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俺が人形をKOした日

2022/2/3追記、思う所あってダンボール及び人形のサイズを変更しています。本編に言うほど影響はありません。

 「もって一年かと」

 なんて白衣を着たおっさんが神妙な顔でつぶやいた。発見が遅れて外科手術や薬では治せない段階にあるらしかった。俺だって当初は診断結果を聞いて酷く取り乱したものだが、それは大体一週間程で収まった。

 考えてみれば死にたくないという感情なぞ「大切な人」とか「今の幸せ」とかいうものから急に引き離されるから起こるものだ。残念ながら俺にそれはなかった。最初慄いたのも「死」がよくわからん未知のものだったからで、このまま生きていても特にいいことないだろうなと悟った時に死の恐怖はあんまりなくなった。それが大体一週間後だった。

 で、精神的に立ち直った俺は、義母の反対を無理やり押し切って県外のアパートに帰った。親父も義母も俺は嫌いだ。あいつらの顔見るだけで寿命が縮む。ただでさえ22年しか生きてないのに余命一年と来たものだ。実家には帰らず有意義に時間を使いたい。

 一人になった俺はこれからの人生をどう終えるか考えるようになった。勉強のせいでこれといってしたいこともできなかった人生だった。『最高の人生の見つけ方』の富豪ほどの金はないにしろ、今まで使わずに貯めてきたバイト代と使うはずだった学費を合わせればそれなりの額が手元にある。俺は残された一年を好きに生きることに決めた。


 で、大体8ヶ月たった。途中で容体が悪化して入院するかなと思っていたのだが、腫瘍の部位が良かったのか、そこまで俺の容体は悪化していなかった。健康だった時より若干息切れするぐらいだった。だから好き放題していた。


 イギリスに行った。スピリタスを飲んだ。三ツ星レストランに行った。服屋でマネキンが着てたやつを全部買った。桐箱に入ってる苺を食べた。かわいい女の子が駅で困ってたから一万円あげた。後映画でやってたからスカイダイビングもした。


 俺がやりたかったことはそれぐらいだった。それ以外特にやりたいことが思いつかず、俺は自分の薄っぺらさに少し嫌気がさした。ただ、どうせラスト一か月ぐらいになったらベッドで寝た切りなのかもしれないから、これぐらいで切り上げるのもちょうどよかろうとも思った。


 ところで、人生とは往々にして予期せぬライフイベントが起こるものだ。なので予定なんてものはぎちぎちに詰めず、どこかに余白を作っておくべきだ。昔から要領の悪かった俺が編み出したモットーは、人生の最期あたりになって活きることになった。


 栃木のスカイダイビングを終え、俺がアパートに帰ってきて三日後、義母から親父が亡くなったという連絡を受けた。





 親父の死に顔は無表情だった。俺が実家に帰ってくる前に葬儀屋が恐らくあれこれといじったのだから当然だった。

 死因は? と尋ねると「わからない……」と涙ながらに義母は口を開いた。


「確かに最近は毎晩うなされていたから、精神的に疲れていたんだと思うの……。でも、だからってこんなにあっさり……。昨日までちゃんと普通に話もしていたのに……っ!!」


 俺は医学上の死因を聞きたかったのだが、義母は「なぜ親父が死ななければならなかったのか」わからないのだと答えた。いつもと同じだ。義母は親父を心の底から愛していて、愛しすぎて、俺の話をちゃんと聞きはしない。

 嘆息を一つして、慌ただしく動き回っている近所の親戚に死因を尋ねた。急性の心臓発作らしかった。


 親父の死に顔を見ても涙が出なかった。小学生の頃に母さんが死んでから男手ひとつで俺を育ててくれたはずなのに、俺はとても薄情だった。思わず言葉が募った。


「正しい人間にはなれなかったよ、親父」


 良き人になれ、正しくあれと常日頃から親父に言われ育った。私立中学校の教師だった親父はそれはもう正しい人だった。正しかったから周りから慕われるし、味方も多いし、自分の行いに自信を持っていた。


