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ドライ擬態型ウェット上原

2月の頭の方に日間23位取ってたような気がします。

読んでくれた人、感想書いてくれたり評価してくれた人、いいねくれた人本当にありがとうね。大好き。


 「………」


 寝台から音もなく上半身を起こす。時刻は午前十時。ここ最近は早朝に起床することが多かったので、この時間に起きるのはなんだか新鮮だ。実家に帰るまでは大体こんな時間まで眠っていたというのに。

 思えば連日悪夢を人形に見せられていたからとても健康的な時間に起床していたわけで、先日の彼女の本性を鑑みるに、俺が規則正しい1日を送れるよう気を遣っていたのかもしれない。…邪推が過ぎるだろうか。



 『本当にここにいていいの…?』

 散々泣きじゃくったあの夜、人形は俺の右手の掌に顔を埋めたままポツリと呟いた。


 「さっきも言ったろ。いてくれた方が楽しいからさ」

 これは嘘偽りない本音だった。俺は死ぬまでの短い人生を有意義に使うと決めた以上、楽しく生きられる道を選ぶのは道理だった。

 ただ一つ自分でも驚いたのは、人形と反目しあいながらの日々が意外と楽しかったと俺が感じていたことである。なぜ俺がそんなことを思ったのかは未だ分からない。分からないからあまり考えないことにした。


 『…条件、私に譲歩しすぎだよ?私がアナタを許すのと、ここにいさせてくれるだけで今まで私がやったこと全部許すなんて、釣り合ってないよ。こう、もっと私に命令してくれていいんだからね?…呪殺ぐらいしかできないかもしれないけど」

 「いやあ…嫌いな人間は山ほどいるけど、呪いたい程はないからパスだなぁ。…それに言ったろ。ここにいる間はお前がやりたくないことは無しでいこうぜ。つまらん部屋だけど羽伸ばしてけよ」

 『うぅ…この人優しすぎて心配になってくる……あ、』


 お前を何回かノリノリで殴ってる時点で優しくはないんだぞ?と口を挟む前に、彼女は埋めていた顔をパッと離し、俺の目を見た。


 『そういえば名前!!アナタの名前聞いてない』

 「あっ、あー、そういえば言ってなかったな。…なんか改まって自己紹介も恥ずかしい気はするけど、俺の名前は――、」





 『はるとくぅ〜ん…すひゅ〜…すひゅ〜…』


 そんなわけで、現在に至る。

 人形がその可愛らしい本性を露わにした夜からもう3日が経過していた。

 最初はまさか呪いの人形が睡眠を必要としているとは思いも寄らなかったのだが、すくなくとも寝息を立てている以上彼女に睡眠は必要であるらしかった。

 あの夜泣き疲れて眠ってから、彼女はなし崩し的に毎日俺のベッドの端ですやすやと寝息を立てるようになった。

 眼球のない状態で寝息を立てられても不気味なことこの上ないのだが、どうせ他に寝かせる所もないし、かといってそのままベッドを譲るのも癪だったので、俺はそのまま同衾した。

 俺は寝相がいい方ではないのだが、心のどこかで彼女のことを意識していたためか、目が覚めた時に彼女を肘で押し潰すといった悲劇は現状発生していなかった。


 しかしながらこの人形、教えたばかりの人の名前を呼びながら可愛い寝息を立てやがって、あざとすぎはしないか?


