弓月と千沙都のやり取り。
ひとしきり話を聞くと、満足したのか、はたまた現れる時間が限られているのか、パッと姿を消した千沙都。チリチリチリチリと細かく震えていた、胸元のカタツムリも静まる。
ピローン、携帯からライン。
「ご飯」
母親からのメッセージ。
……、お蕎麦とか、お素麺にしたいわねぇ、でもお水沢山使うから考えちゃうわ。今日も暑かったわね。
レンチンで作ったという、蒸し豚サラダをのせたご飯、缶詰コーンと牛乳の冷たいスープのマグカップ、程よく解凍された、冷凍枝豆が並ぶ。テレビからは、少雨による影響の話と、高温の夏の話。
「上流部に降ってほしいな、街でゲリラが来ても意味ない」
「でも降ったら少し涼しくなる気がする」
仕事帰ってきた父親が、洗い物減らす為に、ビールを缶のままで飲みながら話をしている。
「枝豆も、母さんが湯がいた方のが好きだな」
「そうだけど、今、昼間と夜中に、時間断水でしょ、節水しないと完全断水になったら、大変よ、この暑いのにお風呂も洗濯もだめになっちゃう、トイレもあるし、これ以上は困る」
父親と母親の会話。入らない弓月は黙々と食べた。テレビからは、カラカラに乾いた街中の映像。
アイス食べるのなら、寝る前に歯磨きしなさいよ、あんまり遅いと断水するわよ。食事が終わり、部屋に戻る前に冷凍庫から、ガリガリタイプ、蜂蜜レモンソーダ味を取り出した弓月。母親が目ざとく見つけて小言。
「うん」
短く返すと、去年の夏の事で息子を案じ、この先の事で込み入った話をしたい父親から逃げる様に、おやすみ。一声残すとリビングを出た。
エアコンをつけっぱなしで出た部屋は涼しい。外気から少しばかり引き算をしても、じっとり暑い廊下から入ると、ホッとする彼。
ペットリ張り付いた袋を剥がすと、ゴミ箱へ。くわえながら椅子に座り、ノートパソコンを開く。江川から届いたメール、ゲームのフレンドから届いたソレを読みながら、ガリガリ、シャクシャク。甘酸っぱい蜂蜜レモンソーダ味のアイスキャンディー。
しばらく……、付き合い程度に、オンラインで遊んだ。
それから……、時間を確認し、ゲームを終わらせると、トイレと歯磨きをすませておく。母親が早々に洗濯機を回したのか、脱衣場は綺麗に片付けてある。
寝よ。ベッドで転んでなんか読も。
部屋に戻ると、携帯を手にしてゴロリと寝転んだ。キシリ、スプリングが鳴る。
キシリ。キシリ。ピキ……。
「ふえ?なんの音?寒!エアコン温度下げたっけ?」
胡乱な空気に起き上がる弓月。チャリンと無意識に、カタツムリを握りしめ、気配を伺っていると。
「ポルターガイストでぇっす!うきちゃん!暑い熱帯夜に涼しさのお届け!」
「うふぉぉ!背中!寒!てか!ち!千沙都おぉぉ!ポルターガイストって言うな!怖いじゃないか!ひぃ!他にもなんかいるんじゃないだろうな!てか、何で背後を取るの」
「うふふ、それは私が元気な頃、こうやって、少女漫画みたいに、後ろから抱きついてみたいという、妄執があったからよ、うきちゃん」
「妄執!願いだろ!わざわざ、怖い意味合いに変換しないで!」
「そしてねぇ、斜め上方向から振り返って私を見下ろして、このぉ〜、いい加減にしろよ、アッハッハって、爽やかに笑って欲しいけど、それは無理ね」
激甘なシュチエーションを提示され、食べた蜂蜜レモンソーダ味が逆流しそうになった弓月。
「……、ムリ!もう寝るから帰れ!」
「じゃぁ、添い寝する、妄執その2」
はぃぃ?背中にぴっとり冷たい気配、胸元のカタツムリはチチチ、チリチリ熱を持ち始めた。真っ赤になり背中の存在に否を唱える弓月。
「だ!ダメダメ!そ!そんなことしたらダメだろ!はっ2?てなんだよ!他は?」
「イチ、バックハグ、二番目、添い寝、三番目、一緒にお風呂、キャッ!3番目から叶えちゃった♡大丈夫。私は霊体だしぃ、あんな事なやこんな事は出来ないんだから、やあねぇ、エロいこと考えてたでしょ、流石はエロうき。浴衣の色は透ける白が好き」
「ち!ちが!違う」
あたふたと否定をする。
「ひ!冷えるから!風邪を引いたらお見舞いにいけなくなるし!取水制限で夜中に断水するんだ、トイレに行きたくなったら最悪だ、だから」
「やだぁ、お洩らししちゃう?ほんの少し、少しだけ、側にいたい、うきちゃんが寝つくまで、そしたら帰る。ヒエヒエ抱きまくらが、背中に有るって事にしたらいいじゃん」
抵抗虚しく、千沙都を背中にし、眠る事になった弓月、正常なる男子高校生。好きな女の子が例え霊体であっても、ベッドで背後にいる。
……、ダメダメ!だ。シャンとしておこう、うん!カタツムリもなんかジリジリ熱いし、ヤメロと言ってるんだ、たぶん。
「……、宿題しよ、進路あるし」
ムクリと起き上がる。ベッドから降りると、机に向かった弓月。進路。ポツリと呟く、憑いてきた背中から悲しい声。何かを踏んだ弓月。
「先に行っちゃう」
「は?」
「進路。私を置いて、うきちゃんだけ行ってしまう、ずるいよ!うきちゃん、先に行っちゃう!行っちゃうんだ!待っててほしいのに」
「そ、そんなこと言ったって。千沙都。う。はあ。じゃぁ、早く戻って目を覚ませ!そうすれば、いいだけだろ」
熱く込み上げるモノを押し殺し、駄々をこねる彼女を諭す様に話す弓月。
「だって!だって!どうしたらいいの?どうやったら、元気な頃に戻れるの?どうしよう、どうしよう!うきちゃん、うきちゃん!教えて!怖い」
何かのスイッチが入った様に、取り乱す彼女の声。キンと冷える室内。動く事を封じられた弓月。何処か切羽詰まっているような千沙都の様子に、不安を感じる。
「魔女に出会ったんでしょう?何か出来ないの?私を助けてくれないの?うきちゃん、怖い、助けて誰か!カタツムリさん、力を貸して?お願い!」
千沙都の震える様な声から産まれるモノにより、とこもここも覆われ、話そうとしても声が出ない弓月。
チリリリ、チチチ!カッ!
……、あ!熱!何?カタツムリ?何で?
胸元に下げていたカタツムリを、シャツの上から握ると、机の上に突っ伏した弓月。
トォォォン!響く波紋の音。
胸の上に置かれたことにより、縁を結んだカタツムリが、彼女に憐れを感じ同調をした。
パチン!乾いた音と共にブラックアウト。そして。
弓月はハッっと目を覚ます。そのまま寝ていた事に気がつく。胸元を探り、何が起こったのか椅子に座ったまま呆然とした。
魔女から託されたカタツムリも、背中の悲しい気配も消えている。