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1.

 もこもこと地上から空を埋める満開を越えた桜が、無数の白いハートを柔らかくよじらせ、宙を舞い地を駆け抜けた。


 一面の花吹雪。


 恋人と花見に来ていた高校生の少年、間倉(まくら)明時(あかとき)には、傍に立つ同級生である彼女、咲達(さきだち)白花(はっか)がそれに隠れてしまったように見えた。


 しかしそれも一瞬のことで、風が止めば、すぐにお互いの姿がはっきりと見える。


 明時は白花の頭に残った花びらを払いながら、彼女に話し掛けた。


「今の、凄かったね」


「息できなくなるかと思った」


「綺麗過ぎて?」


「ううん、口も鼻も塞がれそうだったから」


「あ、物理的な呼吸器官の問題。浪漫の欠片も無い」


「で、何言い掛けてたんだっけ?」


「もう話戻すんだね。えーと、これ、この部分が気にならない? って思ってさ」


 明時は気を取り直して、傍にある桜の木の幹を指差した。それは先程、木の幹に直接咲いていた小さな花束を二人で見ていた際に、気付いたものである。


 花束の近く。木の幹をぐるりと一周する、境目に見える痕。よく見れば、その上下でわずかながら、木の色の濃さや模様が違うように見受けられた。


「ああ、それ。『接ぎ木』ってやつじゃない?」


「接ぎ木?」


 聞き慣れない言葉だった。


「そう。下の木は『台木』、上の木は『穂木』って言って、育てたい木の枝を別の植物の根の上に繋ぐ、栽培方法の一つよ。桜の苗木は普通、この方法で作られるんだって」


「つまりは乗っ取りか」


「言い方に浪漫が無い」


「失礼。共生か」


「よろしい」


「これ強制じゃない?」


「矯正してあげたのよ」


 そう言われながら、明時は袖を引っ張られた。桜並木に囲まれる中、桜色が敷き詰められた天然の絨毯の上を、再び二人で歩く。


 そして話を続けようと、白花が口を開いた。


「ねぇ。ソメイヨシノ、って聞いたことあるでしょ? ここら辺に並ぶ木もそうなんだけど。日本で一番多くある桜の木で、元は同じ一つの木のクローンで特徴が同一に近いから、桜前線はこれを基にしてるんだって。桜の代表が一個体のクローンなの。しかも、野生種と交雑する遺伝子汚染も懸念されるくらいたくさんある。凄い影響力よね」


「やっぱり乗っ取りじゃあ……」


「浪漫が無い」


「失礼。古き良き伝統を今に伝える生き証人、と」


「及第点」


「これは手厳しい」


 明時は空いている方の手の平を上げ、肩を竦めた。時折入る彼女の審査には、参る他無い。


 ひらり、欠けの無い桜の花が一輪、その手の平に舞い降りた。


「あ、完全体掴んだ。いる?」


「ありがと」


 白花の目の前に差し出せば、彼女も空いている方の手を出してきたので、そっと転がすように移し替える。白花はそれを大事そうに、ふんわりと包むようにして握った。どうやら、まだ袖は放してはくれないようである。不用意に引っ張られて伸びないことを祈る。


「まあ、桜って枝を切るとそこから腐りやすくなるから、そこから増えるのだって、クローン一個体の自殺行為みたいなものだけどね。死にかけてたなら延命になるだろうけど」


「そこで一つ、疑問なんだけど」


「何?」


「移植されたその『枝の部分』って、『元の木そのもの』だと思う? ほら、人間で言えば臓器はドナー本人のままか移植先の誰かの一部になったか、みたいな。その意思は継がれているのか移植先に実質乗っ取られたか、みたいな。一個体は、死んだらそれで終わりにならない?」