  『はるとくぅん……。今までごめんねぇ……』

 「………」


 前言撤回。

 なんだか腹が立ったので、すやすや眠っている彼女の端正な形の鼻を摘んでやった。


 『ふみゅみゅみゅま……』


 可愛いすぎて舌打ちした。





 『……ごめんなさい、今日寝過ごしました』

 「もうちょっと寝てても良かったけどな」

 『ちょっとそれは流石にダメな気がするの私』


 それからたっぷり二時間が過ぎ、正午を回った頃に彼女は目を覚ました。

 ここまで彼女が遅くまで眠っていたのは3日間の中でも初めてのことだった。もしかしたら疲れが今になって出たのかもしれない。人形に疲れってなんだよ。


 別に目があるわけじゃないのに彼女は目のある部分を右手でくしくしと擦っていた。


 「呪いの人形って睡眠必要なんだな」

 『え?……うーんまあ眠らなくても命に別状はないけど、出来たら寝たいって感じかなあ』

 「冷静に考えたら昼夜問わず襲撃してたもんなお前。……労基署案件じゃん」

 『え、呪いの人形にそんなの保障されてると思うの?』


 彼女はのそのそと布団から這いだし、ベッドから下に降りようと――――、したところで停止。

 ギギギと首を動かし俺に助けを求めるような視線を向ける。


 「……降りられない?」


 こくこくと人形が首を動かした。


 『その、何でかわからないんですけど、私、高い所がダメで……』

 「あれ、俺のベッドそんな高い?」

 『意外と恐怖を感じる程度には……』

 「じゃあお前今までどうやって降りてたんだよ」

 『今まではパッと消えてパッと現れたりしてたから……でも寝起きだと失敗して壁の間とかに挟まったことあるから、今は迂闊に出来ないの……』

 「あぁ…、いしのなかとかそういう……」


 彼女の弱点はもうちょっと数日前から知りたかった所ではあるが、そんなことを言ったって最早仕方がない。俺は彼女を昨夜同様両手で膝と頭を支えながら丁重に床へと降ろしてやった。


 「はいどうぞ」

 『あ、ありがとうございます……』


 彼女は若干顔を俯かせながら小さくお礼の言葉を発した。


 「うん。じゃあ俺昼飯の続き食べてくるから。お前は好きにしてていいよ」

 『まだご飯中だったんだ。ごめんね春人君呼んじゃって』

 「いいっていいって」


 ヒラヒラと手をふりながら食事が置いてある机の方へと向かう。


 思えばたった3日間で随分人形と打ち解けられたように思う。泣きじゃくった次の日の彼女は、それはもう喋らなかったのだ。口を開いたとしても、


 《ごめんね…》

 《ごめんね春人君…》

 《お腹痛くない春人君…?》


とかしか言わないので、彼女を宥めすかすのには相当苦労した。彼女に音楽を聴かせてみたり、雑誌を読ませてみたり、撫でくりまわしてみたり、とにかく色々なことをこの数日俺は試みてきた。

 かくして、その行為のどれが彼女の琴線に触ったのか(あるいは気を遣われたのか)わからないが、彼女はやっと謝罪と心配の言葉以外を俺にかけてくれるようになった。

 これで良いのだ、と俺は思う。彼女にしばらく休んでいけと言ったのは俺だ。謝罪の言葉を言わせることで彼女を苦しめることは、俺の本意ではないのだ。


 着席しておもむろにテレビをつけ、コンビニで買ってきたパスタを引き続き啜る。

 テレビ画面は実家で見かけた『天使様の手記』のコマーシャルを映していた。俺は全く興味が無かったのだが、どうやらあの手記はかなり売れ行きが好調らしかった。

 とはいえあの手記のことを実家で初めて知った時に感じた落差はもうない。

 それはきっと、呪いの人形であるはずの彼女の誠実さを垣間見たからなのだと思う。


 「まあお澄まし顔の天使様よりはウチのやつの方が可愛いだろうな」

 『え、なにがー?』

 「…いや、なんでも」


 彼女は突如として机の上に現れ、俺に向かって首を傾げてきた。

 …別に彼女に対してどんな独り言を言ったのか、説明しても特に不利益はないはずであるが、俺はなぜか咄嗟に誤魔化す方を選んでいた。


 「…それは?」

 彼女は上原春人様と書かれた茶封筒を机の上に置いた。

 『たまたま私が玄関の方に歩いていってたら、カタンって音がしたから』

 「俺宛に?水道料金滞納した覚えないけど」


 ハサミで封を切り、中に入っていた書類を検める。

 正直心当たりもないので中身に期待はしていなかったのだが――――


 「案の定だな」

 『なになに?……同窓会のお知らせ?』


 中身は高校のクラス同窓会のお知らせであった。

 高校の時分は随分と一部のクラスメイトに煮湯を飲まされたものだが、同窓会担当の元同級生はよくもまあ俺の住所を知り得たものである。とはいえ―――、


 「パスパス。後で捨てよ」

 