 だから嫌いになった。


 通夜は今夜だ。どうせ喪主は義母だ。今はずっと泣いているが、愛した夫を送るために彼女はかならず役目を果たそうとするだろう。俺は心のこもっていない慰めの言葉を義母にかけ、親父の縁者に葬儀の日取りの連絡を行った。


 これといって特筆することなく葬儀は終わり、親父は荼毘に付された。骨壷はすでに墓の下へと潜り、俺はというと義母と共に親父の書斎で遺品の整理をしている。無理に今やることはないと思ったが、義母は夫を亡くした悲しみを何かに没頭することで忘れたいようだった。彼女は病床の身なのだから無理をしなくてもいいと俺に言ったが、別に今の所若干体力が落ちたぐらいで急激に体調が悪化したことは一度もない。それにもうやりたいこともなかったので最低限家族としての義務を果たすことにした。

 俺と義母の間に言葉は無かった。いつもは煩わしいまでに俺に話しかけてくるから、親父のことで憔悴している義母の精神状態は俺にとって都合が良かった。

 古めかしい木製棚の引き出しを開ける。そこには親父の現生徒、元生徒から届けられた多くの手紙が入っていた。


「……わ、懐かしい」


 作業の手が止まった俺を訝しんだのか、義母は俺の右肩の方からひょこっと顔を出した。


「慕われてたんだな、やっぱり」

「うん。ハル君が下宿してからも毎年生徒さんから年賀状とか届いてたよ。そのたんびに忠彦さん嬉しそうにしててね」

「そうなんだ。全く知らなかった」

「……仕方ないよ。忠彦さん、そんな話ハル君にしてなかったもん。……あ、吉田君からの手紙だ。覚えてる? ハル君と同じクラスの子だったんだけど、忠彦さんに懐いてたみたいで今までずっと年賀状送ってくれてたの。でも数ヶ月前にお母さんが亡くなられてね。忠彦さん、お通夜にも告別式にも出席して――」


 それ以降の義母の言葉に耳を傾けるのをやめた。今彼女の口から流れるのは親父を讃える言葉だけだ。俺にとっては毒にしかならない。

 義母の話を聞いているふりをしながら棚から目を逸らし、側にあったダンボールに手をかける。ダンボールは雑多なものが積みあがって、いくつもの塔を形成していた。義母の今の身体では身に余るだろう。俺が整理するしかない。もうすぐ死ぬけど。

 中身を崩さないよう慎重にダンボールを下ろしていく。最初に掴んだダンボールの中からは、几帳面な親父を象徴するかのように整然と並んだ教科書や指導書の類が中から顔を覗かせていた。エロ本の一つでもあれば良かったのに、つまらん。二つ目も似たようなものだった。

 こいつら全部リサイクル行きだな、などと考えながら手際よく書籍をビニール紐で縛り上げていった。最初は親父の遺品に幾許かの期待を持っていたのだが、もう後半になると何の期待もしていなかった。いい加減書籍を縛り上げる作業も退屈だった。

 ふと義母の方を見ると未だに手紙を見返している。まあ思い出に浸るぐらい好きにさせてやるかと思い、俺は作業を再開した。どうせ次のダンボールの中身も教育関連の書物なのだろうと考えながら。


「――、なん……」


 思わず息をのんだ。

 そのダンボールは他のものと比べてとても大きかった。縦は約60cm台、横は40cm台ほどある160サイズのダンボールだ。そしてそこのダンボールには、白地に読めない漢字がつらつらと書かれた大量のお札が所狭しと貼られていた。


(親父の悪ふざけか!? こんな薄気味悪いの見たことねえ……)


 生前親父にオカルト趣味があるなんて聞いたことが無かった。俺の知っている親父は趣味らしい趣味もない仕事人間だったはずだ。今日書斎の整理をしていても教育関係の書籍や筆記用具ぐらいしか出てこなかったぐらいである。それだけに、何枚も何枚も執拗に貼りつけられている奇妙なお札の存在がどうにもミスマッチだった。