「さあ? 少なくとも、役割は受け継がれたんじゃない?」


「役割ねぇ……」


 人工的な増殖で、人間の好む姿で、人間を悦ばせる。そしてそれは、自己の存続にも繋がる。利害の一致か、はたまた、見る者魅せる物どちらからかの、一方的な享楽か。


 少しの間、明時はふと考えて言葉が途切れる。


 と、軽く袖を揺する感触が伝わってきた。


「あ、役割といえば退院祝い、まだだったよね」


 そう言う白花の目線の先には、少し開けた場所に並ぶ屋台と旗が見える。その足が迷い無くその方向へと向かい、必然的に明時も引っ張られて後をついていく形となる。


「まずはあそこでお団子買ってあげる」


「それは白花が食べたいだけじゃあ……」


「浪漫が無い」


「失礼。恋人同士でお揃いの食べ歩き、大変風情がおありで、よろしいかと」


「すみません、蓬の餡子と白の味噌、一本ずつお願いします」


「聞いて」


 明時が言い直せば、彼女は既に注文に入っていた。控えめに訴えれば、振り返り、一言。


「あら、自画自賛してたじゃない」


「あ、『よろしい』をそっちに捉える」


 まあいいか、と少々複雑な気持ちになりながらも、明時は一本貰った。


 焼きたてあつあつのもっちり感。濃い蓬の味に塩気を少々、そこに小豆の味がしっかり残る甘めの粒餡。


「美味しいでしょ?」


「何故に君が得意気。美味しいけども」


 美味しいのは確かだった。



          *



 明時が『退院』となったそもそもの経緯。


 事の始まりは、秘密にしていた恋人関係が、一番バレたくない相手にバレてしまったことが原因だった。


 その相手とは、咲達(さきだち)春香(はるか)。――――白花の、双子の姉である。


 二人は双子で、瓜二つの容姿をしていた。双子だからか、同じものを好きになることも多く


 ――――それは、恋人に至ってもそうだった。


 先に行動したのが白花だった。


 去年のこと。


 白花は勇気を出して明時に告白し、明時は戸惑いながらも承諾した。


 その際、白花が条件を出したが、明時は構わなかった。


 その条件とは、自分達が付き合っていることを周囲、特に姉の春香に秘密にすること。


 その理由を訊くと、春香も明時のことが好きだから、とのことだった。


 春香も明時のことが好き。でも自分だって好きで、好きな人を譲るなんてこともできない。でもそれで春香との仲が険悪になるのも嫌。だから、付き合っても、春香に言える勇気はまだ無い。周囲にだって、どこから春香に伝わるかわからないから言えない。だからせめて、言う覚悟が決まるまでは内緒に。遅くても卒業までには言うから。


 それを聞いて、明時は頷いた。明時としても、恋人がいると周囲に知れ渡って茶化されるのは恥ずかしかったため、この申し出には正直助かった。


 明時がつい流されてポロリとそれを言えば、申し訳無さそうな表情をしていた白花が小さく笑いを溢した。


 そうして、二人の交際はスタートした。


 ――――しかし。


 今年に入って、ついに、本人にバレてしまったのである。


 それは、桜が咲き始めたというのに再び雪が降り積もった日のことだった。


 その珍しい光景を見に行こうと二人で出かけた先で、春香と鉢合わせしてしまったのである。


 今いる場所とは別の、河川敷沿いに桜並木が続く場所。そこに架かる橋の上で、二人でいるところを見られてしまった。


 双子だからか、おそらくあちらも同じことを考えていたのだろう。それとも、いつの頃からか、二人の関係を怪しまれていたのか。何にしろ、それらの可能性を失念していた。


 早朝。


 澄んだ冷たい空気の中、桜を覆う白い雪の表面に、透明な煌めきが細かく降り掛かるようにしてちらついていた。


 ぼとり。


 一塊の雪が落ち、伏せがちな花を纏う枝の先を揺らした。


 それが合図のように、二人の気持ちを急かした。


 なんとか隠さなければ。誤魔化さなければ。


 想定外のことに二人で動揺してしまい、思わず態度に出る。


 それがいけなかった。


「ち、違うの、」


 よく聞いたお揃いの、いわゆる双子コーデだというのに、二人の表情はまったく違っていた。呆然と見つめてくる春香の目線に耐え切れず、焦った白花が取り繕うようにそう口にした。