 再開したい人がいるでもなし、俺が行く意味はない。

 

 『…そっか』と呟いた彼女は、そのまま向きを変え、笑い声のするバラエティ番組に視線を向けた。


 『すごいね。最近はこんなのが人間の中で流行ってるんだ』

 テレビ画面がセレクトショップの特集コーナーを映した時、彼女はそのような言葉を発した。


 「まあ、そうらしいわな。あんまりよくわかんないけど」

 『お洋服とか興味ないんだ?』

 「そこに興味向くほど充実した人生送ってこなかったしなぁ……。お前こそ興味あるわけ?服とか」

 『私呪いの人形だよ?』

 「まあそりゃそうか」

 『あるにきまってるじゃない』

 「あるんだ……」

 

 怪訝な顔をした俺に対して、人形は心外だというような表情を浮かべた。


 『私呪いの人形だもん。やっぱり人を怖がらせるわけですからファッションには気を遣わないと。ビジュアル100%の業界だし』

 「プロ意識高いな。さすがだわ」

 『ふふ、まあ全くやりがい無いけどね…』

 「…おつかれ」

 『んへへ……』


 気の毒に思い彼女の黒髪を梳くように撫でる。

 彼女はくすぐったそうな声をあげながらそれを受け入れた。


 「しかし、気ィ遣ってるってことはお前、服のバリエーションとか色々あるわけ?それ以外しか見たことないけど」


 俺の言葉に、彼女は痛いところを突かれたような顔をした。


 『呪いの人形はイメージ商売だから…ね…?だからその……』

 「?うん」

 『…持ってないです……』

 「ファッションに気を遣ってるって言ったじゃん」

 『そ、それはね!?気は遣ってるんだよ!?ほんとに!!……でも、私人形だし。可愛い服とか持てないもん……。気は遣いたいけど持ってないんだよ…』

 「……カルボナーラ食う?」

 『……食べるぅ…』

 「(食べるんだ……)」

 

 少しばかり残っている麺を彼女の口に持っていくと、彼女はちゅるるると音を立てながらそれを飲み込んだ。


 『おいひい』

 「よかったね」


 パッと花を咲かせたように笑う彼女を尻目に、今朝から行っていたスマートフォンでの調べ物を再開する。先天的な読字障害の俺は文字を読むのにも一々時間がかかってしまうので、調べ物を完了できていなかったのだ。

 やがて該当の店舗を見つけた俺は、マップアプリで位置情報を確認。俺のアパートから見てそこまで時間がかからないことを確認する。

 午後の韓国ドラマを映しているテレビにリモコンを向けて消し、俺は椅子から立ち上がった。


 「というわけで、今日は出かけることにする」

 『え?うん。いってらっしゃい』

 「いやお前も行くんだよ」

 『え?私も?』

 「そう。お前がいないと意味がない」

 『いや、でも私をつれてどこに……』

 「そりゃもちろん―――」


 そう言って彼女に先程まで調べていたスマートフォンの画面を見せる。


 「ドールショップ。買うんだよ、お前の洋服」






 ざっと彼女の身長を測ると、数字は58cmを指した。

 奇跡的に大容量のリュックサックを所持していたので、彼女にはその中に入ってもらうことにする。


 「ごめん若干身体曲げないと入らないかもしれない」

 『え?大丈夫大丈夫!!なんなら上半身と切り離してくれてもいいぐらいだよ!?』

 「いやそれされても元に戻せる自信俺ねェから……」


 明らかにテンションが上がっている人形をなんとかリュックの中に詰め、俺は玄関から外に出た。

 春とはいえ雲一つない青空に太陽が煌めき、とても暖かい。絶好のお出かけ日和というやつだ。


 『……ねえ、お金とか大丈夫なの?』

 「さっきまでの威勢はどうした?」

 『いや、冷静に考えたら春人君にお金出させるんだから私はしゃいでる場合じゃない気がして…』

 「我に返るのが早すぎる」


 誠実な彼女の美徳と言えるのかもしれない。誠実なのは昨日初めて知ったが。


 「…お前、今日は服買っただけで済むと思うなよ?」

 『え、それはどういう……』

 「俺は今日、買った服をお前に着せたうえで2時間規模の撮影会を自宅で開催する」

 『………!!』

 「ちょっと際どいポーズも取ってもらう」

 『……っ……!?』

 「……まあ、なんだ、お前の服を買うっていうのは半分俺の趣味も入ってるってことだ。だから余計なことで気にすんな」

 