 その上気味悪さに拍車をかけるのが、執拗なまでにフラップ部分(天底問わず)にお札が貼られていること。


 まるで、絶対に中身を外に出さないようにしているみたいじゃないか。


「……」


 頭を振る。

 親父はかなりの堅物だった。オカルトとは対極の立場にいた人間だ。そんな親父が曰く付きの物品なんて蒐集しているはずがないし、仮に親父がオカルト趣味だったとして、俺は無神論者なのでそういったオカルトを一切信用していない。ゆえに特に曰く付きの危険物じゃないはずだから中身がなんであろうと俺が開封を躊躇う道理はない。

 そもそも俺は遺品整理をしているのだから、中身を検めるのは俺に課せられた義務なのである。

 というのは建前で実際はあの完璧公正人間の親父がなぜこのようなオカルトめいた(物が入ってそうな)物を所持していたのか非常に気になる、というのが本音である。死を目前に控えている俺は娯楽に飢えていた。


「栞さんちょっとハサミとってきて」

「………うん。すぐにとってくるね」


 後顧の憂いは断った。これで仮に万が一恐らく何かの間違いでお化けみたいのが中に入っていても義母は巻き込まずに済むだろう。いや巻き込むかもしれないわからない。それでも確率は減っただろう。巻き込まれたら知らない。どうせ嫌いなんだから巻き込まれてもいいか。


 死を間近に控えた人間特有の投げやりな感情を原動力とし、俺はお札に書かれてある漢字を特に読まずに破り捨て、フラップを勢いよく開けた。


「……うーわそれっぽ」


 目を覆うまでに伸びた黒の髪。

 模様のついた赤い着物。 

 着物から見え隠れする陶器のような白い肌。

 何故か額に貼られた顔を覆うほどのサイズの黒いお札。


 謎の人形が幾重にも重なった白い布の中心にでんと横たわっていた。


「こんなでかいの見たことないな……」


 謎のデザインである顔貼りお札はさておいて、まず俺の興味を引いたのは人形のサイズである。

 人形は大よそ50cm台後半。その存在感は他と比べるべくもない。50cm台で新生児ほどにもなるのだ。とても人形であるとは片づけられないサイズ感である。

 

 改めて人形を観察してみた。首から足首までを覆う着物は鮮血のような眩い朱色を下地に、紫色の花と白の鞠が描かれている。胴部には金色で縁取られた無地の黒い帯が巻かれており、質素な柄でありながら着物と相まって上品なイメージを俺に抱かせた。

 高そうな着物だ、などと考えたからだろう。無意識に俺はダンボールの縁に手をかけ先程より慎重に人形の顔を覗き込んだ。


「……片目が無いのがちょっと怖いけど……思ったより市松人形じゃねえな……」


 黒地にミミズのように描かれた赤文字の入ったお札を捲り上げて人形のご尊顔を拝見する。当初はあまりの精巧な着物の出来を見て勝手に市松人形ではないのかと疑ったのだが、顔つきがどう見ても市松人形のそれではない。市松人形といえば石膏だかなんだかで作った頭部に彫刻刀を入れて顔を描き、筆で彩色することで顔を作るものだ。というのにこの人形の顔の作りはまるで球体関節人形だ。目の部分はくり抜かれており、右目は空洞のままになっているが、左目には着物と同じ朱色のグラスアイが埋め込まれている。

 改めて顔全体を見ると彫の深さが目に入る。まるでギリシャ彫刻の女神様のように整った顔をしており、恐らく顔に正中線を引いてやればシンメトリーになるだろう。少なくとも西洋よりの顔で日本人のそれではない。眼球は片方しかないものの両目の際からはまつ毛が伸びている。目尻は横に長く伸びており妖艶な雰囲気を醸し出している。鼻梁はすらっと伸びており、鼻翼は小さい。上唇と下唇はどちらも薄いが、血色のよいピンク色をしており、まるで生きていると錯覚するようだった。

 こんなに西洋人のような顔つきをしている割に髪は黒のストレートだ。前髪は寸分の狂いなく切りそろえられており、この黒いお札で顔を覆えば本当に市松人形と錯覚してしまう。