 それは、「正解」と答えを言ってしまっているのと、二人が付き合っていると自白しているのと、同じことだった。そのことを考えていなければ出ない言葉だった。ただ関係性を否定するだけにしては、二人揃っての挙動がお粗末過ぎた。すべての事情を知っていなければしない、愚行だった。


 ――――結果。春香が白花に詰め寄り、そのまま二人は言い争いになりながら、揉み合いになった。否、白花が謝りながら春香の訴えを受け止め、それでも譲れなかったと抵抗しながら、なだめようとしていたのか。


 明時は二人を止めるため割って入ろうとしたが、丁度、春香が振り回したショルダーバッグがタイミング悪く頭にぶつかり、近くの柵に寄り掛かるようにして動きが止まってしまった。そのバッグは二人で使っているお気に入りだ、と聞いたことがあるが、この時には既に、二人の仲を裂く凶器でしかなかった。


 女子の鞄は何故こんなにも鈍器たりえるのか、と無駄なことを考える余地も無く、その時は訪れる。


 橋は昔ながらの石造りであり、柵のような部分も大まかな造りで、小学生の身長よりも低いものだった。


 白花は揉み合いの末、腰程にも満たない低さのそこへと身を乗り出す形となり、足が地面を離れ、互いに掴み合った状態から――――反転。高い橋の上から、真冬の冷たさに戻った深い川の中へと投げ込まれたのである。


 叩きつけるような大きな水の音に、明時はハッとして顔を川の方へと向けた。見えたのは、一度沈んだのちに浮き上がり、もがく一人の姿。ショルダーバッグが脚と川底の何かに絡んだのか、思うように身動きが取れないようで、浮き沈みも激しかった。


 溺れている。恋人を助けなければ。


 明時はぐらつく頭を押さえると、恋人を助けたい一心で、周囲には目もくれず、自ら川の中へと飛び込んでいった。


 刺すように冷たい水の感触と、何かを甲高く叫ぶ、いつもより高く聞こえる声だけを、残響のように覚えている。


 そこからの記憶は無い。


 否、おそらく恋人が死にかけたショックで、記憶が抜け落ちたのだろう。さらに、追い打ちのように、これまでの恋人のことすら曖昧で、覚えていることすら薄らぼんやりとしている。


 医者が言うには、恋人が死ぬと恋人との記憶すら精神的に強い負担となってしまうから、脳の防衛反応で、その存在ごと忘れてしまおうとしたのかもしれない、とのことだそうだ。


 あまりに強いショックを受けてその記憶を忘れてしまうというのは、稀にあることらしい。




 これらのことは、意識が戻った後の病室で、白花から聞かされたことである。


 目覚めて早々、傍にいた彼女が目に涙を溜めながら何かを言いづらそうにしていたので、何があったのかと問えば、信じられないとばかりに両手で口を覆っていた。そして、一連の話を聞かされたのである。最初は橋の上でのことも覚えていなかったが、少しずつ白花の話と記憶を擦り合わせていく内に、そういえばそうだった、と馴染んでいったので、そこまで問題ではなかったように思える。


 その時に春香も川に飛び込んでいたらしく、そしてそのまま死んだ、とも聞いた。


 だが、明時は白花が生きていただけで十分だった。彼女の身内に対して薄情と思われるかもしれないが、彼女が無事だったという安堵に代えられるものは無かった。


 そして、現在に至る。


 一連のことから吹っ切れるためか、隠す緊張感も無くなったからか。二人は、前よりも軽口も交わせるようになっていた。



          *



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