 そもそも俺の金ではない。親父の遺産である。


 『……うん。ありがと』

 「おう。…まあそれに、いい加減お前の今着てる着物も手入れしたかった所だ。折角綺麗な色してるのにずっと着てたら拭けないだろ?」

 『…え、き、綺麗?ホント!?』


 リュックの中の人形が驚いた声を上げる。

 そこまで驚くほどのことなのだろうか?と俺は思った。


 『私が今着てる着物、真っ赤じゃない?やっぱり呪いの人形だからね、血とか地獄の炎とか、色々物騒な想像する人が多かったかなあ…。』

 「割と初対面から綺麗だなとは思ってたぞ。お前何人ぐらいからそんなこと言われてたんだよ」

 『…うーん、実はあんまり昔のことはぼんやりとしか覚えてなくて、何人からそんなこと言われたのかとかもうわからないの…。ただ少なくとも、覚えてる中で綺麗なんて評価されたことはないかな。春人君が初めて』

 

 アパートが多く立っている区画を抜け、片道三車線の走る大通りに出た。平日の昼下がりとはいえ、道は混雑しない程度に多くの人々が出歩いていた。

 おもむろに彼女は俺の背中に頭を寄せた。リュック越しに彼女の感触が伝わってくる。


 『私、嬉しい。綺麗って言ってくれてありがとう。春人君』

 「……着物の話だ、着物の話。……ただ一応、着物の話だからってお前が不細工と言ってる訳ではなくてだな…」

 『ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、忘れた?私元々片目がないんだよ?今は両方ないけど』

 「その節は――」

 『あー違う、違うからね!!責めてるんじゃないからね!!……まあ、元から片目が無いからさ、ガワの無い私なんて欠陥人形で醜い人形なの。呪いの人形なんだからその方がいいのかもしれないけど―――』

 「それはない!!」


 思わず否定の声が出た。


 「俺はお前を初めて見た時ギリシャ彫刻かな?って思ったんだ!!」

 『ええぇっ!?ちょ、声でか――』

 「あの札をめくった時、正直言って一瞬見惚れた!!悔しいがお前の顔は芸術的で美しかったッ!!」

 『えっいやっその嬉しいけど!!嬉しいけどさあ!!』

 「大人びた顔の中にあどけなさが残ってて、そう、綺麗で可愛い!!キレカワ!!キレカワだよ!!」


 別に俺はこれっぽっちも人形に対して贔屓目を持っているわけではない。自分を呪おうとした者に対する好意など以ての外だ。

 だが、そう、現実。彼女の姿が、顔付きが。美しいという事実だけは確かなのだ。それをあろうことか本人に否定させるわけにはいかなかった。

 ゆえにこそ俺は人目を憚らず叫んだ。

 人形、お前は美しいのだと―――。


 『う、嬉しいけどそういうのを往来で言ってたら――」

 「君ちょっといい?」


 …なお、往来で叫んだことに対するツケは。


 「どうしたの昼間から?お酒でも飲んだ?最近ここらも治安が悪くてねぇ。僕らも大変なんだよぉ。……ちょっと持ち物、見せてくれる?」


 ……すぐに支払うハメになった。


 我々の生活の安全を担保する公務員。   

 警察官様のお出ましである。


 「いや…別に怪しいもんではないんですよ」

 「うん、それを確かめるために確認するからねぇ」


 客観的に見てどうなんだろう、と俺は一瞬考える。

 職務質問を受けて、荷物検査に応じて。

 巨大なリュックの中から体育座りの1/3ドールがゴロンと一体出てきた場合、それを所持している成人男性は一体どのような目で見られてしまうのだろう。その上当の人形は両目が無いのである。

 《これなんだい君!?》

 《…呪いの人形…ですかね…》


 (さすがにその返答はまずいなぁ…)