 一通り人形の顔を眺めた俺は人形から目をそらし一人頭を捻る。これが親父の私物だったとしたら相当尖ってる。義母はこれを飾るだろうか。寝かせておくだろうか。処分しようとするだろうか。彼女は怖いものが苦手だったから、いくら親父の所有物だったとはいえ手元に置いときたがらないだろう。

 かといってこんなガッツリした人形をそのままビニール袋にいれてゴミの日に出すのはなんだか気が引ける。神社で供養してもらうのが順当かもしれない。


「ハァ……。めんどくせえな……」


 なんて呟きながら人形に視線を戻した時だった。
















『     ネ         エ     』









『   ワタシノ      コト    』








『   ミエテル   ヨネ    ?  』









 人形が首を傾けてまっすぐに()()()()()()()()()()


 朱色のグラスアイが怪しい光をギラギラと瞬かせながら俺を捉えた。


 「ッだよこれェ!!!??」


 驚いてダンボールから身を離れさせようとするが、左手が全く動かない。


 人形がフラップにかけていた俺の左の手首を白く細長い指で()()()()()()()()()()

 人形ごときの小さい腕の癖に、万力のようなとても強い力だ。


 いつのまにか人形の顔を覆う札はどこかに消失していたが、この時の俺はそんな些末事を考えている余裕は無かった。

 その間にも石膏で出来ているはずの人形の口は、さも人間であるかのように滑らかに動き出した。


『ニ ガ サ ナ イ 』


「ッ!! 離れろッ!!」


 渾身の力で左手を跳ね上げようとするも人形はビクともしていない。


『ネエ ドコ ワタシノ ミギメ?』


『カエシテ ネエ カエシテ』


 グンと左手が引っ張られ、俺の身体は大きく真正面に傾く。

 ちょうどその先には横たわっている人形の身体である。

 そのままダンボールの中に入った俺の顔をめがけて人形のもう一方の手が迫ってきた。

 反射的にその手を掴むもジリジリと白い手は俺の顔の方に迫ってくる。



 右目を抉り出す気だ。



 背筋に冷や汗が走る。

 こんな所で右目を抉り出されるわけにはいかない。

 あも三ヶ月とちょっとでお陀仏だからって一足早く右目を抜かれて集中治療室は勘弁だ。

 痛いのはあまり好きじゃない。

 なんなら目を抜かれてはショック死するかもしれない。

 

 俺はこんな所で死ぬわけには――――、


 死ぬわけには?


 別にここで生き延びてもやることとか、大切な人とか、今の幸せなんてないのではなかったのか?


 そうだ。特にない。どうせすぐ死ぬ。


 そうか。


 別にここで死んでもいいのか。


 抵抗の手を緩めた。

 痛いのは嫌だが、ここで死ぬのならそれでいいのかもしれないと思った。義母には申し訳ないが。


 『 エ      ?    』


 人形が声を出したが、今の俺にそのことはどうでもいい。

 白い手を間近に迎え人体の反射機能が瞼を閉じて最後の抵抗をする。

 彼女の手はその抵抗をあざ笑いながら俺の目を抉り出すだろう。

 

 全てを受け入れようとしたその時。



 「ハルくーん。ハサミとってきたよー」



 こんな時に聞きたくない声が聞こえた。


「来んな栞ィ!!」

 瞬間、弾かれたように後ろを向いて叫んだ。

 俺はともかく義母にはまだこれからの人生がある。さっきはなんだかんだと言ったが、やはり彼女を危険に晒すわけにはいかない。嫌いな女とはいえもう十年以上の付き合いがあるのだ。情も湧く。


「え、どうしたの!?」

「ッ、だからこっち来んなって言ってるだろ!!」

 

 そんな俺の思惑を全く考慮せずに彼女は小走りでこちらに近寄ってきた。

 義母が俺の心中を全く察することができないのはいつものことだ。

 歯噛みしながら、せめて人形を遠くへ放り投げ義母と共に部屋から脱出することを試みる。



「離れろクソ人ぎょ…………って、あ?」


 

