思い出のとんぼ
思い出のとんぼ
「晴人はへたっぴだなぁ」
そう言ってくしゃっと笑うおじいちゃんが、僕は大好きだった。僕よりも遥かに高くあげられた人差し指は、空にも届いてしまいそうで。
「ほら、簡単だろ?」
しわだらけの右手に一匹の赤とんぼが止まっている。僕は何度やってもできないのに、おじいちゃんはまるで達人のように捕まえた。悔しくて僕もぴんと空へ手を伸ばすけど、ただ夕空を指すだけで飛び交うとんぼは止まらない。
「いつか僕も、おじいちゃんみたいにとんぼ捕まえられるようになる!」
おじいちゃんは楽しみだな、と笑い僕の頭を撫でた。
でも。
ある日を境に、おじいちゃんは、 空に住むようになって会えなくなってしまった。写真の中でいつものようにくしゃっと笑うおじいちゃんに、戻ってきてほしいと何度も伝えたけど、会える日が来ることは無かった。
どんな形でもいい。もう一度会いたい。だいすきなおじいちゃんとの約束を、どうしても叶えたい。
それから一年ほど経った頃。
「晴人、とんぼ見に行こう」
おばあちゃんは僕を誘って、おじいちゃんと行っていた河川敷へと向かった。
いつもと変わらない景色、変わらない音、変わらない匂い…。思い出の河川敷は一年経っても何も変わっていなかった。唯一変わってしまったのは、今年からはおじいちゃんがいないこと。
「晴人、今日は『お盆』って言ってね、おじいちゃんが帰ってくる日なんだよ」
おばあちゃんの言葉に驚き、僕は思わず辺りを見渡した。おじいちゃんが帰ってきてくれた。戻ってきてくれた…。
「でもね、晴人に会うの恥ずかしいんだって。おじいちゃんは変身して、近くで晴人を見てるよ」
おじいちゃんは何に変身したのだろう。いくつか考えて、僕は正解を見つけた。
「…とんぼ!」
僕は去年よりも高く、まっすぐ天を指した。近くには数匹のとんぼが飛びまわり、近づいたり離れたりを繰り返している。
どのとんぼがおじいちゃんかな。このとんぼかな。あのとんぼかな。
僕は初めて、ひとりでとんぼを捕まえようとした。
「晴人、もう帰ろう?」
どのとんぼも、僕の指を通り過ぎていった。それでも僕は諦めたくなかった。おじいちゃんとの約束を叶えて、成長したよって伝えたかった。
「晴人。もう帰るよ」
おばあちゃんが僕の腕を掴み、引っぱった。天を指し続けていた人差し指がぐらりと揺れ、近くにいたとんぼが驚いて離れていく。
ごめんねおじいちゃん。見つけられなかった。会いに来てくれたのに僕、気づけなかった。
帰ろうとしたその時、僕の頭の上に一匹の赤とんぼが止まった。
「晴人は、やっぱりへたっぴだなぁ」
そう言って僕の頭を撫でる、おじいちゃんの声が聞こえた気がした。