 俺にはまだ恥の概念が存在していた。堂々とリュックの中身を見せ、誇らしげに人形を晒す胆力は、まだ俺には備わっていなかった。ゆえにチャックの開放を躊躇ったのである。

 そして、その躊躇いを見逃そうとするほどプロは甘くなかった。


 「なんか君見られて都合の悪いものあんの?」

 「いやそういうわけじゃなくて」

 「ちょっと署まで来てもらおうかな」


 まずい。

 あらぬ疑いをかけられている。

 背筋に冷や汗が走った。

 最早四の五の言っている場合ではなかった。


 「わ、わかりました!!開けます、開けますから!!」


 そう言って俺はリュックのチャック部分に手をかけた。


 「いやー実は俺ドールが―――」

 「?なんも入ってないじゃん」

 「―――え?」

 



 



 『……ごめんなさい。私って、私が見初めた相手以外に姿、見えないんだよね…』

 「もっと早く聞いてたら良かったわそれ……」


 怪訝な顔のまま俺を解放した警察官から十分距離を取った頃、人形はおずおずとリュックの中からそう語った。相変わらず常軌を逸した特性を持った人形だなと俺は呆れかえった。


 「じゃあ他の人から見えないとしてもさ、触られたりはできんの?」

 『ん~……私がその気になったらできるかも……?』

 「なんで疑問形?」

 『やったことがないから』

 「そうかぁ……」


 そこまで言って俺はふとある事実に思い当たった。


 「待ってじゃあお前カメラに写んないんじゃないの…?」

 『――――、あ』

 「……いやまあ別にいいんだけどさ……」


 撮影できないんだったらそれをダシにもっと帰ったら際どいポーズを要求しよう。俺はそう決意した。


 「……あ、ついた」

 『え、ほんと!?』


 リュックからひょこっと顔を出した人形と一緒になって目の前の雑居ビルを見上げる。

 ドールショップはこの雑居ビルの2階のフロアにある……というのがネットで書かれていた情報である。

 1階には本屋が入っているようで、外からはとてもドールショップがあるようには見えない。俺は同じ本が大量に平積みにされた棚(ベストセラーのようだがタイトルが読めない)の脇を通り、奥の階段を登っていった。


 『わあ……』

 はたして階段を登り切った先には、未知の光景が広がっていた。

 店内のスペースは巨大な6つのガラスケースで区切られ、入口からでは内装の全貌を把握することはできない。

 ただ、辺りを見渡しても人の気配はあまり見えなかった。今日が平日だからというのが大いに影響していそうだが、本当にこの店は儲かっているのだろうか。

 しかしながら、そこにいてなお色とりどりの商品が所狭しと並べられていることが窺えた。

 入ってすぐの壁にはドール用の小物類がパッケージングされて並べられている。思ったより出来がしっかりしていることと値が張っていることに若干動揺しながらも、俺は店内地図に従い、ドール用のドレスが陳列されている区画へと足を運んだ。


 『うわぁ……!!」

 背中の方から喜色を湛えた声が聞こえてきた。

 

 ドール用ドレスの区画には、大小様々色とりどりのドレスが何十着もビニールパッケージに詰められて並んでいた。

 近くのガラスケースには豪奢なドレスに身を包んだ展示用のドールが数体並べられている。どうやらドールの身につけているドレスは全て売品であるらしく、見ているだけで頭がおかしくなりそうな値段が付いていた。


  「ゼロ、ゼロ、ゼロ…。多くない?ゼロ」

 『…オーダーメイドらしいよコレ」

 「どこまでも金かけられるじゃん…。ゲーミングPCかよ…」


 ありがたいことに(それとも気を遣ったか?)人形はガラスケースの内にある5桁後半のドレスには目もくれず、量産品の安価なドレスに目を向けてくれていた。

 ただ、それでも値段が俺の今着ている服と同等なのはどういうことなのだろうか。


『え、やだ、かっこいい…。めちゃくちゃ大人っぽいじゃん…。え、あれもすごいかわいい…』

「……」


 興奮で若干早口になっている人形が、無い目をキラキラ輝かせながら身を乗り出し、商品を物色する。必然的に彼女の長い黒髪は俺の顔にバサバサと当たるのでとても痒い。加えてあまりにも身を乗り出しているからか、彼女はさすがにバランスを崩して落ちそうだ。

