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俺が人形に初めて恨まれた日

 雀の鳴く声で起床する。

 時刻は6時50分。夜型の俺にしては早い目覚めであるが、俺の身体は久しく感じたことのない爽快感に満ちていた。

 ここ数週間は、余命宣告を受けてから一番精神的に苦しみを感じた期間であった。親父の死に始まり、義母との関係に悩みながら嘘をつき、人形の()()に遭い続けた。多くは俺が撒いた種とはいえ、そのまま俺の業だからと死ぬまで苦しみ続けてやるほどの胆力は無かった。

 しかし、俺の胸に去来していた苦しみは、不思議なほどすっかり霧散していた。理由について確証を持つことはできないが、昨晩の夢の内容が、俺に得も言われない充実感を与え、俺の中の鬱屈した感情を吹き飛ばしたからではないかと考えられる。


 『余命3ヶ月に3ヶ月で死ぬ呪いをかけるなクソ人形――――!!!!』


 『キャアアアアアァァァアアアアアァァァ――――!!??!?!?』


 昨晩見た夢の内容は事細かに覚えている、普通であれば夢の内容を覚えているということは熟睡できていないということなのだろうが、そのような事は俺の胸にある爽快感の前では些事である。

 しかし本当に楽しい夢だった。自分が上だと信じて疑わずに俺を嘲笑ってくる化け物を拳一発で調伏したのだ。これが爽快(ざまぁみろ)と言わずしてなんという。俺に自衛の方法を教えてくれた昔の栞には不本意ながら感謝するしかない。

 また直感的にではあるが、もうあの幻覚を見ることはないだろうと思った。あの人形は俺が精神的に追い詰められて生み出した想像の産物である。まさしくその想像の産物を想像の世界で打ち破ったのであるから、もうあのように俺を悩ませる幻覚は起こらないだろうと思った。

 

 ただ一つだけ残念だったのは。


 「綺麗だったのにな」

 初めてダンボールの中にあった人形に触れた幻覚を見た時の顔を思い出す。

 ギリシャ彫刻のような整った顔、小さい唇、キラキラとしていた朱色の目、長い黒髪、眩い朱色と名も知らない紫の花の着物。

 幻覚の割によくもまあ精巧に覚えているものだと思うが、とにかくあの人形は優美で妖しく、美しかったと認めざるを得ない。つまるところデザインは本当に俺の好みだった。

 あの人形に脅かされる幻覚は死んでもごめんだしこれでいいとは思っているが、死ぬ間際の道楽としてドールに手を出してもいいかもしれないと思うぐらいにはあの人形は美しかった。


 そういえばあのクソ人形の幻覚のせいで俺は生活ゴミを出せていない。いつもなら深夜にゴミを出して朝はゆっくり眠るというスタイルを取っていたが、昨日はそんな余裕が無かった。その上本日は生活ゴミの収集日。早くゴミを出しにいかなければいけない。

 俺は慌ただしく起き上がり最低限の身支度をしてからゴミ袋を持ち上げた。 


 玄関に向かう途上寝起き特有の激しい喉の渇きが起こり、キッチンの方へと寄り道。コップを片手にシンクの蛇口に手をかけた。


 「――――おいおい」


 そこで見た。


 流し台トラップ蓋に頭から引っかかるようにして崩れ落ちている()()()()と散乱しているガラス片を。

 思わず顔が引き攣る。

 なんでこの人形がここにいるのかとか、じゃああれとかこれとかそれとか全部幻覚どころか現実だったのとか本当に俺こいつを殴り倒したのとか突っ込みを入れたい箇所は山ほどあったのだが、今の俺にはどうしても時間が足りなかった。

 そのため、俺は最も短絡的な手段に訴えることにした。



 「……出すか。燃えるゴミ」



 ぐったりしている人形は俺に首根っこを掴まれ、大容量2Lゴミ袋の口の中へと吸い込まれていった。








 「ただいまー」

 靴を脱いで上がり框に足をかける。

 あの後、諸悪の根源を排除し一時的な現実逃避に至った俺は、更なる現実逃避を求め(帰宅すればクソ人形のグラスアイの掃除が待っている)、近所のファーストフード店で朝食を摂っていた。ファーストの割にたっぷり3時間スロウに入り浸った俺は、何とか気持ちの整理(クソ人形の実在)をつけ帰宅をした所であった。

