の夏の日のことだった。母が買い物に行っている30分くらいの間、当時8歳だった私と15歳だった清兄は、2人で自宅に残っていた。テーブルの上にそれぞれ勉強道具を広げ、清兄は模試の勉強を、向かい側で私は小学校の宿題を解いていた。
「ごほっ、ごほっ。」
突然、清兄が咳をし始めた。
「清兄、大丈夫?」
「うん、少し喉の調子が悪いだけだから。」
最初は清兄はそう言って笑っていた。
でも次第に、咳の音が濁ってきて、咳の頻度も増え始めて。
「ぐっ……!」
清兄が、胸を掴み、苦しそうに顔を歪めた。そしてビクン、と体を震わせ、嘔吐した。
「ぼぉうぇっ…!」
「清兄!?」
驚いて立ち上がった私の前で、繰り返し嘔吐し、それから清兄の体が、床に倒れるように落ちた。
「うぐっ……!」
「清兄!!」
目の前で人が吐き、倒れ、苦しそうに悶える光景に恐怖が募った。ただ怖かった。どうすればいいのかわからず、何もすることが出来ず、吐き続ける清兄の前で泣きじゃくることしか出来なかった。
「…妙…でん…ぐふっ…うぉぇっ…わ…」
清兄が必死に言った言葉を私が聞き取れていたら、聞き取れなくても何をすべきか分かっていたら。
後悔は消えない。
私が、清兄を殺したんだ。
それからというもの、私は恵兄が勉強をする姿を見ると、パニックを起こしてしまうようになった。恵兄の雰囲気がもともと清兄と似ているというのもあったが、恵兄が勉強しているのを見ると、どうしても清兄の最後の姿が重なって、目の前でまた倒れたらどうしよう、頭の中をその考えだけがぐるぐると回り、手が震えて涙が零れて、酷い時には嘔吐してしまうこともあった。
それでも恵兄は、勉強を中断して、そんな私をいつも介抱してくれた。そして何回も何回も、「僕は大丈夫。」と言い聞かせてくれた。
ようやく私がパニックを起こさなくなったのは、中学に上がった頃だったと思う。恵兄が勉強しているのを見てもパニックを起こさない私を見て、恵兄は安心したように笑顔だった。
私は何度も、恵兄に助けてもらったのに、それなのに私は何一つ、まだ恵兄に返せていない。
涙が滲む。まだ恵兄は治療室から出てこない。
「うっ、うう……。」
悔しかった。恵兄の笑顔が、浮かぶ。隣で勉強をする時の真剣な横顔、揺れる電車の中で吊り革に届かない私を支えてくれる大きな手、ピザまんを頬張る少し幼げな表情、私を見る優しい眼差し…。ぜんぶぜんぶ、大切な思い出だった。まだそばにいてほしい、いなくなってほしくない、離れたくない、離したくない、ずっと隣にいてほしい…!
ああそうか、ふと思った。私は恵兄のことが、「好き」なんだ、と。幼馴染としてじゃなく、お兄ちゃんとしてでもなく、隣にいてほしい、そんな特別な存在なんだ。
ぽろぽろ、と、涙が真っ直ぐ、床に落ちた。
「おばさん。」
隣に立つ恵兄のお母さんを、見る。
「私、ちょっと行ってきます。」
「え、妙ちゃん!?」
返事を待たずに、廊下を走る。階段を降り、病院を飛び出す。
まだ負けたくない、もう繰り返さない、離れたくない、離したくないから!
夜の街を、走る。
いなくなっちゃだめだから、死んじゃだめだから!
星が、黒い空に、光る。
今度は絶対に、私が助ける、守るから!
夜の山は静かだった。
山道を転びながらも足を止めずに走って、必死に、ただ必死に山道を登ったのは、後にも先にもこの時だけだと思う。
はあ、はあっ…と息を吐きながら頂上まで一気に駆け登った。
「お兄ちゃん!!」
その時出せる私の声を振り絞って、叫ぶ。
「恵兄を助けて!!」
空気を割り、涙が一粒、落ちた。
もう誰も行かせない、絶対に死なせない。
【登場人物】
○妙(たえ/Tae)
●恵(けい/Kei)
*回想
●清(せい/Sei)
【バックグラウンドイメージ】
【補足】
【原案誕生時期】
公開時