 今から選択する行動にはまあ若干のリスクはあるが、ここは一つ()()()()()()()()を果たすためにも、やむを得ない。

 そう判断した俺は、左肩から身を乗り出している彼女の胴体を両手で優しく掴み、ゆっくり地面へと下ろした。

 俺の行動に『え、ど、どうしたの!?』と空中でジタバタする(ちょっとかわいい)彼女に、俺はこう答えた。


 「3着。3着までなら好きなの選んでていい。俺はお前を持ち運ぶ鞄を見たいからちょっと見てくる。…お前だって時間かけて選びたいだろ?1人でゆっくり見とけよ」

 『…大丈夫?』

 「1人にすることか?…大丈夫だろ、さっきお前ステルス機能あるって判明したんだし」

 『いやそっちはどうでもいいの』

 「いいんだ。俺がいうのもなんだけどちょっとは自分の身心配しろよ」

 『私が心配してるのは…本当に3着も選んでいいのかってことだよ……』

 「そこかよ。いや大丈夫だろさすがに。本当は5着買うつもりで金持ってきたんだけど、想定よりみんな高いからな…。寧ろ減らして申し訳ないというか」

 『いや…十分…十分すぎる…。……ち、ちなみに、1着の定義は……?』

 「トップス+ボトムスに加えてあるならアウター。なおアクセ類は着数に含まれないものとする」

 『その…私がいうのもなんだけど……その、好き……』

 「語彙力ないなったんか?」

 『うあー』


 そら見てこいとばかりに彼女の頭をぐりぐりと撫で、俺はドレスコーナーから踵を返し、ドール用の周辺物を纏めたゾーンへと足を運んだ。

 そして ()()()()()()()()()()、俺は人形の各パーツを取り扱っているゾーンへと向かった。


 「見つけた」


 俺の目線の先にあったのは―――、グラスアイ。

 色付きガラスで作られた、精巧な球体関節人形用眼球である。

 …最初の頃は人形のことをボコスカ殴っていて、なんならそのせいで彼女の眼球は無惨に砕け散ったわけだが、彼女の本音を聞いた時、いやそれよりちょっと前ぐらいから、俺は彼女に対して所在の見えない罪悪感を抱いていた。

 所在が見えないというのはつまり、本来であればこの罪悪感は抱く必要のないものであるということだ。

 そもそも俺の暴力は彼女の恐怖喚起に対する報復措置であり、そこに罪悪感の介在する余地は無いはずである。ましてや俺は彼女に封印していたトラウマの記憶を呼び起こされたのだ。俺は根に持つタイプだというのに、すんなり彼女を赦し、あまつさえ罪悪感を抱くのは本来ありえないことであった。だというのに、俺は確かに、彼女の目を割ったことを後悔していた。


 彼女の愛嬌を見て恨みを忘れたとか。

 やりたくないことなんだったら仕方ないとか。

 この家で休んでいけよとか。


 どうして俺は、彼女にそんな言葉をかけようと思ったのか―――、


 「ねえ」

 「―――あ、すみません」


 グラスアイのコーナー前でぼんやりと考え事をしていた俺の後ろから、ハスキーな女の声が聞こえた。

 自分の身体が邪魔になっていることに気付き、即座に身体を翻した。


 「――――」


 振り向いた先には、1/1サイズの人形がいた。いや、人形みたいな格好をした女が立っていた。

 最初に目についたのは彼女の服装。ワインレッドの布を下地に、黒の大きなフリルがスカートと袖口についた、ゴシックロリータのようなドレスを着用している。

 その次に彼女の顔に目が行った。あまり人の顔をジロジロ眺めるような趣味は無かったのだが、流石に()()()()()()()()()には視線が吸い寄せられていた。そのまま左目に視線を向けると、紅に染まった瞳がこちらの目を覗き込んでいた。カラーコンタクトか、なんて感慨を俺が抱く前に、