 視線を戻した時にはすでに、人形は忽然と姿を消していた。








「あれは一体なんだったんだ……」

 居間で茶を啜りながら先程遭遇した怪奇現象について思案する。

 あの後どこを探しても人形が見つかることはなかった。着物も、髪の一つさえ見つかることはなかった。そのくせ気味の悪いデザインのダンボールだけは残っているのだから余計に意味がわからない。

 あんなに掴まれた俺の左手首には鬱血の跡が全くといっていいほどなく、嘘のように綺麗なままだ。


「幻覚でもみたんかな俺」

「なにがー?」

「いやなんでも」


 居間に入ってきた義母が湯呑みを卓袱台に置き、俺の隣に座る。それと同時にリモコンでテレビの電源をつけた。午後特有の再放送されたサスペンスドラマが画面に映る。


「さっきはどうしたの? あんな大声あげて。栞って呼び捨てされるのも久しぶりだったし」


「……ダンボール開けたらゴキブリ20匹ぐらいいたんだよ。栞さん嫌いでしょ、虫。だから来んなって言ったの」


「あーまたさん付け。別にいいのに、昔みたいに呼び捨てしても。お母さんでもいいけどね」


 義母の性格はよくわかっているつもりだ。ここで馬鹿正直に人形に襲われたなどと言おうものなら、ついに来る死への恐怖で頭がおかしくなったと精神科に連れていかれるかもしれない。そんなのはごめんだ。

 俺は義母のためを思って叫んだのだ。その結果望まぬ行動を強いられるのはたまったものではない。義母も義母で、せめて身の危険ぐらいは察してほしいものだ。人形と格闘戦を繰り広げてることぐらい遠目からでもわからないのか。いやあれは幻覚だったのかもしれないのだが。


「昔は可愛かったのになー。ハル君、しおりーしおりーって私の後ついてくるんだもん。アヒルさんみたいだった」

「記憶から消したい過去だわそれ」

「えー? 私的には全部大事な思い出だよー?」


 義母の声には応えず、BGMと化していたテレビに視線を向けた。

 そこには、すでに故人となった母親の手記を出版した女がインタビューを受けている様子が画面に映っていた。

「母は、『自分には天使様がいるから、独りで死ぬわけではないの。怖くはないのよ』と今際の際までーー」


 思わずため息が出た。この母親の死の淵には「天使様」が側にいてくれたらしい。それに比べて俺の場合は眼球を抉ろうとしてくる人形が現れただけだ。随分な落差ではないか。

 

「ーー気になる?」


 義母の声に意識を戻す。


「何が?」

「そのテレビ。死んでも天使がいるから大丈夫ってやつ。本屋で並んでるよね、結構前から」

「……別に興味ないよ。文字読むの苦手だし」

「ううん。ごめん、そういうことじゃなくて。……死ぬってこと……独りで」

「ああ。まあ、多少は思うところはあるけど」


 嘘だ。俺は独りで死んでも構わないと思っているし、出来れば嫌いな義母の顔を見ずに独りで死にたい。だがそんなことを言えば義母を泣かせてしまう。だから咄嗟に嘘が出た。


 若干の間が空く。


「うん。……私ね、ハル君の気持ち、尊重したいなって思うのね。だから、ハル君があの時一人で暮らしたいっていうのOKした」

「うん」

「でも突然のことで、忠彦さんの死に目にも会えなかったから、私……ハル君まで最期を看取れないのは、嫌なの。独りになるのは、嫌なの。絶対、後悔するから」

「うん」

「だから、だからね。ここにいてくれない、かなあ……?」


 いつのまにか義母は泣いていた。潤んだ瞳を拭いもせずに真っ直ぐこちらを見つめていた。

 不覚にも心を動かされそうになってしまい、ゆっくりと彼女の瞳から目を逸らす。これだから義母を泣かせるのは苦手なのだ。自分の決心が鈍るから。

 心を落ち着けてゆっくりと口を開く。


「あの、さ」

「うん」


「俺、まだあっちでやりたいことがあるんだ。サークルの友達と」

 嘘だ。

 友達なんていない。


「そりゃあ栞さんと一緒に暮らせないのは申し訳ないけど、それでもやりたいことなんだよ」

 嘘だ。

 義母の顔を見たくないだけだ。


「俺の人生だからさ、最期まで悔いなく生きたいんだよ」

 嘘だ。

 俺の人生は後悔ばっかりだ。

 1番言いたかったことを今でも言えないままだ。


「それに、確か後5ヶ月だろ? 産まれるの。俺はこれからどんどん身体が弱ってくるだろうから、妊婦の栞さんには迷惑かけられない。……やりたいこと全部やって、ちょっとでも長生きしてさ、それで最後に弟が元気に産まれてくるのを見たいのに、栞さんが俺の世話で身体壊すとか絶対嫌だよ」