 ちなみに一人暮らしをしているのにも関わらず「ただいま」などと妄言を吐くのは、一重に亡き親父の「挨拶はどんな時でもきちんとしなさい」という薫陶の賜物である。


 それ故に「ただいま」という言葉に対しての返答は一切期待していない。

 そのため。


 『オ カ エ リ ナ サ イ』


 という返答が飛んでくるのは俺にとって全くの想定外である。


 目の前には、本日ゴミ袋に放り投げたはずのクソ人形が廊下の真ん前に鎮座していた。

 外見は以前俺が見た通りであるが、唯一変わった点として、左目のグラスアイが粉々に砕け散ったことで両目の眼窩に空洞ができ、見てくれが相当気色悪くなった点が挙げられる。

 人形は以前の人を嘲るような声色ではなく、はっきりとした怒気を纏い上記の言葉を発してきた。


 「お前は今日ゴミ収集車にプレスされて消滅したと思ってたんだが」

 『……私ガソンナコトデ消エルトデモ思ッテイルノ?』

 「まあ、ぶっちゃけ無理かなとは思ってた」

 『デショ』


 人形は流暢に唇を動かして俺の言葉に反応する。全く仕組みがわからない。


 『ソレヨリッ!! ヨクモ私ヲ殴ッテクレタワネェェ!?!? 絶対ニ許サナイ!!!!』

 「知るかんなもん。俺に嫌がらせしてくるお前が悪いんだ。……つかお前誰だよ。っていうか何?」

 『――――ヨク聞イテクレタワネ。本当ハ残リ三ヶ月ノ間ニユックリ教エテアゲヨウト思ッタノダケド、マアイイワ』


 問いただすまでもなく教えてくれるつもりだったらしい。親切。


 『……私ハ人ヘノ恨ミガ形ヲ取ッタモノ。私ニ魅入ラレタ人間ハ近イ内ニ必ズ死ヲ遂ゲルノ。()()()()()二ヶ月。アナタハ三ヶ月、トイウワケヨ』

 「……この前のは? お前、こんなこと何回もやってるわけ?」

 『ソレガ私ノ存在意義ダカラ』

 「なら親父もお前が殺ったのか? 俺の前に呪われた奴のことだ」

 『忌々シクモ私ヲ箱ノ中ニ閉ジ込メタアノ男ノコトカシラ。ソウヨ。私ガ呪ッタカラ、死ンダノ』

 「……」


 俺はクソ人形が人間に呪いを振りまくとか抜かしていた辺りから嫌な予感を感じていた。なぜなら、この人形を見つけたのは親父の書斎だ。ましてや、俺の前にも誰かを呪ったというのなら親父かその周囲の人間しかいない。そう思い親父から探りを入れてみたが、やはり俺の感じた予感は的中してしまった。

 一瞬ではあるが、親父の死因が目の前のクソ人形であることを知り、眉間に皺が寄った。人形はその様子を目敏く見つけ、声色に嘲りを混じらせた。


 『アラァ? 父親ガ殺サレテ何ヲ思ッタノカシラァ? 怖イ? 憎イ?』


 俺が答えないのをいいことに、人形はさらに暗い喜色を湛えながら自分を誇示する言葉を重ねる。


 『当然ヨネェ、私ニハソレダケノ力ガアルノ。所詮アナタハタダノ人間。死ヲ恐レル哀レデ儚イ生キ物。アナタニデキルノハ、私ニ怯エナガラ残リノ三ヶ月ヲ生キテイク事ダケ!! クフッ、クフフフフフハハハハハハハハッ――――!!!!』


 「うるせえ」


 『ハハハハハハハハ――――、ハヘ?』


 勝ち誇ったように呵呵大笑するクソ人形は俺の左手によってあっけなく頭をホールドされ、俺の顔の近くまで持ち上げられた。


 『チョ、チョット、オ、下ロシナサイ、下ロシテ、ヤダチョットコレ高イ、ヤメテ』

 「止めねえ。随分と好き勝手いいやがってくれたからなァ、目と目突き合わせてきっちりお前に釈明してやる」

 『ナ、ナニヲ、テカ私目玉ナイシ――――、』

 「まず一つ目ェ!!」

 『ヒャァン!!??』


 人形を地面に叩きつけない程度に上下に振る。


 「親父が殺されて憎いかって聞いたな。答えは『どちらかといえばそう思わない』だ。親父とは色々あって文字通り死ぬほどギクシャクしてたからな、母さんが死んでからほとんどまともな会話なんてしてねえ!! ――ゆえに!! 親父が死んでもぶっちゃけ遠い親戚が亡くなったぐらいの悲しさしかねえ!!だからそのことでお前を憎んでるとかぶっちゃけそこまでねぇわ!!」