 「私の顔、何かついてるの?」

 「――いえ、すみません」


 女に話しかけられた。


 「すみません、ちょっと考え事してて」

 「いいよ別に。人目を引く自覚してるし」


 俺が彼女の顔を見ていたのはどうやらお見通しだったらしい。

 ハハ、と苦笑いを浮かべながらコーナーから身体をどけ、彼女に譲る。


 「どうぞ。ずっと邪魔しちゃってすみませんでした」

 「謝ってばかりだね君。いいよそのまま見てても。私別にそこに用とかないから。―――私のお店にようこそ、お客様」

 

 は?なんて思って初めて、彼女の首元に店長を示す名札がかかっているのを見つけた。


 「ああ、これ。倉良場(くららば)って読むんだ。珍しいよね。全国で何世帯あるかないかぐらいらしいから、読めなくても無理ないよ」

 

 別に倉良場じゃなくても読めないしなんなら田中であっても人より時間をかけないと読めないのだが、そんなことを初対面の人に話すつもりはなかった。

 

 「ここの店長さんだったんですね。その、てっきり」

 「まあこんなカッコしてるからね。店長にはあんまり見えないって言われるよ」


 そう言って彼女、倉良場さんは、カチューシャのついたツインテールを揺らしながら皮肉げに笑った。


 「ここ初めて?」

 「え、ええ、まあ。家から近かったんで」

 「だよね。ここ常連さんしか来ないから、そういうのわかるんだ。今日は何しに来たの?」


 店長の癖に馴れ馴れしい人だな、という態度は間違っても表には出さなかった。


 「眼を、見てました。どれにしようかなって」

 「あぁ眼ね。初めての人だったから、これからお迎えしようとしてたのかなって思っちゃった。もう大事な子がいるんだね」

 「そう、ですね」


 呪いの人形だけど。あと別に大事ではないし


 「ただその…俺の不手際で眼を割っちゃって。代わりのいいやつ買おうかなって探してたんです。オススメとかあります?」

 「ないよ」

 「ないんだ」

 「そう。そういうのは自分で探した方がいいね。その方がドールも喜んでくれる。別に私が選んでもいいけど、それで君の子は喜んでくれないよ」

 「…別に喜ばせるつもりで買おうとしてるわけでは…」


 俺の言葉に、倉良場さんは紅の瞳を丸くして「へえ」と言った。


 「結構ドライ寄りなんだね君」

 「…というと?」

 「ここに来る人、大体ドールを自分の子供みたいに大事にしてる人多いから。私がオススメしてもみんなあんまりそれに頼らないんだよ。こだわりがあるのはいいと思うんだけど、店長としては品がハケなくて困っちゃうね」


 肩をすくめて彼女は笑う。


 「その点君はそういう人達と比べるとドライだ。いやけなしてるんじゃないよ?そういう見方をするオーナーだっていっぱいいるからね」


 倉良場店長の言っていることはわからないでもなかった。

 ドールを心から愛するようになると、それを自分の欲求を満たす玩具としてではなく、自分の息子や娘のように扱うようになる人もいる、ということなのだろう。

 俺は別にそれを悪いことだとは思わない。自分の子どものように扱うのなら、それはつまりドールを大事に扱っているということ…のはずだ。死んだ俺の母さんのように。

 ただ、俺と人形は別にそんな関係ではない。俺があの人形を娘のように思ったことはないし、第一俺は特定の誰かと懇ろになったことなどない。俺があの人形を娘のように扱っていると思われるのは心外なことだ。

 それに、彼女は綺麗な人形だ。審美眼が定かでない俺が彼女に手を加えるべきではない。それよりも、プロが選んだグラスアイの方がきっと彼女のことをより美しくしてくれるはずに違いない。俺はそう確信していた。


 「…まあ、そう人もいるんだと思いますけど。俺はそういうのじゃないので。ただ、眼を割っちゃって悪いなって思ったから買いにきたんです」

 「…そう。だったらオススメ、させてもらおうかな」

 