「ハル……君……」


 ……全部嘘だ。俺は(親父と栞が混ざった顔)を見たくないから死にたいのだ。だから(義母)から妊娠したと電話がかかってきたあの時から、間違っても一年以上生きてしまわないように無茶苦茶な生活をしたのだ。というのになぜかまだ俺の身体が弱らないだけなのだ。

 つまるところ俺は栞が悲しむ姿を見たくないがために歪な嘘を吐き続けていた。栞が嫌いなはずなのに。

 自分の歪さが本当に嫌になる。嫌いな人間のために弟の顔が見たいなどといったなんの意味もない嘘が口を吐く。そもそも栞を悲しませたくないのなら自分の心を殺して側にいてやればいい。というのに栞から離れようとする言葉をのたまい、一方では栞を悲しませまいと言葉を紡ぐ。

 

「そっかぁ……。じゃあ、仕方ないよね……。ハル君だって悔いなく生きたいんだもんね……」


 そして栞は、そんな俺の言葉を必ず信用する。嘘だらけの俺の言葉をいつだって肯定する。昔からそうだった。

 俺の心が罪悪感でいっぱいになる。無理矢理貼り付けた笑顔を浮かべ奥歯を噛み締めながら、ありがとうなんて言葉を辛うじて呟いた。

 だから栞のことが嫌いだ。

 俺の短い人生の中で、初めて俺のことを信じてくれた人。

 だというのに、俺のことなんて眼中にも無かった女。




 上原栞。

 旧姓、戸山。

 俺と()()()()()()()にして、俺の初恋の人。

 俺を信じるくせに俺の気持ちなんて理解することなく、俺の親父を心の底から愛した女である。

 

 





「ただいま」

 2週間ぶりに俺は自分のアパートに帰ってきた。

 親父が死んでからは慌ただしく動き回っていたことが多かったから、俺はアパートについてようやっと日常感を取り戻したような気分になっていた。

 すでに食料は底をついて久しい。次の買いだめをする前に実家に呼び出しをされていたのだ。また当然ながら帰省前にあった残りの食品は2週間の月日を経て消費期限が切れている。

 念のために冷蔵庫を開けるが成果はナシ。軒並み全滅の様相を呈していた。

 ため息を吐いて玄関に向かい靴を履く。俺は早々に死にたいが餓死をする予定は今のところない。早急に食料を買い揃える必要があった。


 靴紐が解けていることに気付き、俺はしゃがみ込んで靴紐に手をかける。その瞬間、



「――――ッ」


 急に、背筋を悪寒が走った。

 なぜかわからない。どうしてその考えに至ったのか本当に検討もつかないのだが。



『ク    フ    フ』



今顔を上げればアイツ(人形)がいるような気がした。



(またかよ!? 幻覚だったはずだろ!?)


 意を決して正面を向こうとするも、なぜか俺の顔は上がらない。

 違う。

 俺が顔を上げたくないと思っているのだ。

 目の前にきっとアイツがいると思ってしまったから。

 正面を見ずに扉を開け、転がるように飛び出す。勢い余って通路の手すりに体当たりをしてしまい鈍痛に顔をしかめた。


「……」


 恐る恐る灰色のコンクリート床から視線を外し、正面を見た。


 視界の先には当然何もなかった。


「……何やってんだか」

 足の力が抜け、壁を背にずるずると座りこむ。

 実の所、このように突発的な恐怖感および幻覚に襲われるのは三度目だ。実家を辞してから最寄り駅までの道中で一度、新幹線を降りた直後に一度、そしてこれが三度目である。

 どうやら俺は親父が死んだことと義母と再会したことの二つの件で相当精神が参っているらしかった。そうでなければこの短期間でそう何度も強迫観念に襲われることはないだろう。