 『イヤ明ラカニ怒ッテ――』

 「次に二つ目ェ!!」

 『ヒャァン!!?? マタァ!!??』


 「現時点ではお前のことなんてまっっったく怖くねえわ!!!! 昨日お前をぶん殴った時から恐怖とか吹っ飛んだし偶に可愛い反応するからなァ!!!!」

 『ハ、ハァァァァ!?!? 人間ゴトキガ舐メタ口叩カナイデヨ!! ソ、ソノ気ニナッタラアナタナンテ私ノ力デ簡単ニ組ミフセテ――――」

 「いいや無理だね!! 事実!! お前はさっきから全く身体が動いていない!!」

 『!!!!』

 「俺はお前の駆動原理は知らんが、どうやら自由に身体を動かすのには制約があるみたいだなァ!? もし自由に動くんなら俺が家に帰ってきた時点で掴みかかって目玉なりなんなり抉りだしゃぁいい!! それをわざわざ棒立ちで話しかけてくるんだ、動けないって言ってるようなもんだぜ!!!!」

 『クッ、ナ、ナラ呪イ、ソウ、呪イヨ!! 私ノ機嫌ヲ損ネテミナサイ!! ソノ瞬間アナタの寿命ヲ終ワラセテアゲルワ!! 分カッタナラ早ク下ロシテ――――、』

 

 振り回した人形を、俺の吐息が当たる程の距離まで近づける。

 俺の意思をはっきりと見せつけるように。

 

 「()()()()()()

 『ハ――――?』

 「今すぐ殺してみろよ。――――出来ないよな、やれたらとっくにやってるはずだろ? 身体を自由に動かせないのと同じ理屈だよ」

 『違ウ!! 根本的ニ違ウワ!! 私ニ襲ワレルノト息ノ根を止メラレルノトデハ絶対的ニ話ガ違ウ!! 私ガソノ気ニナレバアナタを呪イ殺セルト聞イテドウシテソンナニ平静デイラレルトイウノ!?!?』


 別に平静でいるわけではない。

 ただ意思を見せているだけだ。確固たる、俺の意思を。


 「それが三つ目の釈明だよ。クソ人形。――――俺は、死ぬのなんて怖くない」


 グラスアイの無くなった空洞を見据え、告げる。

 俺は、死ぬのなんて怖くない。だって。


 「俺に大切な人はいない。今だって幸せなんかじゃないから」


 死ぬのが怖いのは大切な人がいるからだ。今が幸せだからだ。

 死ぬのが怖いなんて俺は絶対に認めない。

 だって認めれば、大切な人がいることになるから。こんな今で良かったとおもうことになるから。

 今でも栞が大切な人になってしまうから。

 俺は栞を大切な人にしてはいけないから。

 だから。

 だから、俺は。


 「俺は、死ぬのなんて絶対に怖くない」

 『ヒッ――――』


 俺の言葉に、クソ人形は気圧されたかのように顔を一瞬歪めた。

 が、人形はすぐにそれを取り繕い、俺に憎まれ口を叩いた。


 『ソ、ソンナ言葉ガイツマデ続クノカトテモ楽シミダワ。コ、コレカラ死ヲ迎エルマデ覚悟シテオクコトネ。私ハイツダッテアナタノ前ニ現レルコトガデキルノダカラ』

 「――そりゃあ死ぬまで面白い日々になりそうだ、なっとォ!!」

 『ヒャン!?!?』


 頭を掴んでいた左手を離す。

 怪異といえど重力には逆らえず、クソ人形は地面に向かって自由落下を始める。

 しかし、俺はそれを許さない。


 クソ人形の顔面が軌道上に入った瞬間、既に準備していた右拳を勢いよく前に突き出す。


 「それはそうとこれは親父の分と栞を泣かせた分だオラァァァァ!!!!!!」


 『キャアアアアアァァァアアアアアァァァヤッパリ根ニ持ッテルジャナァァァァァイイイィィィイイィィィィ!?!?!?!?』


 俺の右ストレートが左頬に直撃し、クソ人形は綺麗な放物線を描きながら廊下の奥に向かって吹っ飛んでいった。


 3月5日午前11時12分。

 

 俺は再び勝利をこの手に掴んだ。


『チョ、チョット、オ、下ロシナサイ、下ロシテ、ヤダチョットコレ高イ、ヤメテ』って所を書いてる時が楽しかった

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