 倉良場さんは、そう言ってラックにかけられたグラスアイにあれこれと手をかけ始めた。


 「お人形ちゃんの写真は?」

 「ないですね」

 「あら珍し。大体みんなパシャパシャ撮りまくってるのに。じゃあ希望とかは?そういうのもおまかせ?」

 「いや、それは決めてます。赤色のやつとかないですか?アイツ元々そんな感じだったし、赤がやたら似合ってるし」

 「ふーん、いいよ。赤ね。その子はカワイイ感じの子?それとも綺麗めな子?」

 「ギリシャ彫刻みたいにクッソ綺麗なヤツです。でもたまに可愛い所もあります」

 「…そう」


 しばらく雑多なグラスアイを手に取っていた店長は、やがてこちらの方を振り返り、一対のグラスアイを俺に見せた。


 「はいこれ。明るめの赤の虹彩に黒の瞳孔。ギリシャ彫刻みたいって言ってたんだからカミサマみたいに綺麗なんでしょその子。これだったら落ち着いた雰囲気もあるし、明るめだから可愛げもある、と思う。実物見てないからわからないけどね」

 「あ、ありがとうございま――」

 「でも今はあげません」

 「――は?」


 グラスアイを受け取ろうとした俺の手をさっとかわし、彼女はそれをラックにかけ直した。


 「…えっと、どういう意味ですか?」

 「さっきも言ったでしょ。自分が選んだ方がいいって」

 「さっきも聞きましたけど、俺は別にそういう人形を喜ばせたりとかでは」

 「わかってるよ。でも君、さっきから聞いてるとなんだかんだ自分の子のこと大事に思ってるでしょ」

 「絶対ないです。あいつのことなんか―――」

 「それ。君、『あいつ』なんて言って、ドールのことまるで1人の人間みたいに扱ってる。本当に思い入れないなら普通言わないよ?人形の眼を割っただけで罪悪感とか。後やたらその子のことベタ褒めするし」


 そんなことはない、とは言い切れなかった。

 確かに俺は彼女の眼を割ったことに罪悪感を覚えていて、だからグラスアイを買おうとしていた。 

 でも、ただ申し訳ないと思っているのなら、さっさと雑に見繕ったグラスアイをレジに持って行けばよかったのだ。

 それなのに、俺は倉良場さんにしっかりと見繕ってもらうことを頼んだ。そんなことを選択したのは、彼女にとって1番良いものをあげたいと思ったからだ。


 ああ、それはきっと。その思いはきっと。

 罪悪感だけでは、ないのかもしれない。


 「…わかりました。自分で選びます」

 「うん。あ、でも本当にそれでいいと思うんなら、私が選んだやつを選べばいいよ。それが君の子にとって良いならそれが1番だからね」


 お連れさんにもよろしくねなんて言いながらスカートを優雅に翻し、彼女はバックヤードの方向へと引っ込んでいった。

 どうやら俺が人形に話しかけた言葉は所々聞かれていたらしい。少しだけ冷や汗が出たが、彼女は訝しんでいる様子もなさそうだったので、あまり深く考えないことにした。


 『はるとくーん』


 ちょうどタイミングよく人形が俺を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやらドレスの選出が終わったのだろう。

 倉良場さんによって無理矢理自分の感情に気付かされた以上、どんな顔をして人形の前に面を出せばいいのかわからなかったが、致し方ない。

 俺は少し考えた上で、やっぱりこれが彼女に1番似合うと、1番綺麗だと思ったグラスアイを手に取った。


 「今行く」

 

 不本意ながらも大事な人形の元へと。









 「えー、グラスアイ一点、ドレスが三点で合計が2万9000円と…」

 「あ、すみません。このドール用トランクケースもいいですか?あ、ちょっとすみません中身見ても?あー柔らかいから多分居心地的には十分かなぁ」

 「ねぇやっぱりさぁ君自分の子大好きだろ」




本当はドールショップとかいって実際に商品周り見ようとしたんだけど出来なかったよ。

だからドール関連の話は僕がネットで仕入れた付け焼き刃の情報なんだ...。本場のクラスタの方がいたらごめんね...。石投げないでね...。許してね...。


後、倉良場さんという苗字の人はこの世の中にどこにもいません(blue調べ)。

でもこの前夢の中で小説書いてたらこんな苗字の人がいたから採用したよ。

ちなみに倉良さんはいるらしいけどね!!

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