 そもそも栞の顔を見るだけで俺にとっては精神的なストレスだ。あの女は俺の好意に無頓着で、親父に一途で、自分と親父の幸せはさも俺の幸せであるかのように振る舞ってくる。本当に鬱陶しい。病むわ。


 だからきっとこの幻覚は精神を病んだ俺の産物なのだ。初めて人形を目にした時からずっと続いている俺の妄想のはずなのである。





『ク フ  フ   フ』



「……」



 

 玄関框の際でニヤニヤと片目のない顔で笑う人形を()()()()()()()()()して、俺は玄関扉を勢いよく閉めた。










 今日わかったことがある。それは、お祓いというものは役に立たないということだ。

 俺が人形の幻覚を感じるようになってからもう4日が経過した。依然、人形は俺の視界の端に現れたり耳元で不快な笑い声を聴かせてくる()()()()()()()。俺は断固としてこれを現実とは認めていない。

 断固として認めていない、が、一応、念のために、俺は神社にお祓いを受けに行くことにした。奮発して玉串料は万札を入れた。遺産相続により多少の金に糸目をつける必要はなかった。(まあ俺が断ったのを義母が無理矢理持たせてきた代物であるが。)

 だというのに神主は俺を見るなり「私では手に負えるものではない」と宣った。そして玉串料はそのまま取られた。

 流石の俺もこれには激怒した。激怒したので神社の本殿に5円玉を投げ入れることにした。


「死ぬまで健康に過ごせますように」


 間違いではない。病気で死ぬ僅かの間でいいから幻覚を取り除いてほしいと神に祈っただけだ。無神論者の俺はそれぐらい追い詰められていた。

 本日は3月3日。ちょうど余命宣告から9ヶ月が経過する。つまり、当初の予定では、俺は保って後3ヶ月で天に召されるのである。

 

 家に帰ると案の定人形の気配を感じた。


「これは幻覚だ」

 誰に言い訳しているか自分でも分からないまま呟き、手早く晩飯の支度を整える。

 その間にも『クフフ』と耳障りな声が聞こえてくるのでテレビの音量を最大にしてやった。それでも声は止まなかった。

 箸で買ってきた惣菜をつついている間にも、視界の端で朱―――と紫が明滅する。

 俺はそれでも無視を続けることにした。反応してしまえば人形の存在を認めることに――――、





『ネエ、イツマデ無視ヲ続ケルノ?』





いる。


左に、いる。






『ネエ、イツマデ普通デイラレルノ?』






俺の、肩に、のってる。


耳元で、囁いている。






人形は更に言葉を紡ぐ。



『―――ネエ、アナタ、イツ、死ヌト思ウ?』


「ッ、うるせえッ!!!」


 思わず左腕を大きく振るう。そのまま人形を右手で鷲掴みにしようとするが、俺が振り向いた時点で人形は忽然とその姿を消していた。



「っあ―――」

 直後、急にガンガンと頭が痛み始めた。身体の臓器も軋むように痛み始めている。たまらず引き出しを開け、処方されていた鎮痛薬を飲んだ。

 その後のことはあまり覚えていない。とにかく鳴るように痛む頭を抑えながら、転がるようにベッドに潜り込んだことだけは覚えている。




 


 

「――――あ」

 目だけを動かして枕元の時計を見ると、時刻は午前3時を指していた。

 どうやら俺はあの後眠ってしまったらしかった。眠る前の出来事を思い出そうとするが、頭は靄がかかったかのようにぼんやりとしていて役に立たなかった。

 辛うじて思い出したのは頭と臓器の痛みだけだった。

 ……実際のところ、あのように身体に痛みを感じたのは今までで初めてのことだった。恐らく、病気が今になってやっと目に見えてわかるような悪影響を及ぼし始めたのだろう。俺は痛みの強さに憂鬱感を覚えた。これからはあの激痛と付き合っていかなければならないと思うと本当に嫌気が差す。


 考え続けていても仕方ないと気持ちを切り替え、俺は水を飲もうとキッチンの方へと起き上がった。


いや、()()()()()()()()()()()()()()()()


 金縛りだ。

 眼球以外、一切身体が動かせなかった。



『クフフフフ』



 追い打ちをかけるように、あの人形の声が耳元で聴こえた。



『ドウシタノ? 急ニ倒レテシマッテ』



 人形は俺を嘲笑いながら、仰向けになっている身体の上に乗り上げてきた。

 急に思考がクリアになった。そうだ、倒れる直前に俺はこいつに脅かされていた。恐らくこいつの力か何かのせいで俺の身体に激痛が走ったのだ。

 俺の考えを知ってか知らずか、人形は更に言葉を並べる。



『イキナリ倒レルノダモノ。相当参ッテイルヨウネ?』


『デモ心配シナイデ? アナタハモウスグチャアント死ヌノ。



――――――、三ヶ月後ニネ』




「……」




 ――――それ元から俺の命日じゃん。





『驚キデ言葉モナイヨウネ? デモ残念。コレハ現実ナノ。アナタガ私ヲ見ツケタ時カラ、私ガソウシタノ」




 ――――そんなことをしても意味はない。何をせずとも俺は死ぬ。

 

 というかいい加減したり顔で俺に跨って饒舌に喋っているこのクソ人形にむかっ腹が立ってきた。コイツのせいで俺は数日間ノイローゼ気味になってまともに眠れなかったのだ。

 

 




『ネエ、怖イ? 怖イヨネ? ダッテ、死ヌノガ怖クナイ人ナンテイナイモノネ?』




 思いっきり右手に力を込めると、ピクリと指が動いた。ありったけの力を込めて拳を握り締める。

 俺の身体は、今や俺が主導権を取り戻しつつあった。


 俺は、別に死ぬことは怖くない。

 だって、「大切な人」は絶対に俺に振り向かないし、今は「幸せ」ではないからだ。

 だが、俺は残りの命を有意義に使うと既に決めた。


 このクソ人形の片目をブチ抜くのは、とても()()()()


 クソ人形の戯言は続く。




『コレカラズウットアナタニアゲル。死ニムカッテイク苦シミヲ。恐怖ヲ!! 最後ノ日ニ、目玉ヲ抉ッテ殺シテアゲル。クフ、クフフフフフフフフハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――、』


「うるせえ!! 余命3ヶ月に―――」


『――――ハヘ?』


 勢いをつけて上体を起こす。俺の右手は既に軌道上のヤツの眼球を捉えている。


『ウ、嘘ッ!! アノ札ヲ見タナラ夢ノナカデ動ケルハズガッ!!??』


「3ヶ月で死ぬ呪いをおおおおッ!!」


『ヒッ、コナイデ―――、』


「かけるなクソ人形ォォォォォォッッッッ!!!!」


『キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?!?』



≪――――ハル君、虐めてくる子はね、右ストレートでぶっ飛ばせばいいんだよ♡≫



 かつての幼馴染の教え通り、俺の右ストレートはクソ人形の綺麗なグラスアイをぶち破り、晴れてヤツを失明させることに成功した。

 勢い余ったクソ人形は、断末魔の叫び声を上げながら綺麗な放物線を描き、シンクの方へと吹っ飛んでいった。


 3月4日午前3時6分。


 俺は勝利をこの手に掴んだ。

よろしくお願いします。

もしご感想頂けるならありがたく読ませていただきます。全部に返信できるかはわかんないです。先の展開に関係するのは言いにくいよねっていうね。お返しできそうなやつはお返しさせていただきます。

僕は性癖がちょっと尖っているので好き嫌いあると思います。刺さる人に刺さればいいなあ。無理な人はごめんね。

後キーワードは見た感じのやつにしてるしこれからそうしていくつもりなんですけど、さすがにこれは違うでしょ……ってなったら編集するかもしれない。ごめんね。

良さげと思ったら評価してくれると嬉しいです。

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